鉄道模型工作記録帳

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続・2004年のキハ183系200番台

2010-12-13 01:17:00 | 模型工作雑ネタ日誌

今日もいろいろ仕事なんだか調査なんだか。
モデルできずに今の時間。


こんな図面書いていたりして。
まぁ、簡単なもんなんでちゃっちゃと。
「これを辻褄合うように比率を変える作業」

だって、まともな寸法の無い図面からまともっぽく見える図面起こさないと成らないんだもん。
ヒントは総面積とドアの定尺を信じるのみ。

あ・・・・さてーーー。
と小林完吾バリのスタートです。

昨日の記事について
「よくわかんね」
「モデラーが苗穂の所作でもがき苦しんでいる」
「キハ20に興味持たなくて良かったねー」
「場所が違うのは解った」

「で?」

はい、そのとおりでございます。


この編成のことを書こうとして、すっかり横道で終わった昨日。

これはある日のとかちですと言う記事に戻したいと思います。

RMMで発表させていただいたとかちも「ある日のきっとあるはずのとかち」であり、何年何月何日のとかちではありませんでした。

可能性のある所作のひとつです。

で、真逆にこの日のとかちを紹介してみましょう。


釧路側先頭車キハ183-210(釧)
特徴は昨日散々書いたのでパスです。
床下機器の色は、エンジンがグレー、吸気フィルター周辺が銀、あとは黒です。

煙突はこんな調子です。
細い土管状態でしょ?
配置は釧路運転所です。



2号車はキハ182-227(札)
ミャンマーに行ってしまった車です。


このエンジンが曲者でした。
汎用を目指して頓挫したエンジン。
結局鉄道では4台にしか使用されませんでした。
エンジンの色が3色に分かれています。


反対側です。
筒状の二本の物体はサイレンサーですね。
直六エンジンですからこちらにはシリンダヘッドがありません。


床下は黒ですね。


別日写真ですが3号車はキロ182-9(札)でした。
唯一の平屋キロとして今も活躍中です。




RMMでも書きましたが、こちら角に銀色の小さな手すりが見えますね。
この写真を元にアンテナとか手すりを作りました。


4号車キハ182-4(釧)です。基本的にキハ182-0番台が入ると言うのは増結扱いです。
最後の最後になりとかち運用終了後、とかち色に塗り替えられて札幌に転属。まもなく廃車となり釧路に廃車留置、ミャンマーに旅立ちました。


5号車キハ182-13(釧)です。やはり増結。今日は2台の増結だったようですが、基本的に5両の所定編成より増結を何台か行うほうが多かったのです。


この車もミャンマーに第二陣で旅立ちました。


6号車キハ182-505(釧)


この車はとかち運用終了後、エンジンをディチューンしてキハ182-405となり、函館区の波動用となっています。


7号車キハ183-101(釧)
とかち運用終了後にあえなく解体されてしまった車です。
輪切りにして工場を後にしました。


床下機器が灰色です。
そう、このとかち末期に床下機器の色が灰色から黒に変わっていった時期なのです。

あまり言われたことの無い事実かも?
最も遅く2007年まで101と102は灰色だったようなんです。
しかも廃車時は101が濃いブルー、102が苗穂ブルーとも言える薄いブルーでした。

103が濃いまま旅立ったので薄いブルーを纏ったのは102だけかもしれません。


これがある日のとかちです。
ほかのパターンも見てみましょう。


これは2004年7月15日のとかち4号。
先頭だけがキハ183-1553でしたが、記録によるとそれ以外は今回紹介した編成そのままでした。
札幌側先頭車だけ差し替えたものと思われます。


この編成は異なる組成で
2004年8月16日とかち2号とあります
釧路側から
キハ183-209(釧)+キハ182-226(札)+キロ182-507(札)+キハ182-5(釧)+キハ182-106(釧)+キハ183-1554(釧)
順番に・・・札幌転属、ミャンマー輸出、解体、ミャンマー輸出、ミャンマー輸出、札幌転属
であったようです。
キハ182-106の場所に本来、キハ182-500が入ることが専らだっただけに結構珍しい編成です。


