木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

畦道街道の確保

2024年05月02日 05時05分07秒 | 耕作放棄地

畦道街道との表現はチト過激かも知れないが、本質的には異なってはいないかと思う。つまり畦道が街道としての役割も持つ場合もあり得るのだ。ご存じだろうが田畑は全面が耕地では無く、周囲の隅に緑地部分が存在する。地域によって異なるだろうが、概ね鬆十センチ~1メートル弱程度の幅で「畦」と呼ばれている。私有地の一部なんだが,事実上は公有地的な扱いをも受けている。つまり「畦」より奥の農地所有者にとって、この畦を通行しないことには自分の田畑に進入出来ないのだ。

まあ、お互い様ということで、農家同士は暗黙の了解の下、相互の通行を黙認している。そうでないと事実上農作業は不可能となってくるのだ。原因は全部の農地が公道に接してはいないという、悲しき現実にあるのだが、嘆いても始まらない。通行は黙認するとして、維持管理は誰が・・・・・・・・・と言う懸念はついて回る。これも地域差があるかも知れないが、当地では基本地権者(耕作者)が管理をとの慣例に。

``

我々が関与している農地群は3名の地権者が存在する。無論、維持管理をも含めて我々に丸投げ状態なので、我々が畦管理に当たることに。それはまあ良いのだが、作業の都合上タイミングが外れてしまう事が無きにしも非ずだ。通行者は、今通行なのだが、管理が遅れヤブ状態の畦道も。時間的に早めの作業をと心がけてはいるものの、間に合わない事例も存在する。耕作者としては耕地部分の管理が優先し、畦道部分は後回しとなるのは否めない。

子狸の管理部分にもそうした事例が発生し、通行者である師匠や師匠夫人が草刈りに・・・・・・といった事例も発生して赤面することも。何とも恥ずかしい次第だが、体力が追いつかず、作業が遅れてご出馬を仰ぐことも時折に。

刈払機を始動させ、数十分振り回せば済むことなんだが、タイミングの遅れが発生しがちなのは老化現象の一端なのだろうか。気分的には自称若者で通してはいるが、現実を見据える必要がありそうだ。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする