たわごと~産業カウンセラーとして~

資格取得後もまだまだ研鑽の日々です。勉強会で感じたことを中心に、日々思う事や季節のことレシピまで自分を表現する日記です。

論理的思考と勘

2010-03-31 19:44:48 | 勉強会
最近、気づいてしまった事。

心理学の勉強をしていると「なるほど、ふむふむ納得」という事は感じているのですが、分析や統計、研究となると「あ~だいたいはそうかもしれないけど、絶対じゃ~ないでしょ、当てはまらない人だっているはず」という気持ちになってそれ以上素直になれない自分に気づいてしまったのです。

私はどちらかというと論理的思考は苦手。(つまり頭は良くない←わかってますって)
だから物事を組み立てて話すということも苦手なのです。

自分の思いをうまく語ろうなんてすれば、それはまったく伝わっていないような感じの時がよくあります。
そこで思ったのは、これ(論理的)は自分に合わない無理な方法なんだと思ったのです。

じゃ~どうしよう…
カウンセラーの原点にもどると、受容(傾聴)、共感、自己一致。
そう、傾聴…聴く事。
クライエントの話しを聴いているだけで、「この人は共感してくれている、心を開いてくれている」ということを伝えるということは、すべて非言語によるということです。

非言語とはそのままですが、言葉ではないもの…
言葉ではない感じる何かってありますよね。
人を識別する時は、顔のみではないはずです。
その人のまわりにある雰囲気という目に見えないもの、気配とかもありますよね。

そう考えた時にカウンセラーの方向性が見えてきました。
フォーカシングやゲシュタルトなど、感覚的カウンセリングを行うものが自分に合っているんだろうなと…
内観も少し近いかな…

私は、どちらかというと、これまで「論理的思考」の対極にある「勘」とか、「感覚」で生きてきたのかもしれません。
感じる事を重要視するカウンセリングを極めていきます。

ファシリテーション力

2010-03-15 07:36:41 | 勉強会
昨日、産業カウンセラー協会神奈川支部の月例会に参加してきました。

テーマは「ファシリテーション力をつける!」
ゲシュタルトの時にお世話になった岡田法悦先生のセミナーだったのですごく楽しみにしていました。

ファシリテーターとは、会議やミーティングなどの司会進行でうまく会議を進めていくために会話の中心的存在だと思っていました。
が…ちがう…昨日の講義で、まったく違うイメージを持ちました。

岡田先生なりのファシリテーションという事でしたが、「今、ここで起きている事を言葉にするだけ」というゲシュタルト的な考えを持つものでした。

最初の心構えは、メンバーを信じる事。信じるというのは、メンバーは「全員考える力のある人である」ということを信じる事です。
この人はいい意見をいうとか、この人はダメとかを考えない事です。

カウンセリングでいう、「クライエントは直る力を必ず持っていると信じる」と同様の考えです。

「教える、やらせる、しきる」事をしない…
結果ではなくプロセスを重要にしながら「ひきだす、参加者にまかせる、うながす(提案)」事をするのがファシリテーターの役割です。
ある意味、カウンセリングの心構えを学んだようでした。

それにしても専門用語など使わない岡田先生のセミナーはわかりやすいし、一般企業のセミナー依頼が多く、とても効果があるというのはすごく分かる気がしました。
先生の究極の?企業研修は、レジュメもない、テーマもない、初めは何もない3日間の研修があるのだそうです。
参加者主体で何もないところから、何かを生み出し、参加者の気づき、行動変容までもっていくそうです。すごい!の一言です。

講義だけのセミナーはしない先生なので、少しのロープレははさむのですが、セミナー参加者は、みんな産業カウンセラーです。
ロープレのようなことをしてもみんな傾聴がうまい、フィードバックもうまい、実際の現場はこんなわけないぞ、と変な戒めのような気持ちをもっている自分に気づきました。

なんか壁があるのか?!

