京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

大徳寺 高桐院

2020年03月10日 06時29分00秒 | 日記
 大徳寺塔頭高桐院は細川忠興(三斎)の開基で慶長6年(1601)に創建されました。





平成29年6月7日から本堂屋根瓦の葺き替え、建物の傾きを修復する工事の為、昨年11月まで拝観を休止されていました。 



表門から唐門、拝観受付までのアプローチは自然石の敷石が直接で繋がり、四季を通じて美しいです。







書院は千利休の邸宅を移築したもので「意北軒」と名付けられています。
利休好みのわび・さびを感じる落ち着いた佇まいです。





書院に付属する形で茶室「松向軒」があります。
二畳台目の小間で忠興自ら設計し、秀吉が主催した"北野大茶湯"で使われた茶室を移築したものです。





ご本尊さまにお詣りをし、本堂南庭を鑑賞します。







縁側の赤い毛氈と庭園の背後の竹林の緑とのコントラストはいつ見ても一服の絵を見ているようです。

苔と石灯籠だけのすこぶるシンプルな庭園ですが不思議と心が落ち着く庭です。
しかし、秋の紅葉🍁の時には背後のもみじが色付き、竹林の緑とあいまって幽玄の世界に変わります。



細川忠興、ガラシャ夫人(明智光秀の娘・玉)のお墓です。




この石灯籠は元は千利休の所有でした。しかし、天下の名物に目の無い秀吉は利休に所望します。
利休はわざと笠の三分の一を欠き、秀吉の所有を断ります。
利休が秀吉から切腹を命じられた際に忠興に形見として譲ります。
忠興は終生に渡り大切にし、死後はこの灯籠を墓石にするよう遺言します。
本堂前の庭園に置かれている灯籠はこのレプリカです。





袈裟型の降り手水鉢。
加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰った物で、元は朝鮮王城の礎石でした。





受付でお願いしていた御朱印を頂き、次に今宮神社へと向かいます。