郡保家の一日

極く有りふれた家庭です。その生活の一端を記録していきたいと思います。

柿の種

2014年11月25日 | 日記

 青果店で柿を買ってくると最近は種がない。幼少の頃は柿の木が畑に在って秋は柿がおやつだった。柿を一口食べて柿の実に黒茶の斑点が多い方が甘いように思えた。口の中で歯と舌で器用に種をつるりと出して地面に落す。果物は種があるから美味しいと言う英語のエッセイを読んだ記憶がある。口の中でモグモグと舌で種を探す、種を歯で噛んでしまうと異様な味に変わり最悪である。だから時間を掛けてモグモグと食べる。果実の味が口いっぱいに広がり、なお一層美味しく感じられる。そんな楽しみが今の柿にはない。柿の種と言えば落花生と一緒に入った種の形をしてピリッと辛い菓子がある。でも話題にしたいのは寺田寅彦の随筆集『柿の種』である。読むとチョッと面白い。それは多様な見方をしているからで柿と言えば食べられる実だけを思い浮かべるがその中には種も(それに、皮もへたも)あることを教えてくれる。「棄てた一粒の柿の種 生えるも生えぬも 甘いも渋いも 畑の土のよしあし」と最初の頁に書かれている。種の今後はほんのチョッとした運のありなしで変わってくる。  

 今日の夕食は、
















 ◆鶏肉のクリーム煮 ◆トマトのサワークリーム詰め・ブロッコリー・さつま芋のレーズン甘煮 ◆大根とリンゴのサラダ ◆昆布の当座煮 ◆ご飯
   ~ 出し汁で使った昆布を薄味仕立ての佃煮にしました ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勤労感謝してますか

2014年11月24日 | 日記

 最近、勤労感謝が夫婦間、親子間で足りないように思います。それは結果主義が蔓延[はびこ]ってきたからでしょうか。欧米流の能力主義と言ってもよいように思う。狩猟民族では当然のことかも知れません。農耕民族の日本人はじっくりと育てる我慢強さがあったように思うのですが、それが次第に失われてきている。プロセスが大事なのに結果だけを追い求める。それは一時的に、あるいは偶々[たまたま]偶然に思わぬ結果に遭遇し、皆から羨ましく思われるときがあるかも知れない。けれど、それは永続的には続かない。続くと思い、自分はインスピレーションが働き特別なんだ!才能があるんだ!と落とし穴に填[は]まり、自分本位になってしまう。それでは周囲と上手くやっていけない。会社の同僚、上司だけでなく、たとえば妻は夫の勤めによって生活が成り立ち、夫は妻の家事によって家庭が成り立ち、子どもは両親のその働きによって学ぶことが出来る。両親は子どもの成長を見て働く意欲を貰う。だから、それぞれが相手の勤労に感謝しなければならない。それを当然のことと見過ごしてしまっている。そうではないことを妻が主役の家庭内でそういう勤労に感謝する話を常にしていけば、子どもは大きくなって働くことを素直に受け入れ、負担に感じることはないのではないか。

 今日の夕食は、
















 ◆鰯の粒マスタード焼きと葱味噌焼き ◆牛蒡の八幡巻 ◆三つ葉とひじきの白和え ◆柿なます ◆ご飯
   ~鰤がなくて鰯で2種類の調理法で試作しました ~

 働かず、ギャンブルに依存する人が増えてきている!~11月17日のクローズアップ現代を見て…
 たとえば、賭け事への依存症はこうやって発生する。パチンコでも、競馬でも、ビギナーズ・ラックがあり、初めに大儲けをすると止められなくなる。賭け事を主催している胴元がおり、費用や胴元の利益を皆が賭けた総額(売り上げ)から差し引いて残りの金額を当籤者に割り振る。これを永久に続ければ当籤したとしても投資額は回収できない。そういう簡単な論理と計算が出来ない。感情に押し流され冷静な判断をする脳の働きが鈍くなる。それを賭け事依存症という病気に医者はしてしまう。すると彼は病気だからと病気の所為に逃げ込んでしまう。彼の周囲の人たちも彼は病気だからと甘えさせたり、もっと悪いことをしでかすのではないかと賭け事の元金を出してやったりするからさらに甘える。要は自立が出来ない大人になる。自立が出来る環境に放り出せば考え出す。悪いことをすれば自己責任ですし、賭け事依存していれば元金がないので出来ないので諦めざるを得ない。自身を納得させるために簡単な論理と計算が出来るようになる。そして普通の生活に戻ることが出来る。そのためには彼の周囲の人達が彼に対し鬼にならねばならない。鬼にならぬためには、日頃から賭け事をしても損するだけだと彼の脳に刷り込むことが必要なようです。 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もみじ谷へ

