それから、三か月。
洋子は仕事にも人にも馴れ、生活するには
ひととおり困らないようになった。
しかし話がちょっと込み入ってくると、ぬ
るぬるしてつかみにくいウナギのようなもの。
相手の本心がとらえきれない。
本音で話してもらえず、いらいらすること
が増えた。
言行一致の関東の言葉になれた洋子だった
から当たり前といえた。
その日の午後、洋子は師走の買い物客でに
ぎわう通りを歩いてみる気になった。
近鉄奈良駅で降り、エスカレーターで地上
に上がると、噴水の中に行基像がある。
北側の四車線の道路は、車でいっぱい。
両手で耳をおさえるようにして、いそいで
東向きの通りに入る。
しばらく南にくだるように歩いて行くとほ
どなく三条通りにでる。
そこを横ぎり、ねじり鉢巻きで、威勢よく
餅をつく男の人や物見客の群れのわきをすり
ぬけるようにして、もちいどの通りに入る。
なおも五分くらい南に向かうと、洋子が居
を定めたアパートへの路地に行き当たる。
洋子は近鉄奈良駅に向かうことにし、件の
路地を右に曲がった。
何度か、宇都宮の従姉と旅して歩いた道で
もあり、安心感も手伝って、洋子はぶ用心に
なった。
クリスマスソングに誘われるように、洋子
はあっちの店こっちの店にと、ふらふらさま
よい歩いた。
欲しかった厚手の上着とマフラー、それに
手袋をようやく買い求めると、あまりに人の
多い通りに嫌気がさしてしまう。
きれいな空気を吸おうと、興福寺の境内に
つづく坂道をのぼりだした。
坂がけっこう急である。
洋子は地面ばかり見て歩いた。
突然、秋刀魚を焼く匂いがした。
洋子は口もとに笑みをたたえ、顔を上げた。
生垣の上にちょっと首をのばせば、庭先が
見えた。
老婆がひとり、庭に七輪をもちだし、網の
上に秋刀魚を一匹のせている。
(いまどき、こんな風景に出会うなんて)
大昔にタイムスリップした気になり、洋子
はあたりを見まわした。
老婆はすぐに物陰に隠れるようにいなくな
り、秋刀魚は捨ておかれた。
生垣の中から、体じゅう薄汚れた白猫が忍
び足であらわれ、彼のえさになるのに時間が
かからなかった。
ふいに洋子の右肩がたたかれ、彼女はぎく
りとした。
痛くもなんともない、やわらかな触れ方に
洋子は怖さを感じない。
しぜんとふりかえった。
見たことのある男だった。
「どうして……、あなたがここに……?」
洋子は両手で顔をおおった。
足もとがふらつき、倒れそうになった。
男は洋子のからだを支えた。
「さわがないでください。いろいろ手を尽
くしましてね、あなたを探しました」
「はあ、もうなんと言っていいやら……」
洋子は男の歩みにまかせた。
そして思いだしたように立ちどまり、背後
を見た。
「いま、面白いものを見ましたよ。おばあ
さんが庭先で秋刀魚を焼いてらして……」
男もふりかえった。
「どこですか。中庭がのぞけるような家は
どこにもありませんよ。高い塀ばかりで、な
にか白昼夢を見られたんですね」
真面目な顔で男がいった。
「はくちゅうむ?」
「そうです。この辺りじゃ、昔からよくあ
る現象みたいでね、ほんまに古いみやこやか
らしょうがないやろうけど……」
いくらか額にしわの増えた西端修が、今に
も笑いだしそうな洋子の顔を、横目で見なが
ら言った。
洋子は仕事にも人にも馴れ、生活するには
ひととおり困らないようになった。
しかし話がちょっと込み入ってくると、ぬ
るぬるしてつかみにくいウナギのようなもの。
相手の本心がとらえきれない。
本音で話してもらえず、いらいらすること
が増えた。
言行一致の関東の言葉になれた洋子だった
から当たり前といえた。
その日の午後、洋子は師走の買い物客でに
ぎわう通りを歩いてみる気になった。
近鉄奈良駅で降り、エスカレーターで地上
に上がると、噴水の中に行基像がある。
北側の四車線の道路は、車でいっぱい。
両手で耳をおさえるようにして、いそいで
東向きの通りに入る。
しばらく南にくだるように歩いて行くとほ
どなく三条通りにでる。
そこを横ぎり、ねじり鉢巻きで、威勢よく
餅をつく男の人や物見客の群れのわきをすり
ぬけるようにして、もちいどの通りに入る。
なおも五分くらい南に向かうと、洋子が居
を定めたアパートへの路地に行き当たる。
洋子は近鉄奈良駅に向かうことにし、件の
路地を右に曲がった。
何度か、宇都宮の従姉と旅して歩いた道で
もあり、安心感も手伝って、洋子はぶ用心に
なった。
クリスマスソングに誘われるように、洋子
はあっちの店こっちの店にと、ふらふらさま
よい歩いた。
欲しかった厚手の上着とマフラー、それに
手袋をようやく買い求めると、あまりに人の
多い通りに嫌気がさしてしまう。
きれいな空気を吸おうと、興福寺の境内に
つづく坂道をのぼりだした。
坂がけっこう急である。
洋子は地面ばかり見て歩いた。
突然、秋刀魚を焼く匂いがした。
洋子は口もとに笑みをたたえ、顔を上げた。
生垣の上にちょっと首をのばせば、庭先が
見えた。
老婆がひとり、庭に七輪をもちだし、網の
上に秋刀魚を一匹のせている。
(いまどき、こんな風景に出会うなんて)
大昔にタイムスリップした気になり、洋子
はあたりを見まわした。
老婆はすぐに物陰に隠れるようにいなくな
り、秋刀魚は捨ておかれた。
生垣の中から、体じゅう薄汚れた白猫が忍
び足であらわれ、彼のえさになるのに時間が
かからなかった。
ふいに洋子の右肩がたたかれ、彼女はぎく
りとした。
痛くもなんともない、やわらかな触れ方に
洋子は怖さを感じない。
しぜんとふりかえった。
見たことのある男だった。
「どうして……、あなたがここに……?」
洋子は両手で顔をおおった。
足もとがふらつき、倒れそうになった。
男は洋子のからだを支えた。
「さわがないでください。いろいろ手を尽
くしましてね、あなたを探しました」
「はあ、もうなんと言っていいやら……」
洋子は男の歩みにまかせた。
そして思いだしたように立ちどまり、背後
を見た。
「いま、面白いものを見ましたよ。おばあ
さんが庭先で秋刀魚を焼いてらして……」
男もふりかえった。
「どこですか。中庭がのぞけるような家は
どこにもありませんよ。高い塀ばかりで、な
にか白昼夢を見られたんですね」
真面目な顔で男がいった。
「はくちゅうむ?」
「そうです。この辺りじゃ、昔からよくあ
る現象みたいでね、ほんまに古いみやこやか
らしょうがないやろうけど……」
いくらか額にしわの増えた西端修が、今に
も笑いだしそうな洋子の顔を、横目で見なが
ら言った。
今回も、本を読むように読ませていただきました。
細やかな状況表現で、洋子の歩く様がはっきりと目に浮かびました。
師走の賑やかな雰囲気も感じられます。
西端修が洋子の元に現れて、なんだかホッとしました。
西端に対する洋子の思いも、特別なものだったとわかりました。
白昼夢のお話は興味深かったです。
今日も、とてもいいお話をありがとうございます。