これは2004年12月31日とかち3号とあります。
キハ183-207(釧)+キハ182-224(札)+キロ182-508(札)+キハ182-1(函)+キハ182-2(函)+キハ182-505(釧)+キハ183-1551(釧)とあります。
順番に・・・ミャンマー輸出、ミャンマー輸出、解体、ミャンマー輸出、ミャンマー輸出、函館転属400番台化、札幌転属
歳末応援編成ですね。


2004年7月14日とかち2号
キハ183-209(釧)+キハ182-224(札)+キロ182-9(札)+キハ182-5(釧)+キハ182-503(釧)+キハ183-1553(釧)
順番に・・・札幌転属、ミャンマー輸出、札幌在籍、ミャンマー輸出、函館転属400番台化、札幌転属


2004年7月14日とかち3号
キハ183-210(釧)+キハ182-227(札)+キロ182-506(札)+キハ182-504(釧)+キハ183-1551(釧)
順番に・・・札幌転属、ミャンマー輸出、解体、函館転属400番台化、札幌転属
ここの紹介例では珍しい?所定編成です。

2004年3月11日の苗穂停留では
キハ183-207(釧)+キハ182-225(札)+キロ182-9(札)+キハ182-10(釧)+キハ184-2(釧)+キハ183-501(釧)
と記録があります。
順番に・・・ミャンマー輸出、ミャンマー輸出、札幌在籍、ミャンマー輸出、解体、苗穂工場内で除籍放置中


この写真撮影時の記録です。
今考えればきちんと編成を撮影しとくんでした。


2004年3月2日の苗穂停留では
キハ183-209(釧)+キハ182-225(札)+キロ182-508(札)+キハ182-4(釧)+キハ182-503(釧)+キハ183-101(釧)
順番に・・・札幌転属、ミャンマー輸出、解体、ミャンマー輸出、函館転属400番台化、解体


同じく2004年5月8日の苗穂停留では
キハ183-217(釧)+キハ182-225(札)+キロ182-507(札)+キハ182-45(札)+キハ182-108(釧)+キハ182-5(釧)+キハ182-513(釧)+キハ183-1553(釧)
順番に・・・ミャンマー輸出、ミャンマー輸出、解体、旭山動物園号転用、ミャンマー輸出、ミャンマー輸出、函館転属400番台化、札幌転属
と記録があります。



8連じゃないですか。
今考えると8連の編成記録写真が無いんです。

それにしても重複があってイメージしにくいものの、「チームとかち」は完全解散し、殆どが余生になっていっているのは感慨深いものがあります。


    ↑それにしてもこの頃、よく通ったもんです・・・。
     これでもほんの一部なんですから。


2004年のキハ183系200番台

2010-12-11 23:52:00 | 模型工作雑ネタ日誌

3日も書かないとやばい。
それだけちょっとここのところ師走モードに入っております。

で、今時点でも工作に再開しておらず。
出張もいろいろわけあって延期中。

で、

コラム

です。

すごーーーーい、ややこしいこと書きます。
文章で説明しきれるかどうかわかりません。
覚悟してください(苦笑

2004年3月20日の「特急とかち」を舐め撮りしていたものから。
あれっと思ったことと、どうせRMMで記事書いたのだからその時代のことなどが書き残しておけばいいのかと。


撮影場所・苗穂駅 中線に止まるとかちです。
札幌に到着して再び帯広に向う前に、一駅だけ戻って苗穂駅の待避線でしばらく過ごしていたのです。
午後3時頃にしばらく停車するので、格好の撮り潰し対象となりました。
しかもこのように両脇が開いており、絶好だったのです。
今回はキハ183-210を釧路側先頭にしたとかち編成です。


