京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

おふさ観音(奈良県橿原市)

2021年04月23日 06時42分00秒 | 日記
 奈良県橿原市にあるおふさ観音は高野山真言宗の別格本山の寺格を有するお寺です。
今回、初めて拝観しました。と言うのも4月17日、18日はご本尊さまの十一面観音菩薩さまのご開帳があります。

かっては比叡山北谷の観音堂のご本尊でありましたが慶安3年(1650)にこちらに移されました。







先ずは本堂へ上がりご本尊さまの十一面観音菩薩立像にお詣りします。
お像が小さいのと厨子の中が暗いので単眼鏡で見ましたが、よく見えませんでした。

内陣では法要が行われていて、多くの方の願いが読み上げられていました。








ご覧のように、境内には多くのバラが植えられ5月からはバラまつり、7月、8月には風鈴まつりと、共にこちらの名所となっています。







"鯉の池"周辺はよく整備された素晴らしい日本庭園です。



池の奥には"茶房おふさ"があり、庭園を見ながらひと息つける場所となっています。







境内には多くのお堂がならび上の写真は三宝荒神堂とご本尊さまです。



公家や貴族の為のお寺ではなく、広く地域に根ざした町堂的なお寺だと感じました。

一部写真はHPから転載させて頂きました。







観心寺 ご本尊国宝・如意輪観音坐像

2021年04月22日 08時06分00秒 | 日記
 観心寺は大阪府河内長野市にある高野山真言宗の遺跡本山です。
遺跡本山とは総本山、本山に次ぐ寺格の寺院に用いられます。
真言宗では、ここ観心寺と京都高雄の神護寺のみです。


弘法大師空海は高野山を開く際の拠点となり、また、南北朝時代には楠木正成の菩提寺ともなりました。

金堂拝観予約時間の前に着いたので境内を散策します。





建掛塔(たてかけのとう)・重文です。
楠木正成は三重塔の建立を計画しましたが延元元年(1336)の湊川の戦いで戦死し、一層目だけが残っています。





弘法大師空海をお祀りしている御影堂です。




修験道の開祖・役行者をお祀りする行者堂です。
修験道は日本古来の山岳信仰と外来の仏教や道教などが融合し出来たものです。







いよいよ金堂拝観時間が近づき、金堂前に並びます。

金堂前には"弘法大師遥拝石"があります。
今でこそ、お堂に入堂して参拝することができますが、本来、お堂内は仏さまが住われるところであり、参拝者はお堂の外から拝むのが普通でした。
その証拠として残っているのが"弘法大師遥拝石"なのです。



コロナ禍の中、密を避けるために30分で約70名の入れ替え制になっています。







ご覧の通り非常に美しい如意輪観音さまです。寺伝によれば弘仁6年(815)弘法大師空海42才の時、国家の安泰と人々の厄除けのためにこの如意輪観音菩薩坐像(国宝)を刻みご本尊とされました。

多くの如意輪観音菩薩さまを見てきましたが、ここ観心寺の如意輪観音菩薩坐像が最も美しいと思っています。 
何度お会いしても感動を覚える仏さまです。



長らく33年毎しかご開帳されなかった秘仏の為、彩色が非常に綺麗です。

旧国宝では中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像、神護寺の釈迦如来立像、三十三間堂の阿弥陀如来坐像、4番目は何故か空白、その次に観心寺の如意輪観音菩薩坐像が旧国宝5番目に指定されています。









その後、霊宝館を鑑賞し観心寺を後にしました。



なお、ご本尊如意輪観音坐像の写真はネットから転載させて頂きました。




















聖林寺 国宝・十一面観音立像

2021年04月21日 07時24分00秒 | 日記
 4月18日、大阪府河内長野市にある観心寺のご本尊さま如意輪観音坐像のご開帳に行きましたが10時に着いて配られている金堂拝観予約券が12時30分でした。

