ナイトランなんて、恐くて、、、。

2017-03-03 22:35:09 | 日記
27日月曜日。
 昨日の分の写真を載せそこないましたので、ここで。あしからず。
 
 江戸時代の成人男子一日の歩行距離は十里が標準であるというから、だいたい39km。草鞋に脚絆に、、、と時代劇なり、火付盗賊改の一場面でも思い出してくだされ。爺さんは、hoka oneoneに、ワコールのcw-xタイツ、finetrackの衣類、salomonのトレランザックと至れり尽くせり。「ウルトラマラソンだあ!」と粋がっても(そんなことしませんが)、いったい、ヒトとして進歩したのやら、まったく確信が持てません。ザックの重さは、3日分の着替え、云々を詰め込んだので4kg超。トレランで鍛えている若人には何ともないでしょうが、爺さんにはこたえます。

 農協西三叉路から、玉江駅まで91.8km。しかも、時刻は、am08;00。速いランナーの走っている時間帯です。爺さんも、いっそ一気にナイトランとも思ったのですが、やはり、おじけずく、ためらう、、、。「記憶集」、ブログの完走記には、みなさん、恐い恐いと。まんいち、怪我して動けなくなっても人っ子ひとり通らない、救急車を呼んだら、それこそ「萩往還マラニック」が非難されよう。無謀な年寄、行きすぎたランニングブーム、運転免許も、マラソンも年齢制限を!と、マスコミのいい餌食は間違いない。

 玄海灘のある小島、爺さんが小学校1年生のころだから、昭和30年、もう60年前の頃、深夜に朝鮮半島からの密航船が接岸、すぐに発覚して、駐在さんの指揮で、水防団、消防団が総出で、公民館に「保護」。ほんとに小さなおんぼろ漁船に詰め込まれ、汗と潮に汚れて、目をぎょろぎょろさせ、ぼろのような衣類に、すえたにおいの男、女、子ども。今にして思えば、朝鮮戦争後の混乱下、生きるために懸命だったのでしょう。私の島だって、そう豊かではなかったが、子ども心にも、かわいそうだなと思えました。現在の「密航」とは? 北朝鮮の工作員の出入り、覚せい剤、金の密輸の洋上取引にかかわる闇の世界、、、鉢合わせしたら。粋がって、こんなところをひとりでナイトランなんて、とんでもない。老爺心とオ笑いなさるな。

 

萩往還ひとりマラニック(俵山温泉~玉江駅)

2017-03-03 21:23:15 | 日記
2月26日~28日、ひとりザックを背負って、萩往還マラニック250のコースを行きました。この5月、いよいよ本番なのだが、どう考えても、完踏できたとして制限時間48時間まぎわのゴールと見込まれる。とすると、道迷いによるタイムロスは、爺さんにとっては、即、関門時刻アウトにつながる。地図を持っていても、夜中に、しかも睡眠不足の頭で、読めるわけがない。コースを自分の足で、覚えておくしかないではないか。

26日、好天が続くとの予報。下関駅前からバスで俵山温泉まで。11月末に、上郷駅~俵山をひとりマラニックしたので、今回は、その続き。誰もいない道を淡々と進む。油谷大橋を渡りしばらく行ったところで、ガス欠気味。ちょうど、「焼き立てパン」の看板を見て、立ち寄る。ご主人と話していると、北九州八幡からの田舎暮らしの方であった。津和野に4年ほど暮らして、水害被害に遭われて、油谷に来たとのこと。週末の営業のもよう。やがて、海湧食堂へ到着。萩往還の試走と言うと、老夫妻がとても喜んでくださる。メモ用のボールペンを落として困っていると、ちびた鉛筆をくださった。ポケットに入れるのにちょうどいい。
 今晩の宿、久津の錦波旅館にザックを預けて、俵島へ一回り。16時30分には、旅館に入り、風呂をお願いする。客は、誰もいない。みんな帰ってしまって淋しいと、おばあちゃん。

 前回、俵山では、「草臥て 宿かるころや 菊の花」(破走庵倒勢)を得たのであるが、今は、水仙、椿、梅、ミカンであって、どうもしっくりきません。「笑点」を見ながら、ビールを飲んで、早々とよい子のお休みでした。