鉄道模型工作記録帳

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続続々・2004年のキハ183系

2010-12-14 21:07:00 | 模型工作雑ネタ日誌

今日は少し早く帰ってきましたが、モデルまで持つかな?
ということで早めの更新です。

2004年、仕事なんだか油売りなんだかわからないように狂ったとき、
苗穂駅でいつものとかち撮影などしようとしていて振りかえると


明らかに異様な姿のキハ182-9が居ました。
工場に入場してきた車がまず止まる線かもしれません。
記録によると、2004年8月16日
時間は恐らく午後3時くらいでしょう。


これはその3日後
8月19日。
取り入れ線から移動していました。
裏から見ても解る事故?痕。


明らかな


HIT痕
こちら側はサボ受けも捲れ上がっております。
両サイドともに車体高さ中心部の同じようなところの損傷が激しく
なにか両開きの扉のようなものにぶつかって引きづったのでしょうか?


潰れるにしても、相手は見当たりませんでした。


当時書類上は札幌運転区配置・とかち色・黒インレタのナンバーを持つキハ182-9

その数日後の8月22日

工場の奥に取り込まれていました。
これを最期にこの車を見ることはありませんでした。

1981/09/04新潟鉄工所新製
量産一次製造の2ロット目として製造された車まではわかります。
廃車は2005/03/18
この日から半年以上先に書類上の終焉を迎えたようです。

幌はどうも真っ当に立ち上がっており、何故か両角が潰れております。
錆の様子から事故後7日程度以内は経過していそうです。

実はこのとき既にキハ182-35など3両が苗穂工場に運用終了で留置されており、それらは2005年~2006年除籍でした。
後から来たこの破損車は先に除籍されるのも当然かもしれません。
ただ、この年はほかに目立った廃車物は無い様子で、当時は既に事故除籍を一台位してもどうにでもなったくらい波動用も豊富にあったのかもしれません。

この前後はといいますと、6,7,8は有名な簡易運転台の100番台に改造。
10、11、12、13などはとかち末期までフィニッシュした車です。
11などはいまも札幌に転属してオホーツクで生存しています。
いずれ当時釧路区で、若番キハ182の多くが釧路区に集められ、とかち増結車として活躍していたのですが9だけが車籍上札幌区でありました。
(しかも当時、若番キハ182は国鉄色を除きHET色となっており、キハ182一桁のとかち色は9のみである事は解っていたので、結構追いかけたつもりだったんですね)

それゆえに当時、撮影がなかなか出来ずに穴となっていたのですが、やっと見られたときにはこんな姿。

ちょっと残念でした。

何度か出している昭和56年改正のこの編成の5両目がキハ182-9のようです。

この車、あくまでも老朽廃車で発表されているようで、事故廃車で辿っても出てきません。
しかし、修繕したとは考えにくいものです。




    ↑札幌区内でなにがあったんでしょう?


続々・2004年のキハ183系200番台

2010-12-14 01:56:00 | 模型工作雑ネタ日誌

今は午前1時です。
よーやく本日の仕事から解放。
流石にこのままモデルやらないで年は越しませんが、ちょっと・・・
「吐き気がするほどねむ・・い。」

と言うことで。
簡単に書きます。

2011年の自分が呆れるくらい、2004年のこむめは「とかち」を中心に183系を追い続けていました。
残念なのは「撮り潰し」を目的とし過ぎていたため、編成写真が極めて少ないことです。
まぁ、ネガフィルムだったので、勿体なかったんかなと。
でも、改めて書き記したメモと写真で、とかちの編成例を記しておきたいのです。

2004年2月14日のとかち2本(間違いなく2号と3号)です。
新札幌で撮影しています。
この編成も「あれ?」と思う組合せのものです。

釧路側先頭車キハ183-208(釧)
全検あがり1~2日と言うところかと思います。
これほど綺麗な車体はあまり見ることが出来ません。
現在は函館で波動用です。


2号車はキハ182-224(札)
考えてみても、これだけ大量のスターキャストが居たとかちですが、
2号車はキハ182-200はたった4台なんですよね。
G車も使用できるのは506、507、508、9の事実上4台であり
レギュラー札幌運転区担当編成は4組で検査もこなしていたことになります。
と言うことは流石に全本使用では無いでしょうから、運用回しは4組分3本使用だったと見て構わなさそうです。