その地点で回れ右すると、苗穂工場があって、このときはキハ183-215がオホーツク運用中に事故に巻き込まれ大きく潰れていた姿が長く見ることが出来ました。

上二枚の写真でお分かりもしれませんが、
215と210は向きが逆です。

215が札幌運転区所属で、210が釧路運転区配置。
どちらもキハ183-200番台ですが、
0番台時代
10が「1991年のスーパーオホーツク」用グレードアップ名目で改造。
15が「1992年のスーパーとかち」用グレードアップ名目で改造。
このときはまだエンジン改造されていませんでしたから、0番台の10と15ではあるものの内装が異なります。

直後1992年に
オホーツクグループのグレードアップ車がエンジン取替え改造で200番を付与。
1993年に
とかちグループのグレードアップ車がエンジン取替え改造で200番を付与。
210と215に成りましたが
運用は変わらず。

と。
既に矛盾が。
そう、2004年時点で逆に運用されているのですね。
2000年頃?運用グループを交換したようなんですね。

更にどちらも
1996年
オホーツクグループがキハ183形の業務用室を車販準備室に改造し、業務用冷蔵庫やコーヒーメーカーの設置、一部窓の閉鎖と方向幕の移設。
1997年
とかちグループがキハ183形の業務用室を車販準備室に改造し、業務用冷蔵庫やコーヒーメーカーの設置、一部窓の閉鎖と方向幕の移設。

となっております。

10と15は「結果的に同じ内容の改造が3次に渉ってされている」ものの、運用グループが異なり全て一年遅れで10を15が追随するという内容になっております。

「ややこしいこと書くなよ。だからどうした?」

ですが、
実は最後の改造が曲者でして、
「方向幕移設の移設先が微妙に異なる。」
という模型ファンとしては嫌な変化が起きているのですね。


もとの原型の方向幕はこのような場所です。
ちょうど業務用室の真上に綺麗に方向幕が収まっております。

「210と同じオホーツクグループで後日とかちグループになった207」(先日ミャンマーに輸出)の方向幕移動先を見てみましょう。

窓が埋められ、右側に「方向幕の縦センターが客窓の左端に来るくらいの場所に」移動しております。
これが「元はオホーツク用のはずなんだけど運用ラストまでとかちグループに居たキハ182-200番台」です。

では「とかちグループだったんだけどそっくり交代してとかち廃止までオホーツク運用に入るキハ182-200番台」の215などのグループを見てみましょう。

このように、業務用窓は埋められ方向幕は「方向幕は大幅に右に移動。窓ツラ縦ラインが合致するまで右に」ずれました。

大きな差でしょ???

(呆れるため息が聞こえます)

じつは既に、トミックスでオホーツクセットでこの形態が再現されておりますが、
その姿は
「とかちグループだったんだけどそっくり交代してとかち廃止までオホーツク運用に入るキハ182-200番台」の215などのグループ
です。

ですから、最新作の「とかち・北海道特急新塗装(白に朱とオレンジの帯)」の製品も、この位置のもので問題は無い。正解なんですね。

「最初オホーツクとして改造されて、とかち最後を〆たグループ」は製品化から外れているのです。
恐ろしいですねぇ。
何がって、トミックス開発陣のマニアックさですよ。
「知ってないと出来ないぜ!」
という絶妙なチョイスをしているんですもの。

ちなみにRMMで私が出展したのは217(これも先日ミャンマーに飛んだ)でしたが、この方向幕改造が間に合わず
「とかちで最後まで運用されたキハ183-200の中で、車販準備室改造車多数の中で唯一当該改造ではなく車掌室改造をしたグループ」でお茶を濁したのでありました。
要は

これの手前側のキハ183-200のスタイル。
製品の一方のキハ183-200のままだったわけです。
そう、わたくし・・・「ずるい発表」をしたのです。

最初、こんなに差があると思っていなかったんですね。
でも自分の資料見直して驚愕。
間に合わないので217にしたのでした。

217は釧路区で唯一、オホーツクセットに入っていたスタイルと同じ「車掌室改造グループ」だったんですよ・・・。

↑釧路区で和む217

さて、こちらサイドの様子は「うぜええええ」ながらも「差があるんだな」と言うことにしてください。

逆サイドはどうなんでしょ?

