たわごと~産業カウンセラーとして~

資格取得後もまだまだ研鑽の日々です。勉強会で感じたことを中心に、日々思う事や季節のことレシピまで自分を表現する日記です。

根拠のない「ありがとう」

2011-01-19 20:17:08 | 日々の雑感
先週、セミナーのお手伝いでワールドカフェを体験してきました。

ワールドカフェとは、カフェのようにリラックスした雰囲気の中で、テーマに集中した対話を行います。
否定はせず、すべて受け入れるという姿勢でです。
話すだけではなく、目の前に模造紙を置いて、対話で感じたことなど好きなように、言葉や絵を書くこともします。
4,5人の少数のグループで行うので、全員が自分の思いを話すことができます。

最近、ワークショップのようなセミナーに参加することが多いのですが、そこで、いつも、同じような会話になります。

「ありがとう」を心がけている、と言っている人がとても多いことです。

当たり前のことにありがとうと言う・・・根拠がなくても(最近「根拠のない…」が気に入っています)「ありがとう」と言う・・・または思う…
おはようの代わりに「ありがとう」
いただきますの代わりに「ありがとう」
根拠はなくても「ありがとう」は気持ちよいことなので、心にとても良いことです。

今回のワールドカフェでは、究極の「嫌いな人にありがとう」という気持ちを持ってみたらどうなるかという話をしてみました。

みんな、最初は「え~無理」と言っていましたが、もし気持ちはなくても、笑顔でおはようとか、自分から先に言えたら、もしかするとそれから何か変わるかもしれない、そうだよね、やってみて悪いことはないから、試してみようかな、という話で盛り上がりました。

いいですね、何かいい流れがきているかなと感じました。
私は、いい意味でのアセンションを信じているので、いい連鎖が広がっているというのをすごく感じました。

ワールドカフェは、今、企業でもとりいれられています。
人が人の意見を聞くこと、目を見て話すという、当たり前のことが求められているのではないかと思いました。

これからの世の中、良くなるように動いていると思います。まったく根拠はないけど(笑)

今年の目標

2011-01-06 12:30:52 | 日々の雑感
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

今年からTwitterのつぶやきを表示設定してみましたが…
けっこうくだらないことばかりでどうかと思いましたが、日記だから、ま、いいか…

新年に掲げた今年の目標は…
「まわりの人をどれだけ元気にできるか」ということを楽しんでやる事です。

まわりを明るくできるかは自分が常に元気でいること。負の感情をためこまないでいること。
自分の元気を分けられるくらいの明るい「気」を持つことが目標です。

その修行?の一環として家族にどれだけ笑顔をみせられるか…もちろん無理してではなく、自然に笑顔になるということです。

これは、簡単なようで難しいと思うのです。
他人には、頑張って嘘でも笑顔でいられることはできるかもしれません。
でも、いつもそばにいる家族には、そうはいかないですよね。

その家族に無理してではなく、本当の笑顔を見せることができれば、他人にさえも自然な笑顔で接することができると思うのです。

マザーテレサも言っていました。
世界平和を考えるのならば、先ず、自分の家族にやさしくする事です。

自分のエゴやこだわりが一番強い家族。
こだわりを手放すには、そこからだと思うのです。

朝は「ぶっちょうづら」のやつが多いですが、明るい声と笑顔でやっつけてやろう!と思う年始です。

今年もよろしくお願いいたします。


今年のふりかえり

2010-12-31 09:46:34 | 日々の雑感
大晦日になってしまいました。
まあ、だいたいの掃除とか終わったのでいいか…

今年の私の漢字は「魂」です。
な~んていうと、またまたあやしい感じがするのですが・・・

「魂」を揺さぶられる出来事があり(いい事ではないよ)、それによって感覚を大事にすることができ、揺るがない心の軸を実感できたこと。
それは、潜在意識や無意識の中にある感覚のようなものです。

心の中が100%とすると自分が意識している「今」は、3、4%程度だそうで、その他の潜在意識と無意識が96、7%もあるのです。
だとすれば、3%の意識が嫌なものであっても、そんなものにこだわることはない。
97%の中の大いなる可能性を信じることにしたのです。だって自分の中にあるのですから。

そうすると、な~んだ、こんなことたいした事ないじゃん、と思えることが多くなったのです。
ネガティブな感情がでてきても、すぐに軌道修正できるようになったのです。

97%にすごい力があるのだと思うと自分を信じることができます。まったく根拠はないのですが…
根拠のない自信って必要かもしれないです。
何かが完璧にできてから自信をつける、な~んてこと、きっと生涯できないでしょうから。

いいんです。根拠なんかなくったって、自分の感じていない97%はすごい可能性があるんですから。しかも人は誰でも。
そう思うとワクワクしませんか?

