明後日から出張でして。
机かたしていたら若旦那から送られてきているSLが目に留まりました。
夕張の機関車手すりも悩んでいたし気晴らしにちょっと手をつけようかと言う
「いつものつまみ食い」
D51が2台
C58が1台
C57が3台。
「何するんだったっけ!?」
D51は497に仕上げるはずで、製品でばびっと良いのが出ちゃったけど、あとは塗装だけのはず。
大仕掛けは終わっている。
C58は1号機@やまぐち号だったかな?
C57は確か新津の時代に仕上げろと言われていたはず。
じゃ。
あそんじゃお。
新津の時代の写真は何葉か貰っているけど、とりあえずお勉強。
へー。
屋根延長はやまぐち号の時ではないのね。
メーカーズプレートは無し。
形式の無いプレートね?
あ、時期は知らないけど、縦ドイが写真2枚で場所変わっている。
どうもあとの発掘で上のほうが「運転席側は」後期らしい。
助手席側は下の写真のように張り付きが近い。
お召しの時。
微妙にナンバープレートの位置が違いますねぇ。
縦線は停止位置決定ガイドだそうですよ。
やまぐち号になったらメーカーズプレートも復活しているものの、タブレットキャッチャーも追加されているものの、形式プレートのモノも場所もちがうもんの。
お召しの時はライニング多数&ロッドが珍しい色の緑ですね。
1967年と見える画像では、クルクルパーがデカデカと鎮座しています。
格好が決して良いとは思えない。
気のせいか、正面プレートが上ずっています。
ああ、やっぱり上ずっている。
かなり格好悪い場所です。
でもクルクルパーが取り付けられていないので、1967年より前っぽい。
こんどはクルクルパーは無いですが、逆に取り外した後の模様。
同じ頃の姿かな・・・?
あれ?
クルクルパーは無いわ、プレートもハンドノブも全然違います。
ヘッドライトも白ぶちになっているんですね。
これはお召し後の姿と思いましょう。
直上の写真とは清管剤投入タンクの形が違うけど、気にしないで行きたいところ?
これもお召し後っぽいですね。
天賞堂の模型は、お召し後の姿のようです。
清管剤入れもちゃんと良い物が付いていてすごいですね。
ただ、区名札の場所が写真とは異なります。
清管剤タンクは銀河であったと思う。
だからそれを貼り付けるんですが、見てみるとNってランボードに縞目が無いんですね。
チープだけど、ここいじりきれるのは覚悟が必要。
資料とにらめっこ。
「どこで目の肥やし止めれば、完成させられるか?」
とりあえず、
最も車体状態が良いものから
ナンバーを撤去しますが、これも接着剤がはみ出しています。
ノミで削って
削って
瞬間接着剤を慎重に塗布して
削っていく。
気持ちよくこういうことが出来ると、弾みが付くのは今までのとおり。
作業的根気の予選通過の瞬間。
テンダもはみ出しまくっているので、これを機会に
総撤去。
きらーん!
おや。
石炭車はどっちが正解なのかな?
それともどっちも不正解?
というか
D51-497では石炭積み替えているから見た目合わせろといわれそうだ。
ま、眠いのでここまで。
↑流石に明日までに完成はしないであろう。