はい。

これが
「元はオホーツク用のはずなんだけど運用ラストまでとかちグループに居たキハ182-200番台(製品化されんかったモデル)」の逆サイドです。
何言いたいかお分かりですか?

「両側面で方向幕の移動量が違う」んです・・・・・。

こちら面は、方向幕の縦センターが窓の端部ラインに留まらず、もっと喰いこんでおります。

では
「とかちグループだったんだけどそっくり交代してとかち廃止までオホーツク運用に入るキハ182-200番台(製品化されたモデル)」はと言いますと・・・

「もっと方向幕が喰いこんで、窓端よりも車体中心方向に移動」してまーす!

あ?
どうでもいいですか?


方向幕を移動する羽目になった改造を行ったのは前述のとおり1996年と1997年の二次に渉ります。
このたった一年でなんでロット差が生まれたのかは解りません。
が、こーやって

「お重の隅を突いたら埃が出るわでるわ」

だったのでありました。

番号対比
キハ183-200
「元はオホーツク用のはずなんだけど運用ラストまでとかちグループに居たキハ182-200番台(製品化されんかったモデル)」
キハ183-207~ 210


「とかちグループだったんだけどそっくり交代してとかち廃止までオホーツク運用に入るキハ182-200番台(製品化されたモデル)
キハ183-211~ 215



「1990年にとかち用に電話室&車掌室改造したグループで217以外はキサロハ除外時にオホーツク用に転籍したグループ(製品化されたモデル)」
キハ183-217・218~220


補随(2010年12月現在のこと)
キハ183-207とキハ183-217はミャンマーに輸出
キハ183-208とキハ183-218は現在函館区に移籍して波動用400番台向電源車として在籍(なぜ違い形態を!?)
その他キハ183-209~210・211~215・219~220は札幌区に集結してオホーツク用として予備ジャブジャブで在籍(今のオホーツクは1台しかキハ183-200やキハ183-104が付かないのに、104を含めたら4形態が入り乱れるカオス状態!)

こんな記事、続いてよかですか?



  ↑原型キハ183-5の方向幕が気持ち、下方にある気がするのですが・・・


トラムウェイDD13をどうにかする7

2010-12-09 01:37:00 | 北海道の私鉄!


毎日毎日手すりに飽きて。

来るわけですよ。
手すり配管苦手だし。



ぐぱぁ・・・。
長手の手すりが熱でぐんにゃり!!!

冷えると半分くらい戻る。
小手近づけるだけでぐにゃりする。


とりあえずほかを片付ける。


ぐにゃり具合に困り果ててきた。


一旦切って繋ぐも


足付けでまたぐにゃり。

がああああああああああああああああ


結局取り去ってしまった ○| ̄|_


なんかだんだん雑になってきた気がする。


あああ。
どうしよう。
あとここだけなのに!!



  ↑どうしよう・・・。


トラムウェイDD13をどうにかする6

2010-12-08 03:12:00 | 北海道の私鉄!

深夜の悪巧み電話企画会議が終わったのが午前2時でございます。
「或る企画」が始まってしまうのか?

まぁ、自分は焚き付けただけと言う話なので、ブログとはまぁぁぁぁったく関係ないと思いますけど。


と言うわけで作業は軽めです。


手すり手すり手すり


ひたっすら
「手すり!」


ボンネット側面が曲げ終わりました。
小手を暖めるのが面倒なので今日は曲げるだけです。


ファン周辺も曲げ。


ですから、都合18本の手すりを曲げただけで、本日は寝ます。

これを半田すると金属工作が終わります。
案外、苦戦してすっきり行かなかったところがありますが、塗装して後は考えましょうや。

手すり半田が終われば、あとは一気にプラ部分の加工に入り

「出来れば日曜日に完成させたいな」

いやぁぁぁぁぁ、どうだろうなぁ・・・・・。
明日半田して、机をプラ仕様に掃除して整えて
木曜日深夜はプラ加工して
金曜部もプラにして
土曜日に一気に塗装・・・?
うーーーーーーーーーーん。



  ↑だって、13日には東京に飛ばないとならないんですもの。
   
今年の出張の多さは異常です。


トラムウェイDD13をどうにかする6

2010-12-07 01:43:00 | 北海道の私鉄!


ぼんねっとやるぞー


マジックインキの棒で馴染ませますけど


半田めっきして


張るだけですが・・・。
苦闘の様子がわかるかと。


苦悩。
結構苦悩。

いいのかなぁこれで・・・。


手すりですね、


ひたすら手すりですよあーた。


ちまちまちまちまちまちま


疲れました。


今日はここで終わりにしておこう。

めんどうでーす。



  ↑手すりが全てです。


鉄オタ的週末行動。

2010-12-06 00:26:00 | 模型工作雑ネタ日誌

チラ裏の真髄ですので、模型工作と言うのは微塵も無いです。


土曜の夜の豪華「ぶた」すき焼き。
単純に記録です。
すごい久々に。スキヤキ


その後ふらふらと友人と会うのに夜9時に家をでる不良中年。
某模型店経由、某レストランで模型談義。


友人MK・MY・KBら4人と模型談義。

翌朝

家族連れて札幌狸小路。


1丁目だからスカスカ。


クマー


ここで飯が食いたいんですと。北斗星がやや気になりますが


スパゲティーフジヤマと言う店。
札幌市中央区南三条西1丁目3-3 オサダビル 1F - 011-398-4668
結構有名店らしい。



なぜか各テーブルにエビオスがある謎の店。


豪快な調理風景


こんなメニュー。
来たのは
「昨日テレビに出ていたから」なんだと・・・。


「茹でてある」ぶっとい麺を掴み


なみなみと盛る


豪快に食材をぶっこみ


すごう強い火で炒める。


・・・・・。


豪快も豪快。
てかこれ一人前なんだって?


こしょー!


どんどん振られるフライパン


でてきた。

でけー-よ!


うわ・・ぶっとい!
2.2mmもあるんだと、
細麺志向の自分の本来の好みとはかなり違います。


いや・・・
カルボナーラ・・・?
巨大すぎる。
「チョモランマ」


「・・・・。」


ふとい。


べーこんでかい。


太い!


がんがん炒められる麺。
混んでんだもん。
テレビのせいか、女性客多し。


なぜかきんぴらごぼう食い放題。

残しても大丈夫。
持ち帰られます。てか推奨している看板もあり。
もちろん

「持ち帰りにさせていただきました」


スパゲティーフジヤマと言う店。
札幌市中央区南三条西1丁目3-3 オサダビル 1F - 011-398-4668

味は「見掛けは悪いが、味付けは結構オリジナル調合で案外いける!」です。
メーカーソースなどでの味付けあんまりなさそうです。
つまり結構オリジナリティが発揮されて、飽きにくいです。

まぁ、メガ盛の店ですけどね。



駐車場までの間にある札幌二条市場ってこういうところ。
よく観光客にイメージされる「市民の台所」ではなく、自分の子供の頃から「観光市場」です。
写真撮っていたら舌打ちされた。
「なんだ買わねぇのか」
別に邪魔してないと思うんだけど。

てか、

観光市場でそれは結構まずくないかね。
てか昔っからここはこういうところだ。

だから二条市場って
「気持ちよく買った事無いんだよ!」
ちょっとなんか買おうと思ったけど、やっぱり吹っ飛んだの巻。

口が滑らかになったところで
遥か北方、あいのさとの公民館で


友人YMの主催する団体の運転会参加。
いや、
ていのいい「ただ乗り」




「自慢会」
嫌な人です私。


その代わり触りたい放題です。




気が付くと、うちの娘が運転でフィーバーしてました。




しげしげと眺める友人YM


それをクラブ構成員氏から下から激写される友人YM
目線!目線!www


なにやら撮影している友人たち


まだ見ています。


初走行!