一方釧路分は書けば書くほど多彩なレギュラー陣でした。
まぁ、その後の運命では札幌レギュラー組8両のうち、生存できたのはキロ9のみでした。


3号車 キロ182-9(札)
この平屋キロ9は実は完全にとかちレギュラーでした。
オホーツクに入る隙は殆どなかったはずです。
なぜオホーツクセットに入れ・・・た・・・?


4号車 キハ184-7(札)
おっと。
これは珍しい。といえる固体です。
札幌運転所のキハ184は7と8が残っていましたが、概ね波動用でした。
定員が少ないからそうなるでしょう。
札幌区にキハ183-500が多く存在していましたからその相手でもあったと思うのですが、ここでは単独でとかちに入りました。
電源エンジンは使わなくても良いはずなので、ここには「単純にランダム入れ」だったのか、それとも両先頭車のどちらか電源不良だったのか?

それでも検査上がりのキハ183-208が居るのでやはりちょっと不思議です。


5号車キハ182-4(釧)
このキハ182-4は案外稼働率が高かったようですね。
今回、RMMにチョイスしたのもこれですが、やっぱり印象が強かったんでしょうね。
この日の7連の増結2両については札幌1台、釧路1台の組合せですね。
昨日の例でも釧路2台とかこのパターンでキハ182-45が入っていたり、函館2台と言うパターンがあったことは見えますが、函館は札幌貸し出しですので事実上札幌区2台のこともあったということですが。

しかし、7両で増結が釧路&札幌の場合は漏れなく札幌のものが4号車、釧路が5号車の縛りがあったようです。



6号車キハ182-513(釧)
釧路区の札幌寄り2両目専用であるキハ182-500はキハ182-504、キハ182-505、キハ182-506、キハ182-513でした。
今はすべて函館で400番台化されています。
あれ?4台じゃないか。札幌分と同じじゃないか?
と思われますが、これにキハ184-2がありキハ183-501と組んで札幌寄り2両を勤めていましたので、5組。そのほかに昨日紹介したキハ182-100なども入っていたことから、5組以上の台数を札幌寄りに持っていたことになります。


7号車キハ183-1551(釧)
こちら側の先頭車はキハ183-1551~1553とキハ183-101、キハ183-501の5台の用意でした。

新札幌で上記を過ごすとまもなく

西の里信号所新札幌寄り500mくらいの地点ですれ違ったとかち2号が来ます。
2004年2月14日


釧路側先頭車キハ183-210(釧)


2号車はキハ182-225(札)

3号車 キロ182-507(札)

4号車 キハ182-108(釧)
キハ182-100は3両改造されましたが、最期まで稼動していたのは106と108でした。
107は釧路でずっと寝ていました。

5号車 キハ182-502(釧)


6号車キハ183-1551

最期に札幌側が特徴的だったレギュラー組合せのひとつ。

2004年6月11日ですが、
キハ183-501(釧)
キハ184-2(釧)
キハ182-108(釧)
キロ182-9(札)
キハ182-224(札)
キハ183-207(釧)

この編成、札幌側3両でひとつ編成が成立していますね。
この組合せにキハ182-108(釧)とキロ182-9(札)の間にきは183-1550番台を挟むと、
「釧路から来た4連に帯広で3連を増結した特急おおぞら」
に見えることになります。
これ、偶然にもキハ182-100が予定通り使用されていれば、こういう形で札幌に上がってきたという形になります。
おおぞらは当時7連で札幌に上がり、帯広で3両増解結する予定でした。

この編成では半数以上がミャンマーに行き、いま残っているのがキロ9だけですね。




    ↑寝ます。眠いです。