今日は、雰囲気を変えて、歴史の話を・・・。
少し前ですが、方広寺というお寺に行ってきました。
このお寺にある、梵鐘がぜひ見たかったのです。
この梵鐘は、歴史的に有名なもので、「大阪夏の陣」のきっかけの一つになったと言われているものです。
歴史ドラマなどで、何度も見たのですが、梵鐘に書かれていた文字が気に入らないと徳川家康や家臣が言いがかりをつけたのでした。。。
この説明書きによると、豊臣秀吉がなくなった後、秀吉の追善のために、息子の秀頼が作ったそうです。
しかし、実際には豊臣家の財力を消耗させるために、家康が作るように勧めたと書かれています。
作らせておいて、梵鐘に書かれている文字が気に入らないと言いがかりをつけたわけですね。。。
「国家安泰」と「君臣豊楽」というこの部分です。
「国家安泰」というのが、家康を分断するとか、「君臣豊楽」というのが、豊臣が豊かで楽になるとか言われて、けしからんということになったわけですね。
もともと、徳川としては、豊臣家をつぶす方策を探っていたのでしょう・・・。
徳川の時代、江戸時代にはこの梵鐘は山の中に放置され、雨ざらしになっていたそうです。
何となく、古びてボロボロになった感があります。
明治になって、今度は徳川が悪者になって、豊臣秀吉がもてはやされたそうで、この梵鐘も日の目を見ることになったようです。
天井に描かれているのは、有名な伏見城の女性の化粧室の天井のものだと書かれていました。
もう一つ、行きたいところがありました。
大仏殿跡です。。。
秀吉が奈良の大仏に負けない大きな大仏を作ったらしいです。
何度も焼失したようですが、再建されて昭和48年まではこの場所にあったそうです。
残念ながら、その年に火災で焼失してしまったようです。
何となく、そんなニュースがあったような気がしますが、よく覚えていません。
秀吉のことなので、多分すごく大きな寺院だったことでしょう。。。
今では、思いもつかない空き地となってしまいました。。。