郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

健康料理教室打合せ

2012年10月15日 | 日記







 昨日、納骨式に来られていた方から産みたて卵を頂きました。全然見合わないものでしたが渡すものがなく、義姉に渡すつもりのマロングラッセを代わりに渡しました。義姉からは和三盆落雁を頂きましたが返すものがなく、申し訳なく、またK先生と最期のお別れが出来、義姉に連絡頂いたお礼も兼ね、後日にでも同じものを送ろうと思いました。帰りに、食事を誘われましたが、思わぬほどの時刻となっており、今日の健康料理教室のレジメ打合せ資料が出来ていなかったのでお断りし、これまた大変申し訳なく思いました。
 今日の夕食は、














◆ハマチのお刺身 ◆新蓮根のエビ詰め揚げ ◆茄子の味噌明太子焼き ◆ほうれん草の胡麻和え ◆生麩の吸い物 ◆ご飯 

 昨日のキリスト教会で牧師の話は分らないことばかりであったが、頂いた資料の中で興味のある言葉が載っていた。少し調べて追記~
  
「ニューヨークの物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に掲げられている作者不詳の詩」
1) 大きなことを成し遂げるために、強さを与えてほしいと神に求めたのに、慎み深く従順であるようにと、気弱さを授かった。
2) より偉大なことができるようにと、健康を求めたのに、よりよき事をするようにと、病弱を与えられた。
3) 幸せになろうとして、富を求めたのに、賢明であるようにと、貧困を授かった。
4) 世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、神様の存在を気付けるようにと、無力さを授けられた。
5) 人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに、あらゆることを楽しめる命を、すでに授かっていた。
 求めたものは何一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられ、 自分は神様の意にそわぬ者であるにもかかわらず、心の中を言い表せない祈りに対し全て応えて貰えた。 (だから、)私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されていたのだった!。
[私:祈り→神:祝福→私:幸せ/神からの恵みを求めて祈り、神からの恵みを受け、生きている喜びを得、感謝し幸せを感じる~神からの恵み=救済の力]


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