来年も起こることすべてを楽しんでいきたいと思います。
勝手な思いばかりの「たわごと」ですが来年もよろしくお願いいたします。

誰にでもできる仕事の価値

2010-12-17 18:19:50 | 日々の雑感
誰にでもできる仕事に価値を見出すって難しいことでしょうか。

先日、母がもうすぐ「80」になるからと自分で決めて仕事を辞めることにしたようです。

ずっと医療系のヘルパーのような仕事をしていたのですが、体力的にも大変ということで、
70過ぎてから近所のマンション清掃の仕事をみつけてきて働いていました。
何か働いていないとダメな人なので。

午前中だけなので、たいした報酬があるわけではないのですが、なんだかずっと楽しそうに働いていました。

辞めるということをマンションの方たちが知ってからは、お礼の言葉や品物までをたくさんいただいたり、小さいお子さんたちからは、絵を描いたお礼のお手紙をもらったりと、それはそれは惜しまれていました。
私は、お掃除のおばさんにそんなことまでしてくれるなんて、こちらのほうが感謝の気持ちでした。
そのマンションはいい人しか住んでいないのかと思ったりもしました。

清掃の仕事はきっと誰でもできる仕事です。
すぐに汚れるので、きっと評価も難しいでしょう。
誰にでもできる仕事だけれど、だったらあの人がいいなと思わせるもの・・・

それってなんなんだろう・・・

母をみていて思ったことは、なんだか楽しい、誰かわからないけど喜んでくれる人のために…という愛があるような気がしていました。

どうせ誰でもできる仕事なんだと思ってしまうか、何かの楽しさをみつけて愛をこめて仕事を行うかで、自分のモチベーションや仕事のパフォーマンスはまったく違うものになっていくのではないのかと思います。

世の中、誰でもできるめんどくさい仕事って山ほどあると思います。
でもしなければいけない…
どうせやるのであれば、私も「楽しい」ほうに一票です。

感情を選択するということ

2010-12-06 19:32:30 | 日々の雑感
もう師走・・・とはいえ、あたたかい日が続いていますね。画像は近所のもみじです。
ここのところ、セミナーや勉強会が多くたくさん書きたいことはあるのですが・・・

感情を選択するということ。

選択するということは、私たちに許された自由です。
「~~しかない」という、選択肢がないような事はないのです。
そして、感情はもっと自由です。

あるセミナーで多くの人は、日々、良くないほうの感情を選んで生きているようだと。不安、心配、イライラ等…
自分を大切にするということは、自分の感情も大切にするということです。
大切な自分をイヤな感情にのみこまれてたらかわいそうです。

人は危険から回避するため、不安や心配というネガティブは感情に傾くことは本能です。
でも命が危険にさらされていないのであれば、良い感情を選択することはできないでしょうか。

自分にとってどうにもならないこと。
たとえば他人の行動や言動。たとえば過去。
自分が頑張っても変えられないものは心にいれない。考えても仕方ない事だからです。

「~~をしなければならない」という思いには、あまりやりたくないという感情が潜んでいます。
「仕事をしなければならない。」ではなく「私は仕事をする。」
今やることは、自分が選択してやっているという意識を持つことです。

「~~をやらさせられている」「~~された」という思いは被害者意識になり、ネガティブに傾きます。
「あの人にこんなひどいことを言われた」を「あの人がこんなひどいことを言った」では、少し客観的にみれて、ネガティブに「10」傾くところが「8」くらいにならないでしょうか。
ほんのわずかな変化でもいいと思うのです。

ネガティブに心が傾くのは人間だから当たり前なのです。
わずかな変化からでも平常心にもどることが楽になれるようにできるのです。
自分はイヤな感情を選択しない…という意識だけでも変えられます。

大切な自分の感情、他人に操作されることはありません。
自分で決めてあげたいですよね。

伝わらない言葉

2010-08-11 13:23:40 | 日々の雑感
最近、昔のある知り合いに会って話をする機会がありました。
感情的に考え、行動する人で苦しんでいる様子だったので、カウンセリングの話など少ししたのですが、まったく否定的な感覚をもっていました。
そんなのはきれいごと…と言わんばかりの…