グリーフカウンセリング

2009-12-04 21:25:06 | 勉強会
前回の勉強会も書かないうちに12月の勉強会がやってきそうなので、早く書かないと…

グリーフとは、喪失体験による心の影響やそのことで身体に現れる反応です。

喪失体験とは、大切な人を失う、「死」というものだけと思いがちですが、人生は喪失体験の連続であるということです。
失恋、離婚、失業、定年退職、老化…
それとは逆に結婚、新築、入学、入社など、良い面ばかりが見えるものでも、以前の生活を喪失するということでもあります。

喪失体験とは、以外に身近なものなのです。

グリーフの理論もたくさんあるのですが、すべてを紹介できないのでわかりやすい理論から…

グリーフには段階があります。
はじめは「回避」(喪失を認めたくない)→次に「直面」(強い悲しみ、怒り、罪悪感など)→最後に「適応」(大切な人などがいない世界で生きていくこと)という段階に至ります。

この直面の段階がもっとも苦しく、悲しみの感情だけでなく、原因についての怒りや恨み、自分のせいなのだという罪悪感など、どん底まで苦しみます。
これは誰もが避けたい、逃げたいと思います。認めたくないという「回避」の気持ちになるのはとてもわかります。

具体的な例をご紹介いただいたのですが…
ある事故で子供さんを亡くされた家族が、母親には最後の姿を見せるのが忍びないと、最期会わずにお葬式をすまされたのですが、いつまでも死を受け入れたくない「回避」のところでとまってしまい、心の病になってしまったそうです。
ご家族の気持ちもとてもよくわかるのですが、辛いお話しでした。
「直面」はとても辛いことですが、ここを通り抜けないと「適応」ができないものなのだそうです。

では「適応」するにはどうすればよいのでしょうか?
グリーフからの回復というのは、喪失が大きければ大きいほど回復はありえないそうです。
でも、そこに人生の意味を見出し、これからの人生の再構築を行っていくということです。
「喪失の意味」をみつけるってどうやって?
それは個人それぞれの意味があると思うので、難しいことです。深いです。

今回の講師はご夫妻なのですが、7歳の息子さんを白血病で亡くされ、大変な苦しみの中、お二人でグリーフの勉強をされて、グリーフワークなどのセミナーを開催されています。
マインドビジョンでセミナーのご案内をしています。

SK法(グループ・アプローチ)

2009-09-19 16:54:14 | 勉強会
めずらしく体調をくずしまして・・・

2,3ヶ月前から、玄関、キッチン、リビングと大掛かりな模様替えをしていて、最後リビングの壁面収納家具を組み立て、先週ほぼ終了となったら、今週より調子が悪くなり・・・
昨日友達がきて「これひとりで全部やったのぉ!?そりゃ具合悪くなるわよ!」と・・・そりゃそうなんです。
まあ、かたずいていくのが楽しかったんですもん。


掲題の「SK法」とは、グループアプローチのひとつです。
今月の勉強会で体験してきました。

多く知られているアプローチには、下の2つがあります。

■「グループエンカウンター」ロジャースによるもので課題等なくフリートークの中で交流を深めるというものです。
「構成的グループエンカウンター」は國分康孝先生が開発したもので、ファシリテーターが課題を与え、感じた事考えた事をシェアリングしながら心のふれあいを目指します。

SK法の具体的な方法とは。

1、目を閉じて歩く。
2、偶然のペアを作ってお互いの事を話し合う。
3、6人くらいのグループになり、ひとりの人に他の5人からそのひとりを理解するための質問をする。
4、自分の事を知ってもらうためにグループの仲間に自分の話をする。
5、お互いの印象を交換する。

日本での対面カウンセリングについて、今ひとつ難しいところを感じている中、グループアプローチは、日本人に合うかもしれないと感じています。
教育研究からSK法は生まれたので、今でも教育場面でよく使われるようですが、産業の場面でも新人研修等で有効であるようです。

人は自分の事を話したい。理解してもらいたい。という気持ちが必ずあるものです。
それを難なく出せる人にとっては、特に必要ではないかもしれませんが、奥ゆかしく(日本人の気質でしょうか)自分を出せないままにいる人にとっては、有効なアプローチであるとは思いました。

ですが・・・いつも思うのは、このようなアプローチを体験する時というのは、みんな心理学を勉強されている方ばかりだし、自己開示を積極的にしておこうとしている方ばかりしかいません。
ただ、どうでしょう、一般的な感覚として、素直な気持ちで、すんなり受け入れられるんでしょうか。違和感ってないでしょうか。
ほんとうに消極的な人にとっては、どうかな?かえって心の負担になってしまわないかなとも思いました。
でも、それを受け入れてもらえるような「ファシリテーター」にならねばいけないんですよね。

私は、どうだろう?シェアリングの時に歯の浮いたような事を言っている自分に違和感を感じてしまいました。まだまだです・・・

先日、表参道で目隠しをした人を道で誘導している姿を見かけ、あれ?あれ?と思っていると、他にも沢山そんなペアがいました。
エンカウンターの中の「トラストウォーク」というアプローチです。
大人ばかりだったので、どこかの企業で研修かなと思って、キョロキョロ見てしまいました。やはり産業の場面でも活用されているんだな~~

企業におけるメンタルヘルスの現状

2009-05-29 15:08:32 | 勉強会
今月の勉強会についてです。

今回のテーマは、「中小企業におけるメンタルヘルスとキャリア開発の現状と課題」でした。

現場のお話しにはいつも厳しい現実を見せつけられます。
働く事は生活の基盤であるし、ある意味生きる事と同じくらいの意味を持ちます。
仕事も多様化、働き方も多様化していく中、働く現場における人間関係も複雑になっています。

今、そんな中、企業におけるメンタルヘルス対策はかなり進んでいるようです。
とても良い事ですが、まだまだ多くの問題も抱えています。

社内にいるカウンセラーには、なかなか相談しにくいとか、外部の心療内科を利用すると産業医や、人事等との連携が個人情報などの問題などうまく機能できないなど、なんか時代の矛盾を感じてしまいます。

せっかく社内にカウンセラーがいても、会社には知られたくないという気持ちで敬遠してしまう…
守秘義務があるので、知られる事はないのですが、一般的な感覚では、悩みを会社の人に言う事に抵抗感があるようです。
私も今だったら利用してみたいと思いますが、前だったらきっと利用したくないって思ったでしょう。
今、思い出しましたが、若い時に働いていた職場だったらぜ~ったいに利用してないです。

…っていう人は、たくさんいるのでは…

とはいえ、手をこまねいているばかりではいられない状況です。今年に入って自殺者はすでに1万人を超えてしまっています。

今、仲間と何かできることはないかと模索し、検討中です。

コラージュ療法

2009-02-04 21:08:47 | 勉強会
2月になりました。テンプレートを変えてみました。
なんだか思うところがあって、なかなかブログも書けないままでいました。

アサーションの集まりに行ったあと、アサーションを使ってわがままを言っているような事例に、「それは違う、違うだろ~」と
心の中で思いながらいたのに、それを言えなかった自分。アサーションになってないじゃん。
アサーションの難しさをすごく感じてしまいました。

心理療法も色々ありますが、自分はどの方向を選べばいいのか、そろそろ考えています。

そもそも日本においてカウンセリングとは何なのか?
カウンセリングは世の中にどこまで受け入れられているのか…
なんていうのか、なにか、カウンセラーだけの空回りではないかとか…

とはいえ、勉強会には参加しています。

先週の勉強会はコラージュ療法を体験してきました。
雑誌やチラシなんでもいいのですが、自分の好きなものを選んで切り抜いて貼り付けるのです。



←は私が作ったものですが、ほんとに何も考えず、10分もかからず貼り付けたのですがこれが自分の内面?

左側が内的事象、右側が外的現実。

あとから分かったのですが、左側のピンクのビンはリキュールでした。
え?本能がお酒を選んだの?って私を知ってる人は笑えてしまう結果でした。
そんなに酒好きか~?!あと、食べ物の多い事!
私の心の中はいったいどんな事になっているのでしょう??
とにかく楽しそうで明るいねで終わってしまいました。

来週は解決志向ブリーフセラピーの第一人者でもある森先生の講座があるので参加してきます。すっごい楽しみです。


アイデンティティの確立~発達課題~

2008-05-06 12:47:12 | 勉強会
GWいかがでしたか?とうとうこのブログも丸3年がたってしまいました。
今年のGWは主人が仕事だったりで、恒例のみなとみらいも行けませんでした。
自由が丘でちょっとしたイベントがあったのでチラっと見に行きましたが、駅前はほとんど変わらずですし、ごちゃごちゃの混雑も相変わらずでした。
でも、その喧騒をちょっと抜けたところに古民家カフェの「古桑庵」があり、静かな空間でお茶を飲んでほっとしてきました。

