爺のつれづれくさ~『仰臥自由である羞(は)ずかしさ』

2022-07-18 12:13:19 | 日記
7月18日 前回投稿より早くもひと月。覗いてくださる皆様には心苦しいが、ネタが乏しくては、仕方ありません。ひらにご容赦を願います。

こちらでは、コロナ感染が増えており、既に町内会、校区の諸行事も中止が相次いでいます。佐賀嘉瀬川での筏の進水に立ち会いたかったのですが、遠出遠慮。進水は成功したようです。

暑さに負けてラン距離は稼げずに、ゴロゴロの日々。グータラ娘が横で寝るので、夏の湯たんぽです。どこかに行け!


ゴロゴロしながら、正岡子規『仰臥漫録』を少しづつ。眠りに落ちるまでの10数分。5月に改版がでた。いろいろと引用されることの多いので、既知の文章もありますが、通して読むのはは初。子規が病(脊椎カリエス~結核菌に骨が侵される)で寝たきりながら、我が文学史上の大仕事をしたのは、学校で教わった通り。その亡くなるまで1年間ほどの日記。


よく刺身を食べていますね。カツオ、マグロ。明治34年9月。東京の下町、庶民にどうやって魚が手に入るのか。爺さんの子供の時、木製ブリキ張りの氷塊を入れる冷蔵庫があったが、明治にこんなものがあったかどうか。
明治34年9月3日 『昼 粥三椀 鰹のさしみに蠅の卵あり それがため半分ほどくふ、晩飯のさいに買い置きたるわらさをさしみにつくる 旨くなし 食はず』
思わずうなってしまいましたよ。

7月17日『朝日歌壇』 我孫子市 松村幸一さんの歌 高野公彦選3席
      『子規よりも六十余歳も永らえて仰臥自由である羞ずかしさ』

選者評「没年(数え年36歳)まで病床に伏して偉大な業績を残した子規への畏敬の念」 、とあるが、松村さんはもう百歳近いお方のようだ。このウイットとユーモアと健康さと、、、かくありたいものです。


お隣の五所川原市 戸沢大二郎さん。
      『我が家の次の番地はりんご園下草刈ればむせ返る夏』
「みちのく津軽ジャーニーラン」(266㎞)の皆さんは、今頃、津軽平野のリンゴ畑を見ながら走っているはず。リンゴの色着くころには行きたいなぁ。

夕暮れ時が、爺さんは家事が一息ついて走り出す頃です。外環状道路下、向こうの山は宝満山です。


ナイキのフリーラン5,0が、ソールにひびが入るほど使いましたので、代わりにラン足袋「無敵」を手に入れました。慣れないと無理がくるようです。はい、このとおり。



どういう効果があるのか、わかりませんンが、『無駄なことは何一つない』という言葉にすがって、あがいておりまする。では、また。