むふふ


快調!かと思ったら


あんれまw

脱線。


とうしばー


友人YMの新貨車工房機関車


かっちょえええ






これはアルナインだね




マル通


水島臨海風味。


実はちょっとお邪魔のつもりが、娘が楽しすぎたらしく、ずっと遊んでいるので遊んでいくことに。


事故が起きると、マスコミが駆けつける素敵な体制。


娘がすっかり馴染んでます。
ありがとうみなさん。

気が付くと

嫁が


無言で


壊れていました。


なんかずっとやってます。


壊れた。


おいおい。


事故が起きると・・・
マスコミが・・・。


まだ遊んでいます。
4時間経過。


マッタリモード。


友人MYもやってきて、友人MYの彼女やうちの娘と主宰が


建築遊びへ突入


おいおいww


模型談義も




いろんなもの走らせることをさせてもらいました。マル。



  ↑ドタバタ帰ってスンません。


トラムウェイDD13をどうにかする5

2010-12-04 04:14:00 | 北海道の私鉄!

どうにかしましょう。


関係ありませんが、定鉄の跡地です。
(石切山~藤の沢)


ここに走っていたんですけどねぇ・・・。
40年も前。


さて、今日の試み。
どーせ午前ゼロ時頃からイキナリ始める自分と友人MY
電話が無料同士にしているので、
ハンズフリーでつなげながら作業やってみました。

リューターの音、「ああ!?」というシャウトなど。

特に会話は無いんですが、もくもくと作業音だけがします。

どっちとも「手すり」を植える作業をしているんですよ。
ちまちまちまちまと。

電話の中から聞こえる声「基本、地味だからねぇ」
はい、本当に地味です。


穴を開けなおした部分はあります。


しかし、概ね0.3mm洋白線を曲げて

時には

ぐるぐると


曲げ曲げ


かっとして


同じサイズの手すりを作るっと。



こういう風に


ひたすら植えていく作業の連続。


背中張ってきました。

まだまだまだまだ手すりだらけなんですが、今日はもう気力が尽きました。


まだ屋根ハッチも片方だけですよ。

しかも手すりだらけっすよ。


手すりイメージ


イメージ。
てかDD13系って屋根がほぼフラットですね。

今回のDD1001はややRがありますが。


左手前
手すりのイメージ。
あ、ほぼ半円だ・・・。


ここまで出とりあえず終了。


ちかれた。

とぼやくと、電話から「え、もうやめるの?」


きっついなぁwww



  ↑つかれるぅうううう


トラムウェイDD13をどうにかする4

2010-12-03 03:21:00 | 北海道の私鉄!

今日、天変地異がいろいろありました。


朝6時44分。
札幌南部直下型地震があり、自宅から15キロほどの札幌ドーム東方が震源地でした。
あーびっくりした。

ゴゴゴ・・・ドカン!と来て終わった感じです。


びっくりですよ。


自分の家からものすごく近いんですもの。


しかも夜に帰宅したら




家の周辺が封鎖されていたという。

ガス臭が漂って区画封鎖されておりました。
(;´Д`)
しばらく外で待ちぼうけ。

何と言う日だろう。

あ。
ちなみに

これ、定鉄唯一の残存遺跡である石切山駅の室内です。
ここは昔駅務室でした。


この壁が昔の切符売り場窓口の壁です。

公民館に改造されて40年経過しています。


さて、開始です。


まず、この見えているグリルが左右逆だという指摘を受け
グリルのフィン数が多いものと少ないものが作り分けられていたのです。
ちなみに少ないのが左であり、
釧路開発鉄道移籍時にここが改造されて吸気口になっております。


