京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

円山応挙の生誕地"穴太"を歩く

2022年06月21日 07時04分00秒 | 日記
 6月12日はJR東海「そうだ 京都、行こう。」の会員イベントで「円山応挙の生誕"穴太"を訪ねる」に参加しました。









穴太は応挙が生まれた地で金剛寺は8歳から15歳まで小僧として生活した寺でもあります。

(応挙が描いた玉堂住職の水墨画)

金剛寺中興の祖と仰がれる玉堂の勧めもあり応挙は玉堂の死をきっかけに京都に出て絵を学ぶことになります。







画家として名をなした応挙は天明8年(1788)に金剛寺に赴き本堂6室内襖53幅と壁4面に「山水図」「波濤図」「郡仙図」を描いています。

三点は国の重要文化財に指定されており、毎年11月3日の文化の日の一日のみオリジナルが公開されます。

この日は中道ご住職のご好意で「郡仙図」のオリジナルを出して頂きました。
他の絵はCanonの綴プロジェクトで作成された高精細デジタル複写で制作された複製画です。













中道ご住職の案内で次に訪れたのは小幡神社です。
延喜式のも載る古社で穴太一帯の産土神として信仰を集める神社です。

こちらには応挙が奉納した絵馬が残されています。

晩年の応挙が下絵を描き、息子の応瑞が完成させた絵馬と言われています。
応挙と応瑞の落款が残る貴重な親子の合作の作品です。



次に穴太寺を訪ねます。







西国三十三所観音霊場の第六番札所として知られ私も過去に二度お詣りに来ています。

贅沢にも穴穂ご住職のご案内で本堂、方丈を巡ります。







本堂内でご住職の法話を頂きます。

ご本尊さまは聖観音像ですが秘仏の為にお厨子は閉まっています。
代わりのお前立のお厨子は開いていますが幕が張られていて良く見えません。

天井の格天井には花天井になっています。

また、本堂右奥には木造釈迦涅槃像がおられ、信者の方々が奉納された布団を着て寝ておられます。

この像は明治29年(1896)に本堂屋根裏から発見されそうです。

(本堂内は撮影禁止なので写真はネットからお借りしました。)












京都での応挙の住居跡です。
大丸京都店の斜め向かいにあります。













リストランテ野呂 ランチコース⑨

2022年06月19日 10時34分00秒 | 日記
 京都アスニーでの講座が始まり久しぶりの"リストランテ野呂"さんです。





ランチだけですが早くも9回目になります。

この日は京都仲間のKさんをお誘いしてふたりでお邪魔しました。

私は"魚"のランチコースを、彼女は"地鶏"のランチコースにパスタを追加してお願いしました。

①人参の冷製スープ



色目と味から"かぼちゃ"のスープだと思いきや、お聞きすると"人参"でした。
人参ってこんなに甘いの?と思わせれスープです。

②サラダ



いつものサラダですが"いつも"美味しいです。

じゃがいもの中にはさつまいもが入っていて、ふたりの素材の美味しさが同時に楽しめます。

人参のマリネ、ワインビネガーがかかった生野菜もさっぱりした美味しさです。

③メイン
魚のフライと地鶏





ふたりで来るとお互いの料理をシェア出来るのがいいですね。

今日の魚は鯛とカンパチでした。
プロの成せる技ですね、、、衣はサクサクで中はジューシーで自家製のタルタルソースをたっぷり載せて頂くと口の中に旨味が広がります。

一方の地鶏も皮目はパリパリ、中味は地鶏だけあって、しっかりとした食感です。

玉ねぎをすりおろしたソースも非常に良く合います。

④パスタ

ランチメニューのパスタは"しらすの釜揚げのトマトソース"ですが、何度も頂いているので"いつも"無理をお願いして材料を変えてもらっています。

野呂さんがカウンターまで来られ、"ニラとホタテ貝の燻製トマトソース"か"ズッキーニとホタテ貝の燻製トマトソース"かを提案して頂き、後者のパスタをお願いしました。

食べ急いでしまい、写真を撮るのを忘れてしまいました。

ランチのみですがいつ来ても満足感ある"リストランテ野呂"さんです。




旧三井家下鴨別邸 茶室で水無月呈茶

2022年06月18日 07時36分00秒 | 日記
 6月11日は旧三井家下鴨別邸の茶室を見学、呈茶を頂きました。





門を入ると旧三井家下鴨別邸本館が見えて来ます。
三階は望楼になっていて眺めがいいです。

この別邸は下鴨神社の南に位置し三井家11家の共有の別邸として建てられました。

この地に明治42年(1909)に三井家の祖霊社である顕名霊社(あきなれいしゃ)が遷座され、その他の休憩所とするために大正14年(1925)
に移築されたのが現在の別邸です。