係の方にお願いをし、最終の16時30分の予約券を頂き、その間におふさ観音と聖林寺、當麻寺をめぐる事にしました。









頂いたパンフレットにある様に聖林寺のは奈良時代に談山妙楽寺(今の談山神社)の別院として、藤原定恵(鎌足の長子)により建立されたと伝わる古寺です。







日本に7躰しかない国宝の十一面観音立像のひとつで木心乾漆造りの奈良時代特有の技法で造立されています。
ホントに美しく凛とした観音さまです。

他には先日に紹介した京田辺市にある大御堂観音寺の十一面観音立像(国宝)も同じ技法です。




今年5月から収蔵庫の耐震補強の為、1年間、東京国立博物館で展示される予定です。

搬出の事前準備が既に始まっていて、台座の蓮弁が外されていました。

元は大神神社の神宮寺の大御輪寺のご本尊さまでしたが、明治政府による神仏分離令により聖林寺に移されたようです。

その後、フェノロサや岡倉天心、ピゲローにより厨子が開扉され、その美しいお姿が広く世間に知られるようになりました。





地蔵菩薩坐像です。
丈六のお地蔵さまで迫力があります。





フェノロサ、ピゲローが寄進した厨子です。経済的に裕福なピゲローが資金を出したのでしょうね!







収蔵庫への階段の側には芍薬の花が咲いています。




一見、大丈夫に見える収蔵庫ですが一部にはコンクリートが剥がれ鉄筋が剥き出しになっていたり、耐震補強がされていないなど問題点も多々あるようです。
文化財を後世に伝えるのも大変な事だと感じます。
国宝の収蔵庫なのですから全額、国の予算で工事をするのが当たり前だと思います。
その点でもヨーロッパ諸国にかなりの遅れをとっています。





お寺は高台にある為に眺望は抜群で大神神社の御神体の三輪山や飛鳥まで遠望できます。





次に葛城市にある當麻寺へと向かいます。

かお、国宝・十一面観音立像の写真は購入した絵葉書セットから、また、地蔵菩薩坐像の写真はHPから転載させて頂きました。






野中寺(大阪府羽曳野市) 金銅弥勒菩薩半跏像(重文)

2021年04月21日 07時22分29秒 | 日記
 4月18日は大阪府羽曳野市にある聖徳太子ゆかりの野中寺を再訪しました。

 

野中寺は聖徳太子が蘇我馬子の助力を得て建立され、創建当初は法隆寺式伽藍配置のお堂が並んでいたと考えられています。





金堂跡に残る礎石です。





塔跡の中心礎石です。
三方に添柱座を彫りこみ、さらに柱横に横穴式の舎利を納める小孔をうがってある珍しいものだそうです。

昭和61時に羽曳野市教育委員会による発掘調査で西暦650年の瓦が出土しています。



毎月18日には国指定の重要文化財の金銅弥勒菩薩半跏像が公開されるからです。
長らく九州国立博物館での「中宮寺のすべて」にお出ましになられていたので野中寺での公開は久しぶりになります。



666年(天智5)の造立と考えられ飛鳥時代後期の特長がよく表現されています。



特に台座の框(かまち)に造像記の銘文があり、この像をより有名にしています。







方丈前の庭園です。
その方丈の縁側で金銅弥勒菩薩半跏像が公開されているので至近距離でお詣りすることができます。

また、地蔵堂では重要文化財の木造地蔵菩薩立像も公開されています。
江戸時代初期、明正天皇がこの像に皇子の子育を祈られ、その願いが叶えられたことから安産子育地蔵尊として信仰を集めている尊像です。

金銅弥勒菩薩半跏像の写真は購入したものから転載させて頂きました。



次に毎年、4月17、18日の2日間にのみご本尊さまが公開される大阪府河内長野市にある観心寺へと向かいます。




無鄰菴-茶室に入る-

2021年04月20日 06時57分00秒 | 日記
 ウェスティン都ホテル京都から徒歩で無鄰菴へと来ました。





無鄰菴では文化財を生かした様々なイベントや講座が行われていて、今回は「茶室に入る」の講座に参加しました。



教えて頂けるのは表千家 妹背宗佳さんです。

京都で寺院や神社を参拝、拝観した際によく呈茶席が設けられ有料ですがお抹茶と菓子を頂く機会が多いです。

今回は、そのような時にスムーズに、格好良く?頂く所作を教えて頂きました。
一回ではなかなか覚えきれないですが少しは自信になった気持ちになりました。





この日は僕が最後の受講者で30分間の修理後にも、無鄰菴のスタッフの方々の話題で盛り上がりました。







いつ訪れてもよく手入れのされた庭園です。
東山の山々が眺望できる様に剪定されているのが仁王門通から見れば良くわかります。









庭園内には様々な草木や花々が植えられ季節を感じることの出来るのも無鄰菴の特色のひとつです。
施主の山縣有朋のセンスと、それに答えた七代目小川治兵衛のセンスが見事に融合した庭園です。







季節を換え何度も訪れたい庭園です。