京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

2020京都の桜①

2020年03月26日 08時59分00秒 | 日記
 3月25日は久しぶりに京都を巡りました。いつもはカルチャースクールの講座や博覧会、美術館を絡めて行っていますが、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、次々に中止になってしまいました。

最初に高台寺からです。ご由緒などは省略して写真を中心に掲載します。





波心庭に枝垂れ桜、、、一本でも存在感たっぷりです。

次に円山公園の"顔"祇園枝垂れ桜です。





かなりの老木ですが今年も元気に咲いています。
八坂さんの中を通りましたが大国主社が復興されています。





次に寺町通にある日蓮宗寺院本満寺の枝垂れ桜です。
かっては"隠れた穴場"でしたが今は全く隠れていませんね!







まさに、桜の"天蓋"です。

次に京都の三大葬送地"蓮台野"にある上品蓮台寺です。







こちらに平等院鳳凰堂のご本尊阿弥陀如来坐像の作者 定朝のお墓があります。





また、源頼光ゆかりの"蜘蛛塚"もあり見所の多いお寺です。





次に京都の12月の風物詩"大根焚き"でも名高い千本釈迦堂です。正式には"大報恩寺"ですが誰も正式名称では呼ばないところがこれまた、"京都"です。









こちらの本堂は"応仁の乱"でも焼失を免れた市内最古の建物で国宝に指定されています。内部の柱には当時の矢尻の跡が残っています。





本堂を造った大工棟梁夫人"おかめ"さんにちなんで"阿亀桜"と呼ばれています。

以降は、続編に続きます。










新島襄旧邸

2020年03月24日 09時06分00秒 | 日記
 京都御苑の東側を南北に通る寺町通の一角に同志社大学の創始者・新島襄の旧邸があります。





明治11年(1958)に竣工し、昭和60年(1985)には京都市の有形文化財に指定されています。

この日は外観のみの見学で内部には入ることは出来ませんでしたが14ページある冊子を頂きました。





受付を済ませてまず左手に附属屋です。



外観はコロニアル様式を取り入れた洋館ですが壁は真壁造り、高床式、1、2階のバルコニー、室内にはセントラルヒーティングと日本の気候に対応した和洋折衷の建物です。





当時の調度品がそのまま残されています。
新島八重が愛用したオルガンも残されています。





新島襄の死後、八重は茶道に傾注し裏千家教授の資格を取得しています。
1階の洋間を改装し、茶室「寂中庵」を作っています。





新島襄の書斎です。同志社の学生も自由に利用していたようです。
新島襄の人柄が伝ってくる逸話ですね。
蔵書の8割が洋書で現在は社史史料センターで保管されています。





トイレも洋式の腰掛け式で日本では初期のものです。



外観は何度か見学していますが、一度、内部の見学もしてみたいものです。











文化財建築を訪ねる③ 町屋物語館

2020年03月23日 08時51分00秒 | 日記
 箱本館紺屋を出て、次に向かう途中に源九郎稲荷神社があります。







枝垂れ梅と椿との共演がまられ、こちらの神社でもお雛様が飾られています。






雛祭り限定の見開き御朱印も授与して頂き
次に町家物語館へとやって来ました。





町屋物語館は大正年間に建てられた木造三階建てで、遊郭として営業していましたが昭和33年(1958)に売春防止法の施行に伴い廃業しました。






その後は下宿として営業され、客間は貸間
として利用されました。







内部には意匠を凝らした欄間や数寄屋造りの各小部屋などには特殊な建築手法を各所に取り入れ、当時の上流花街が忍ばれます。
平成26年には国の登録有形文化財になっています。







本館は間口6間半の三階建て木造建築で、玄関から帳場、娼妓溜を経て、階上の案内所、客間に至る遊郭建築がよく残っています。





町家物語館がある洞泉町はかっての遊郭街でその遺構が残っていますが2件は、この春から取り壊しが決まっているそうです。

今回、大和郡山市を巡り、豊臣秀長100万石の城下町遺構、町家、雛飾りを堪能させて頂きました。


文化財建築を訪ねる②大和郡山市 箱本館紺屋

2020年03月22日 08時08分00秒 | 日記
 2月28日、大和郡山市の葉本家住宅を見学後、箱本館「紺屋」を訪ねました。





箱本とは郡山町中の自治組織を意味します。土地に対する税金(地子)を免除された内町十三町で始まりました。

箱本の任務は治安の維持、消火、伝馬(公用で使用する馬を提供する事)などでした。
住民主体の自治の先駆けです。

雛祭りが見事です。








紺屋町は藍染めを職業とする人達が集まって出来た職人町で豊臣秀長の時代に形成された町です。

先程に出てきた地子を免除された有力な町で城下町の中心をなす内町十三町のひとつです。

前には川幅1mの紺屋川が東西に流れ、江戸時代中頃には150軒近い家があったそうです。





江戸時代から続いた藍染め商の町屋だけに、染色の道具、染め場、クドの復元や箱本関係の資料が展示されています。





藍染め体験工房も併設されており、有料でハンカチなどの染め体験が出来ます。
(ハンカチで1200円です。)

室内も有力商家らしい立派な佇まいです。





途中に登録有形文化財の杉山小児科があります。





ハーフティンバー様式の木造建築物で主に北方ヨーロッパやイギリスで発展した建築様式です。外壁に半分出た柱、梁、筋違の造形が美しいです。(院長先生がご高齢で引退され現在は使われていません。)

京都では烏丸丸太町にある大丸ビラや大山崎町にあるアサヒビール大山崎山荘美術館に見られます。

次に町並みを見学しながら「町屋物語間」へと向かいます。







文化財建築を訪ねる①大和郡山市 葉本(はもと)家住宅

2020年03月21日 07時11分00秒 | 日記
 2月28日は、よみうり文化センターの講座で奈良県大和郡山市の文化財建築を訪ねました。
講師は建築に造詣の深い二村盛寧先生です。

まず最初に訪れたのは国の登録有形文化財に指定されている「葉室家住宅」です。





明治23年から24年にかけて建築され、当時は両替商を営んでおり、その後肥料商を経て、戦後パン、メリヤス等を扱い現在に至っています。

虫籠窓の真ん中にある分銅の印は、両替商の名残です。

屋根には「むくり」がつけられ、「煙出し」が残り、表には「格子窓」や「ぱったり床机(しょうぎ)」が備わっています。

3月3日まで「大和なひなまつり」が行われており、商家などで代々伝わる「お雛様」が飾られています。



葉本家でも年代物のお雛様が飾られていました。
明治期の「御殿雛(ごてんびなの」です。





天井には「婚礼籠」が吊るされています。これは婚礼時にのみに花嫁が乗ってくる籠で、その後は天井に上げられます。
これは、花嫁はこの家に嫁ぐと、もう実家には帰れない事を意味しています。







「大和なひなまつり」期間中、生活用品の櫛(くし)、簪(かんざし)、笄(こうがい)などが展示され、無料で公開されています。







次に「箱本本館 紺屋」へと向かいます。