埼玉県東松山市にある吉見百穴と松山城へ行って来ました。
場所はココです。
↓
グーグルマップ
吉見百穴とは、古墳時代に作られた横穴墓です。
凝灰岩の山壁に沢山の横穴があいています。
この一つひとつがお墓なのです。
横穴を除いてみると、
↓
両サイドが少し高くなっていますが、この棚の部分に遺体、副葬物を置いていたのだそうです。
ヒカリゴケが自生している穴もあります。
わかりにくいと思いますが、明るい緑色の部分がヒカリゴケだと思います。
吉見百穴と尾根で通ずる小高い山に、松山城があります。
(松山城のいわれについては、ウィキペディアを参照してください。)
私が知っているお話としては、武田信玄が松山城を攻めるにあたって、百穴のように、本丸の下まで横穴を掘ったというものがあります。
確かに、柔らかそうな岩盤です。
城趾の西側にある岩屋観音です。
↓
この裏山が松山城趾です。
岩屋観音の前には、河が流れています。
天然の堀ですね。
河の向こうに東松山の町が見えます。
森の中を登っていくと、山頂部に本丸跡があります。
奥の少し高くなっている部分が、物見櫓跡だと思います。
案内図を見るとわかるように、本丸、二の丸、三の丸などの間に深い空堀が張り巡らされています。
これだと攻めにくいでしょう。
木々が鬱蒼と茂るなか、人気も全くなく、まるで迷路のような深い空堀に降りた私は、どこから抜けられるのかわからなくなり、危うく遭難か、と思ってしまいました。
小城ですが、要害です。
場所はココです。
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吉見百穴とは、古墳時代に作られた横穴墓です。
凝灰岩の山壁に沢山の横穴があいています。
この一つひとつがお墓なのです。
横穴を除いてみると、
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両サイドが少し高くなっていますが、この棚の部分に遺体、副葬物を置いていたのだそうです。
ヒカリゴケが自生している穴もあります。
わかりにくいと思いますが、明るい緑色の部分がヒカリゴケだと思います。
吉見百穴と尾根で通ずる小高い山に、松山城があります。
(松山城のいわれについては、ウィキペディアを参照してください。)
私が知っているお話としては、武田信玄が松山城を攻めるにあたって、百穴のように、本丸の下まで横穴を掘ったというものがあります。
確かに、柔らかそうな岩盤です。
城趾の西側にある岩屋観音です。
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この裏山が松山城趾です。
岩屋観音の前には、河が流れています。
天然の堀ですね。
河の向こうに東松山の町が見えます。
森の中を登っていくと、山頂部に本丸跡があります。
奥の少し高くなっている部分が、物見櫓跡だと思います。
案内図を見るとわかるように、本丸、二の丸、三の丸などの間に深い空堀が張り巡らされています。
これだと攻めにくいでしょう。
木々が鬱蒼と茂るなか、人気も全くなく、まるで迷路のような深い空堀に降りた私は、どこから抜けられるのかわからなくなり、危うく遭難か、と思ってしまいました。
小城ですが、要害です。