ころんぼdiary

転勤族の夫にくっついて全国を旅する日々の記録

福島プチ旅行-6-

2015-11-12 | お出かけ(その他)
前回の記事から少し時間が空いてしまいましたが、福島旅行のつづきです。

飯盛山で白虎隊記念館、戸ノ口堰洞穴、さざえ堂と見学した後、白虎隊のお墓へ。

猪苗代湖畔から戸ノ口堰を通って飯盛山に引き返してきた白虎隊戦士は20人でした。
飯盛山にたどりついて城下を見たとき、彼らは戦火に包まれる城を目にし、城が陥落したと思い込みます。

ただ、実際にはこの時、城は陥落しておらず、煙は城下町の一角から上がったものでした。

それを知る由もない若き20人は、敵の手に落ちるくらいなら自ら士としての誇りを…
ということでこの場で自刃したわけです。

後に救出されたひとりを除く19人がここで命を落としました。
その19人のお墓があり、私たちはひとつひとつのお墓に線香を手向け、手を合わせてきました。
(一束50円でお線香を買うことができました)
今でもお参りに来る人は絶えない様子でしたよ。



この19人のお墓と少し離れたところに、救出されたひとりの白虎隊士のお墓もあり、ここにも手を合わせてきました。
彼が生きていて、このことを後に語ったからこそ、白虎隊の悲劇が今に伝わるわけで
もしかしたらこの悲劇を知ってもらうために生かされたのかもしれない、とかいろいろ考えてしまいました。

さらに少し歩くと「白虎隊自刃の地」があります。
わずか147年前に、彼らがここから見た城下の景色はどのようなものだったのでしょう。

今この場所から鶴ヶ城方面を見ると、このような感じです。


中央部分に木が多い一角がありますが、ここがお城のある場所。
城の部分を○で囲んでみました。


写真を拡大してみました。


これでやっとお城が見えるくらいです。
こんなに離れていて、城の手前で火煙が上がっていたら、たしかに城が陥落したと思ってしまうかもしれません。

それと、この場所から鶴ヶ城を見たときに、ちょうど重なってしまう鉄塔(?)の存在がなんとも残念でした。

この「自刃の地」には、その碑と白虎隊士の像がありました。
像は鶴ヶ城を望んでいます。当時このようにして城下を見たのでしょうね。






最後に「旧滝沢本陣跡」へ。飯盛山からも歩いて行けます。



ここは参勤交代の際の殿様の休憩所だったのことですが、戊辰戦争の時は白虎隊がここで命を受け、
ここから出陣していった、という場所でもあるそうです。

中には、参勤交代の道具類や古文書などがあったり、刀傷や弾痕が当時のまま残っているらしいです。
(私たちは中には入らず外側だけ見学しました)
興味のある方は行ってみるといいかもしれません。


会津若松の旅はこれにて終了し、最後に喜多方へ向かいました。(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする