やっぱり、一応完結の「ミニスクリプト」までは記事にしないと…
「ミニスクリプト」とは、人生脚本のミニ版という感覚です。
人生脚本を根底から変えていくのは、かなりの熟練を要するというので、このOKでないミニスクリプトに気づき、それをOKミニスクリプトに書き換えることで、OKでない人生脚本にも変容を与えていこうとするものです。
もちろん、OKの人生脚本には視点を合わせていません。
その中で、前回書いたドライバーに気づくことが大切になってきます。
OKでないミニスクリプトは、自分を駆り立てるドライバーがあり、そして、頑張っているドライバーを止めてしまうストッパー(これは無意識の禁止令)によって結果、自分はダメだという感情に落ち込んでしまうのです。
前回の例でいうと、ドライバーが「一生懸命やれ」で隠れた禁止令(ストッパー)が「健康であるな」だとします。
たとえば、仕事を一生懸命やりさえすれば、認めてもらえる、ストロークがもらえると駆り立てられるように頑張っているとします。
いつも一生懸命の人は、周りにとってはそれが当たり前になっているので、いつも認めてもらえるわけではありませんし、ストロークがもらえるわけでもありません。
とすると、隠れた禁止令「健康であるな」がストップをかけ、体調をくずしたりします。
そうすると、心配されたり、声をかけてもらったりとストロークがもらえます。
あ、やっぱりこれだと無意識で感じてしまうわけです。
もちろん自分では、病気になりたいわけでもないのですが、これがストロークをもらえる手段だと無意識の禁止令が働いてしまうのです。
でも、最終的には、頑張った事は評価されず、病気になって「大丈夫?」というストロークは、本来欲しいものではないはずです。なので、やっぱり自分はダメだと落ち込んでしまうのです。
そこを変えるためには、ドライバーに気づき、そこに「許し」を与えてあげるという事なのです。
ドライバーが「一生懸命やれ」ならば、「一生懸命やったのなら楽しんでもいいんですよ」という許しです。
ドライバーはいつまでも一生懸命することしかできません。
「~してもいいんですよ」という許しを自分に与えることです。
そこから少しずつの脚本の変化がおとずれるのです。
私も最大のテーマは、「許し」です。他者も自分も許すことです。
先ず、自分から「許し」を与えることで変わることができると思うのです。
「ミニスクリプト」とは、人生脚本のミニ版という感覚です。
人生脚本を根底から変えていくのは、かなりの熟練を要するというので、このOKでないミニスクリプトに気づき、それをOKミニスクリプトに書き換えることで、OKでない人生脚本にも変容を与えていこうとするものです。
もちろん、OKの人生脚本には視点を合わせていません。
その中で、前回書いたドライバーに気づくことが大切になってきます。
OKでないミニスクリプトは、自分を駆り立てるドライバーがあり、そして、頑張っているドライバーを止めてしまうストッパー(これは無意識の禁止令)によって結果、自分はダメだという感情に落ち込んでしまうのです。
前回の例でいうと、ドライバーが「一生懸命やれ」で隠れた禁止令(ストッパー)が「健康であるな」だとします。
たとえば、仕事を一生懸命やりさえすれば、認めてもらえる、ストロークがもらえると駆り立てられるように頑張っているとします。
いつも一生懸命の人は、周りにとってはそれが当たり前になっているので、いつも認めてもらえるわけではありませんし、ストロークがもらえるわけでもありません。
とすると、隠れた禁止令「健康であるな」がストップをかけ、体調をくずしたりします。
そうすると、心配されたり、声をかけてもらったりとストロークがもらえます。
あ、やっぱりこれだと無意識で感じてしまうわけです。
もちろん自分では、病気になりたいわけでもないのですが、これがストロークをもらえる手段だと無意識の禁止令が働いてしまうのです。
でも、最終的には、頑張った事は評価されず、病気になって「大丈夫?」というストロークは、本来欲しいものではないはずです。なので、やっぱり自分はダメだと落ち込んでしまうのです。
そこを変えるためには、ドライバーに気づき、そこに「許し」を与えてあげるという事なのです。
ドライバーが「一生懸命やれ」ならば、「一生懸命やったのなら楽しんでもいいんですよ」という許しです。
ドライバーはいつまでも一生懸命することしかできません。
「~してもいいんですよ」という許しを自分に与えることです。
そこから少しずつの脚本の変化がおとずれるのです。
私も最大のテーマは、「許し」です。他者も自分も許すことです。
先ず、自分から「許し」を与えることで変わることができると思うのです。
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