だんだんと動きが遅くなって食事を作るのも遅くなってきました。それが自分でも分かるから老いの進み具合が不安になる。言葉もあれとか、それとかで出てこない。身体も少し違うことをしたら疲れがドバッと出てきます。立ち上がるときに「よいこらしょ」と自然に言葉を発して自分でも苦笑い。誰も周りにいないことを確認する。気候にも大きく影響される身体になっきた。先ず、気温の感度が鈍くなり、温度計に頼る。着る服も少し厚着になっているような気がする。けれど、身体には充分にその暑さが堪えていて不調につながる。何もしていないのに疲れたなと感じる。それらが1年、1年毎に強度が増してくる。若い頃との差を益々感じられる。寄る年波には勝てないと諦めてはいるものの一方でまだ若いと思いたがっている自分がいます。その鬩〔せめ〕ぎ合いが更に自分の心身にのしかかって悪い方に転がっていきます。親もそうだったろうなと思う。親は子に心配を掛けまいと否、親の威信でそういう素振りを見せないできたのかなと考える。私たちも多分、親と同じ振る舞いをするでしょう。子どもが年老いたら私たちと同じようにするでしょう。親とはそういう宿命を持った存在なのでしょうね。
◆鰺フライとミンチカツ ◆小松菜の塩昆布和え ◆胡麻豆腐 ◆空豆の翡翠煮 ◆味噌汁 ◆ご飯
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追記: 本ブログのメンテナンス日で2時頃に起きて続きを書こうと思ったが出来なかった。それで公開が遅くなってしまった。