前回の勉強会について書いていませんでした。
キャリアカウンセリングの観点から、発達段階、発達理論についてでした。
発達段階とは、色々な分け方がありますが、おおまかに乳児期、幼児期、少年期、青年期、成人期、中年期、老年期のようにわかれていて、身体的な成長や環境の変化の段階です。
その発達段階には、それぞれ発達課題があって、心の発達が大きなものです。

その発達段階の中の重要な発達課題は「アイデンティティの確立」であるといいます。
アイデンティティの確立とはいったいどういうことでしょうか。
わかりやすく言うと、「自分は何者であるか」あなたは誰?と問われてはっきりと答えることができることです。
自分をどれだけ見つめているかということです。
なので、人生設計、職業の選択では重要な事なのです。
エリクソンによると、青年期における課題であるといいます。が・・・皆さん、どうでしょう?

実は、この問いに私自身はっきりと答えられず、ドキッとしました。というよりガックリきたといったほうがいいかもしれません。

最近、だいぶ心に余裕ができるようになった事が、成長した事だと満足してしまっていて自分を振り返る作業を怠ってしまっていたのではないかと痛感してしまいました。
最後のフィードバックの時にも言ったのですが、年をとっていく事にあきらめることなく、まだまだこれから心の発達はできる可能性はあるし、課題だっていくらでもあると気づきました。

やっぱり常に意識していないと成長はできないということですね。

不幸は幸せ?ベートーベンの生涯

2008-03-05 22:19:09 | 勉強会
画像は「オキザリス」という花です。
本当は、真冬の雪の中も咲いていてくれた花なのですが、名前がわからず、なかなかアップできなかった花です。
せっかくなのでアップしました。

先日、2月末に勉強会に参加しました。
今回は、「なぜかシャンソン」という事で、講師の方がシャンソンの歴史のお話や実際のシャンソンを
聞かせていただいてきました。。
私がシャンソンを語るのはおこがましいので控えますが、心の本質を歌できいたような気がしました。

私は先生のプロフィールの中で、紹介されたひとつの本にちょっと釘付けになってしまいました。
ロマン・ロラン著の「ベートーベンの生涯」の一説を紹介していただいたのです。
ここに引用したいと思います。

※思想もしくは力によって勝った人々を私は英雄と呼ばない。
私が英雄と呼ぶのは心に拠って偉大であった人々だけである。
彼らの中の最大な一人、その生涯を今ここに我々が物語るところのその人がいったとおり
「私は善(ボンテ)以外には卓越の証拠を認めない。」
人格が偉大でないところに偉人は無い。
偉大な芸術家も偉大な行為者もない。あるのはたださもしい愚衆のための空虚な偶像だけである。
時がそれらを一括して滅ぼしてしまう。成功はわれわれにとって重大なことではない。
真に偉大であることが重要なことであって、偉大らしく見えることは問題ではない。※

偉い人ってなに?それってだれ?
まさに私が感じていたそのままを言葉にしているような一説でした。
もちろん早速買って読んでいます。
不幸と思われる出来事や運命は、実は幸福なことで、悩み苦しみ、それを乗り越える術は自分自身の
大きな財産でありその不幸を知りえない人は成長もなければ、気づきもないのです。
なので不幸な人ほど幸せなのだと・・・それこそが偉大な人であると・・・

今、不幸と思えても、乗り越えればいつかは幸せへの道へ続く事になるというのは、大きな希望
であると思います。
なんか深いな~~なんか不幸を喜んで受け入れていけそうな気がします。

この本を買った際、前から欲しかった「アインシュタイン150の言葉」も一緒に買いました。
機会があったら、その言葉も紹介していきますね。

ハコミセラピー

2008-01-21 07:20:07 | 勉強会
先週の勉強会についてです。

今回は「ハコミセラピー」の翻訳を多く手がけている手塚郁恵先生をお招きしてお話を伺いました。                                                                                                                                        
先生のワークでは、オーガニカルセラピーという名前でワークショップを開かれています。
オーガニカルとは、生きている、有機体のという意味だそうです。

ハコミセラピーがどんなものかほとんど知らずにお話をきいたのですが、今回は言葉で説明するのが
とても難しい~~

考えるのではなく感覚を感じる事を重視します。
頭で何かを考えるのではなく、感覚を感じ、自分の無意識の部分を引き出す事を目的としています。
自律訓練法のように、体中をリラックスさせて、感覚だけに集中すると、自分の中の深いところの声を
聞くことができるそうです。

この頃、無意識レベルの感覚的なセラピーに触れる機会がとても多いのですが、それを人に伝えようとする時、
置き換える言葉が見つからないのです。
言葉にすると、それを頭で考えるので、意識の領域に入ってしまいます。
なので、言葉にできないのです…と~いったら終わっちゃいますが…

私が感覚で感じた事を言葉にするとしたら、あ~これが本当の意味の自己一致か~~ということです。
なんとなくですが、これかな~と…この「なんとなく」が感覚の部分です。

人間は、誰でも良い部分もあれば、闇の部分も必ずあります。必ずです。
でも、その闇は良くない思いであるので、見ようとしないで心の奥のほうにおさえつけてしまったり、
目をそらしていることが多いはずです。自分はそんな人間じゃないと…
でも、隠しても無視しても、人間だから、時々意識の上にイヤな部分が出てくることがあります。
それを無意識の中に抑えつければ抑えつけるほど、自分をどんどん嫌いになってしまうのです。
そして苦しい思いをしてしまうのです。

その負の部分をも自分であると受け入れる事、こんなどろどろした思いを持っているんだな~と認める事。
もちろん、肯定も否定もしません。ただ、こんな風に心が感じているんだと味わうだけです。
不思議なことにただそれを認めるだけで、心が楽になり、他者を許せたりもするのです。
これが「あるがまま」これこそが、自己一致なのだと気づく事ができました。

カウンセラーとしての心構えも教えていただけたこと、次回にお伝えしますね。

「グロリアと三人のセラピスト」

2007-11-25 20:43:31 | 勉強会
前回の勉強会についてです。
「グロリアと三人のセラピスト」とは、「グロリア」という30歳の女性クライエントと、
来談者中心療法の「ロジャーズ」、ゲシュタルト療法の「パールズ」、論理療法の「エリス」
の3人がそれぞれグロリアをカウンセリングする様子をビデオに収めているものです。

養成講座を受講中に観た時は、うわ~本物のロジャーズだ~とかパールズだ~エリスだ~
なんて勉強中で名前だけは知っていたのでミーハーな気持ちで観ていたのを覚えています。
そして、ゲシュタルトがあまりにも攻撃的だったことに衝撃を受けた事。

今回は、やっぱり観る視点から違いました。

ロジャーズは、勉強したままのカウンセリング、おだやかなカウンセリング。
グロリアも安心して、沢山の話をしていました。
でも少し、物足りなさも感じてしまいました。

ゲシュタルトは、はじめて観た時とは違い、手の動きや表情を指摘するところなど、なるほど~
ゲシュタルトだ~とわかる自分に感激しました。
悩みなど聞かないという姿勢。悩みの原因である出来事は、実はたいして問題ではなく、その
問題に向かう心の中を重要視します。問題は変えられないとするならば、心の中を変える事で
楽になろうとする事。でも、攻撃的に見えたのでグロリアは怒りの感情もだしていました。

論理療法は、やはり論理的に非合理的思い込みを変えようとする療法です。はじめて観た時は、
よくわからなかった論理療法でしたが、グロリアが一番悩んでいる事の、非合理的思い込みを
みつけて、違う見方を諭していくやり方。なかば強引な印象もうけましたが…

観終わった後、みんなでフィードバックをしたのですが、はじめて観た方の「ゲシュタルトに
衝撃をうけた」という意見を聞き,多少(?)傾倒している私にとっては、あれがゲシュタルト
のすべてでなないのよと説明しても、現にパールズ本人が行っているカウンセリングなので、
あまり効力がなく、ゲシュタルトの祈りまでも、つきはなした印象であまり心に響かない
ような言葉を聞いて、私が逆にショックをうけてしまいました。

最後にグロリアに感想を聞いた中、みんなの予想とは違い、3つの療法の中でゲシュタルトをもう少し
うけてみたいという感想があり、すごく興味深かったです。

次回の勉強会は、私が少し興味を持っている内観療法についてのビデオという事で楽しみです。