室内は質素ながら旧財閥の別邸にふさわしく良質な材料が使われています。







床には三井家の「元祖」三井高利夫妻の絵(複製)が掛けられ、床柱は珍しい「檳榔樹(びろうじゅ)」(東南アジア原産のヤシ科の常緑樹)が使われています。

いよいよ"期待"の茶室です。









四畳半の座敷に三畳の座敷とは日差しをたっぶりと取り込んだ明るい茶室で抹茶席と言うよりは煎茶席のようです。

南側には丸窓が、北側には梅鉢型の大きな窓が取られています。





お菓子はどら焼きで有名な京菓司「笹屋伊織」さんの生菓子、お抹茶は三千家のご贔屓の「伊藤柳櫻園本舗」の冷抹茶です。

私とおふたりの女性だけの贅沢な1時間でした。
入館料500円と呈茶代1500円ですからまさにバーゲンプラスですね!

土曜日と日曜日だけの開催で期間も限られています。
時間が許せば"おすすめ"の場所です。










庭園では紫陽花が見頃を迎えています。

















壺阪寺(南法華寺) 西国三十三所観音巡礼第六番札所

2022年06月17日 07時21分00秒 | 日記
 高取城から下山し壺阪寺(南法華寺)を拝観しました。



 創建の経緯については不明な点が多く、伝承によれば大宝3年(703)に元興寺の弁基上人により開かれたとされています。
後に元正天皇の勅願寺になっています。

また、西国三十三ヶ所観音霊場の第六番札所としても知られていて現在は真言宗の単立寺院です。







境内には天竺(インド)渡来の「壺阪大佛」がお祀りされています。

春には桜に、初夏には新緑に包まれる大佛さまを拝むことができます。

次に礼堂(重文)。







ご本尊の十一面観世音菩薩坐像です。

眼病封じに御利益のある観音さまで、お寺では珍しく観音さまに触れて御利益を願う事ができ、また、写真撮影もOKです。

三重塔(重文)。





道路を挟んだ向かいには、天竺(インド)渡来の大観音石像と大涅槃石像とがお祀りされています。







壺阪寺は昭和40年よりインドでハンセン病患者救済活動に参加され、長年の交流のご縁で招来された石像です。

また、昭和36年には境内には養護盲老人ホーム"慈母園"を開設され、目の不自由な人々の福祉活動にも取り組まれています。












































高取城跡(奈良県高市郡高取町)

2022年06月14日 08時24分00秒 | 日記
 朝日カルチャーセンターで滋賀県立大学名誉教授の中井均先生の講座を受講しています。

4月に高取城の現地講座がありましたが会社の仕事の都合で参加出来ませんでした。

そこで個人で高取城へ。



調べてみると登山道の入口まで車で行けるようですが駐車スペースが少なく安全策で壷阪寺(南法華寺)の有料駐車場に車を停めて高取城へと向かいました。



高取城は岡山の備中高松城、岐阜の美濃岩村城に並ぶ「日本三大山城」のひとつに数えられています。

壺阪寺の駐車場から約1時間半で立派な石垣が現れます。





城の縄張りは上の図のように構成されています。
また、復元想像図の絵図からも壮大な山城であった事が想像出来ます。

城は標高583.9mの高取山の頂に築かれ、城内周囲は約3km、郭内周囲は約30kmにおよぶ規模を誇ります。

現在では石垣が残るのみですが二ノ丸跡、本丸跡からは往時の繁栄を感じさせます。











本格的な築城は筒井順慶が天正12年(1584)に郡山城の詰城として以前に築かれていた城を再建した事に始まります。









その後、天正13年(1585)に豊臣秀長の家臣・本多利久が城主となり、大小の天守に27の櫓、33の城門を備えた本格的な山城(平城式手法を採用)が築城されました。
城は瓦葺だったようで地面には無数の瓦の破片が散らばっています。





麓から天守台までの高低差(比高)が390mもあり日本の山城の中で最も高く「日本一の山城」と呼ばれる所以です。

因みに備中高松城は340m、美濃岩村城は150 mです。

一般的に比高が高い山城ほど攻めるのに難しい城と言えます。









今、流行りの"御城印"は壺阪寺で頂けます。

次に西国六番札所でもある壺阪寺を拝観します。