きっと感情的になっていたので仕方ないのかもしれませんが、えっ??という考え方だったので、幸せになるためには、自分を見直してみようよといったら、この感情的になる自分が大好きで変わるつもりはないというので、それ以上はなにも言えなくなりました。

そう、きれいごと…私もうすうす、自分はきれいごとばかりを並べ立てているのではないか…と感じていたので、こういう人に今、会った事は、なにかのメッセージではないかと考えました。

自分は今まで負の感情を抑えてきたわけではなく、それを認め、コントロールするように努力を重ねてきた…見方を色々と変えてきました。
そのおかげでもあって、悪いほうへ物事を考えることが少なくなり、自分の中にしっかりとした「何か」があり、揺らぐことがないと思っています。
またまたこれも、言葉では言えない感覚の領域ですが…

でも、その人は、そんな私を無理をしているんでしょうと言います。
そうですね、その人の枠組みからみれば、そんなのうそだし、無理して我慢しているとうつったのでしょう。

その人にはまったく私の言葉は伝わらなかったのです。
やっぱり感覚的なものは、言葉で伝えられない…まだまだですね。

言葉が難しいのは、伝わる、伝わらないは、相手の受け取り方によるものだからです。
わかってはいたけど、そうだいろんな人がいるんだと、またこのように考える人のほうが、本当は多いのではないかと改めて見直す機会をもらったんだな~と感じました。

カウンセラー仲間や、私の周りの人とのやりとりで、物事を悪いほうへばかり考える人があまりいません。これはもちろんありがたい事ですが、常々、本当は何か違うんじゃないか、と漠然と思っていました。現実の世の中は、もっとどろどろしているものであふれているんではないかと…

じゃ~私に何ができるのか…う~~ん、まだなにもできないな~
とすれば、自分。もっと研鑽していこうっと…

「ぶれない」自分

2010-07-11 12:42:12 | 日々の雑感

先日、テレビで、「宮里藍」ちゃんが、「ぶれない」自分を話していました。
最近、私もぶれてない自分を実感していたので、そうそうと思いながら共感して聞いていました。

「ぶれない」自分とは、自分の中の軸がぶれない事。それはあるがままの自分…
すべての自分を認めることではないかと思うのです。

「自己嫌悪」や「劣等感」を持つという事は、自分はもっとよい人間、もっとできる人間と過大評価をしている事で起こるそうです。
きっと気づいていない無意識の領域でですが…

まあ、自分は自分をよい人間だと評価したいですし、ダメな部分は見たくないのが本音でしょう。
ダメなところを認めると、「ダメでもいいんだ」と、そのまま本当にダメな人間になってしまうのではないかと思うような気がしてしまうものです。

でもそれは、まったく違うのです。

まず、ダメなところをきちんと受け入れると、反省が生まれ、謙虚にもなります。
反省し、こうしたらいいかなと改善する気持ちになる…ちょっとでも頑張れたら、自分をほめてあげられる…そして、自分のダメを認めると、人のダメなところも許せるようになる…許せると人との関係に変化が現れます。

そんな変化が、少しずつ自分を好きになることができるようになる…よい循環はよいものをどんどん生むように気がつくと、あるがままの自分でいられるようになるのです。

ですが、これには、かなり苦しい作業が伴います。

今、問題にぶつかったり、何か苦しい状況にあるとすれば、その時が大きなチャンスです。
まわりや他人がどうと考えて苦しむより、同じ苦しむのならば、自分の中にある問題に目を向けて苦しんだほうが、本当の意味での解決に繋がっていくのです。
そしてなにより、自分自身が楽に生きられるのです。

親と子の共生(ともいき)

2010-02-19 14:48:24 | 日々の雑感
先週、kさんから思いがけず入場券をいただき、法然共生(ともいき)フォーラムin横浜へ友人と行ってきました。
kさんありがとうございました。友人もとても喜んでいました。

来年は「法然上人800年大遠忌」なのだそうです。浄土宗ではその記念事業のひとつとしてこのフォーラムを全国で開催しているそうです。
共生(きょうせい)を「ともいき」とよび、共に生きるすべての「いのち」を慈しむ。あたたかい呼び方だと思いました。