2014年11月23日 | 日記

 市ハイキングコースで上流の方へ川を遡〔さかのぼ〕って行きました。20分の所で支流がありその脇道に入って間もなく4,5メートルの小滝から水が活きよいよく流れ落ちている。何の変哲もない滝に名前が付いており、これを目指してきた人はビックリするが、それでも滝まで来た証として滝を背に記念写真を撮ろうとする。家人も頼まれてカメラのシャッターを押してあげていた。そこから見晴らしの良い場所へと木杭で作られた階段をひたすら登る。数人が下界を見ていたがそこが見晴らしの良い場所で在ったらしいが街が見えるだけで私たちは素通りしてしまった。頂上はキャンプ場があり、子どもたちと指導者が居て、子どもが自己紹介をしているように見えた。炊事場の近くに木のテーブルと長椅子が数卓あり、そこで早い昼食のお握りを頬張った。食べ終わった頃に先の子どもたちが炊事場に来たので腰をあげ、下り道へ進んだ。下りているともみじの赤々とした色が目に入る。その色に誘われるように行くとそこが通称もみじ谷と呼ばれる場所で多くの人が写真を撮っていた。私たちも写真を撮る。しばらくして少し降りるとスタート地点であった。約2時間半のハイキングでした。久々振りに自然に触れました。

 今日の夕食は、
















 ◆鶏もも肉のレモンあんかけ ◆ヤーコン金平 ◆小松菜の胡麻和え ◆刺し身湯葉 ◆ご飯
   ~ ヤーコンはシャキシャキしてサッパリした金平になりました ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

庭木の剪定

2014年11月22日 | 日記

 次の火曜日は可燃性大型ごみを出す日なので天気も良いし、庭木の剪定を家人がやり、私は切られて落ちた葉や枝を拾い集める役です。家人は始める前には今年は伸びた枝だけを切り、大雑把に簡単にやる予定でしたが、やり始めるとどうしても気になりだしていつも通りに丁寧に枝葉を切ります。それを私が指摘すると、自分が散髪屋さんに行ったら丁寧に小ざっぱりとして貰うと気持ちが良いように、木も同じだと思うと言います。私は枝や葉を切られるのは痛いので深く切らないでと嘆いているよと言いました。お昼も食べずに3時過ぎまで掛け、裏と表の庭木を剪定すると気持ちもサッパリとして心が軽くなったような気がします。自分たちだけによる庭木の剪定もいつまで出来るでしょうかとふと思いました。いつまでも1122で居たいものです。

 今日の夕食は、









 ◆春巻き
 ◆八宝菜
 ◆バンサンスー
 ◆ご飯



   ~ 春巻きの包み方を写真に撮りました ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家人が姫路へ

2014年11月21日 | 日記

 家人が姫路へ行き、娘と談笑してきました。娘のスマホに入った写真やビデオを見せて貰い、小旅行や大旅行の話を聞いて来たそうです。お昼を食べた後二人で、造花のお花屋さんに行ってクリスマス・リースを見ましたが、娘はこのようなリースを作りたいそうです。それから、またガーデングッズやパンジーなどを販売しているお店に行きましたが、何も買わずに帰ったそうです。玄関周りの庭をどう飾り付けるかイメージがまだハッキリしないので買えないと言うことでした。それから家人は今日の目的の頼まれた交通安全見守りの仕事に出掛け、娘は別の用事でその後すぐ出かけたようです。 家人は帰りに、兵庫但馬・出石に娘家族が行ったお土産(出石生蕎麦、太鼓櫓・そば饅頭)と珍しいヤーコンを頂いて帰って来ました。  娘宅の近辺はきれいに紅葉していたようです。 

 今日の夕食は、
















 ◆カツ・カレー ◆コールスローサラダ ◆ピックルスと干し柿のチーズサンド ◆オニオンスープ
   ~ お昼にカレーは食べますが、夕食なのでカツ・カレーに ~


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする