今日は少し早く帰ってきましたが、モデルまで持つかな?
ということで早めの更新です。
2004年、仕事なんだか油売りなんだかわからないように狂ったとき、
苗穂駅でいつものとかち撮影などしようとしていて振りかえると
明らかに異様な姿のキハ182-9が居ました。
工場に入場してきた車がまず止まる線かもしれません。
記録によると、2004年8月16日
時間は恐らく午後3時くらいでしょう。
これはその3日後
8月19日。
取り入れ線から移動していました。
裏から見ても解る事故?痕。
明らかな
HIT痕
こちら側はサボ受けも捲れ上がっております。
両サイドともに車体高さ中心部の同じようなところの損傷が激しく
なにか両開きの扉のようなものにぶつかって引きづったのでしょうか?
潰れるにしても、相手は見当たりませんでした。
当時書類上は札幌運転区配置・とかち色・黒インレタのナンバーを持つキハ182-9
その数日後の8月22日
工場の奥に取り込まれていました。
これを最期にこの車を見ることはありませんでした。
1981/09/04新潟鉄工所新製
量産一次製造の2ロット目として製造された車まではわかります。
廃車は2005/03/18
この日から半年以上先に書類上の終焉を迎えたようです。
幌はどうも真っ当に立ち上がっており、何故か両角が潰れております。
錆の様子から事故後7日程度以内は経過していそうです。
実はこのとき既にキハ182-35など3両が苗穂工場に運用終了で留置されており、それらは2005年~2006年除籍でした。
後から来たこの破損車は先に除籍されるのも当然かもしれません。
ただ、この年はほかに目立った廃車物は無い様子で、当時は既に事故除籍を一台位してもどうにでもなったくらい波動用も豊富にあったのかもしれません。
この前後はといいますと、6,7,8は有名な簡易運転台の100番台に改造。
10、11、12、13などはとかち末期までフィニッシュした車です。
11などはいまも札幌に転属してオホーツクで生存しています。
いずれ当時釧路区で、若番キハ182の多くが釧路区に集められ、とかち増結車として活躍していたのですが9だけが車籍上札幌区でありました。
(しかも当時、若番キハ182は国鉄色を除きHET色となっており、キハ182一桁のとかち色は9のみである事は解っていたので、結構追いかけたつもりだったんですね)
それゆえに当時、撮影がなかなか出来ずに穴となっていたのですが、やっと見られたときにはこんな姿。
ちょっと残念でした。
何度か出している昭和56年改正のこの編成の5両目がキハ182-9のようです。
この車、あくまでも老朽廃車で発表されているようで、事故廃車で辿っても出てきません。
しかし、修繕したとは考えにくいものです。
↑札幌区内でなにがあったんでしょう?