剥がして


再半田。


これでよし。


こちらもOK


タヴァサの電車用手すりを用いて


片方のボンネットにハッチ用引き手にします。


ちょっと難関の屋根ハッチです。


切り出して往きます。
ばらばらにします。


曲げ癖をつけて


こうなります。
簡単そうで


ものすごい厄介なことになり


3時間も掛けて取り付け。

結構シビアでした・・・。面倒でした・・・。
それはまだ半田技術が無いからだと悟ります。


ここまでで既に午前3時。
もう寝なければ。

夕張炭鉱鉄道車両掛様
これは早晩・・・に成ると思います。

ひさしさん
自由に楽しめますよね。



  ↑
まだ先の話になってきましたね。


トラムウェイDD13をどうにかする3

2010-12-02 01:37:00 | 北海道の私鉄!


側面ハッチを貼り付けていきます。


枠を作って


クリップで挟んで


半田付け。

あのね、
サクッと貼り付けていますが、一発図面でなんでこんなに嵌りが良いんでしょう。
さすがプロ設計士としか言いようがありません。

おっそろしいばかりのビッタリ勘合です。

凄い・・・ここだけで立体感が増します。


切り出していきます。


切り出し切り出し。

てか、いま、いきものがかりの吉岡きよえのオールナイト聞いているんですが・・・
この子、かなり口も立つのね。
歌もちょっと・・・結構病み付きなんですよ。
くっそー・・・。

おじさん、この「いきものがかり」にかなり嫉妬しております。
若い癖に・・・。
ああ、悔しいな。
若いときもうちょっと努力しておくんだったな。

なんだかよくわからんのですが。若いこの子達に嫉妬しているのは自覚中。

昔なら素直にホルホルしていたんでしょうが、ホルホルするんじゃないんだね。
嫉妬するんだね。若さに。
おかしいな。
何のために自分は歳喰ったんだろうな。


半田鍍金します。


片面だけ。
貼り付けました。


おおお。


むーーー。


超かっこいい。



「今のところ」、世界でこの一台だと思うこのモデル。
かなり格好良いです。
格好良すぎるんです。




  ↑
テンション高田ぁぁぁぁぁぁ!!!


トラムウェイDD13をどうにかする2

2010-12-01 01:53:00 | 北海道の私鉄!

出張決定。
12月上旬。
今回は早足で過ぎ去る予定?


もう片エンド妻板を取り付けました。


特徴のひとつである、冬季防寒フィンが付いたラジエ-ターを作ってみます。


枠を切り取ります。


外側にこのように点々が付いています。


枠にします。


ベースに半田付け。
調子よく嵌ります。


フィンを切り取り


谷折します。


こちらが表面。


このように嵌めます。
え?なんか穴が見えるって?

それはね、ここには耐水ペーパーでも入れるんですよ。
と言うのはアレで。中のラジエーター本体を設計し損ねたとか。
今回はなんか考えましょう。


コレとほぼ同じものが入っているんですが、HOでも黒一色に見えるんじゃないかなぁ。


フィンが付いた様子。
このフィンは一個一個曲げて夏姿にすることが出来ます。
半分あければ秋?


ちょっと違いますが、このような状態が冬。


このように4段階で調整できます。


冬姿(元苫小牧D5603)


夏姿。(元苫小牧D5606)


雪の降らない名古屋ではフィンを撤去。(元苫小牧D5605)


このグリルの周辺は曲げが冶具が無い状態ですので少々歪んで曲げられています。


半田盛りまして


削りました。


半田付け。


まだ浮いているな。


一エンドだけ半田付け。


被せてみる。
なかなかいい雰囲気が出てきました。

ちなみにこの機関車は
http://rail.hobidas.com/photo/archives/2006/03/dd1002.html
こちらに現役時の写真があります。




  ↑眠い眠