横浜開催でのテーマは「親と子の共生(ともいき)~太古と未来の絆」という壮大なものです。

講演は脳科学者の茂木健一郎氏でした。
やっぱりお話しはおもしろい!テレビよりもさらに本音でお話ししてくれたようです。

脳の若さをはかるには…という話しからはじまり…脳が若い人というのは、「不確実性を楽しめる人」だという事です。
明日、何が起こるかって決まってないですよね。それを考えて不安になるより、もしかしたら楽しいかもしれないと思える人のほうが若い脳であるようです。
どうせ「かもしれない」という話しなら私も「楽しい」ほうに1票ですね。

そして現代は、効率を重視し、「めんどくさい事」から逃げてしまう人が多いのではないかと…
脳科学的には、「めんどくさい事」をしたほうが脳が若返る…アンチエイジングに効果があるそうです。
どちらかというと女の人のほうが年をとっても若々しいのは家事をしているからではないかと言っておりました。
ご主人が家事を手伝わないと嘆くより、「むふふ…私だけアンチエイジング」と思って家事をやったら、楽しいでしょう。私もそうしよ!

「めんどくさい事」は色々ありますが、最たるものは実は人間関係であると。そう子育てにしてもです。
だからなのか、最近の統計では、子どもをいらないと思っている若い人が60%を超えてしまったとか…
子育ても、人間関係も、めんどくさいを超える素敵な「あるもの」があるんだけど、そこから逃げていたら、その「あるもの」に気づかずに終わってしまうのに…

そのあと、ディスカッションでは、キタキツネの生態を研究している竹田津実氏、西舘好子氏(日本子守唄協会代表)、宮林昭彦氏(浄土宗僧侶)に茂木先生も加え、親子はどうあるべきかの談義で盛り上がりました。
キタキツネの親子話し、おもしろかったです。

そして奇しくも昨日の勉強会は「親業」でした。

さてさて、明日はフラウネッツの恒例となったSOHO/在宅ワークセミナー
今年は埼玉県男女共同参画推進センターの委託事業です。
はじめて「さいたま新都心」に行きます。
また、多くの方にお会いできることがすごく楽しみです。

認知心理学にふれて

2010-01-27 22:23:11 | 日々の雑感
先週、勉強会ではなく別件の仕事だったのですが、大学で「認知心理学」にふれてきました。

認知心理学とは、視覚、知覚や考える、コミュニケーションなどについて研究する学問です。
研究なので、すごくむずかしい…
データの収集から分析解釈まで行うので、分析には統計の手法を使います。
なので、変数??数式?これは数学??で、あ~無理…って感じでした。
大学の心理学は(今回ほんの一部ですが)やっぱ難しいのでした。で終わってしまいそう…

ですが、その中で視覚システムについてはすごく興味深いものでした。
以前、逆遠近錯視について書きましたが、錯視は脳が錯覚して見ている現実です。


よく見る左の図は、多くの人には右がつながっているように見えます。
でも正解は左なのです。定規を当ててみるとわかるのですが、正解がわかってもなんかそうは見えない…



実は、現実のもの(外界の世界)と心で見えているもの(心の世界)は同じではない…こともあるという事です。
もちろん同じものもありますが、自分が見ているもの全てが現実ではない可能性もあるということです。

ということは、心の中の現実、心的現実のみに囚われている必要はないのです。

心に苦しいものを抱えている時、客観的に見ることが重要です。
客観的に見るということは、物事を心で見ないで、事実のみを見ることです。
それが見方を変えるということにつながっていくのです。

明けましておめでとうございます

2010-01-02 15:10:41 | 日々の雑感
明けましておめでとうございます今年もよろしくお願い致します。

元日からすばらしいお天気でした。
昨日長男が撮ってきた写真でごあいさつです。
ベイブリッジのスカイウォークからの初日の出だそうです。
寒かったのですごく空気が澄んでいてきれいだったようです。
ランドマークに並んでる富士山もいいな~

そのあと子供達はおばあちゃんの家に行ったので、私達も合流してみんなで近くの神社に初詣をしてきました。
今年もおだやかなスタートではじまりました。




今年、大きな目標は掲げてないですが、色々なものの見方ができる柔軟な心、多くを受け入れられる器を広げていくことを目指していきたいです。




こども達はその後、またまた横浜まで行って月の出まで撮ってきたのです。元旦の満月だったそうです。→