昨日、国立博物館の茶室「応挙館」へ行きました。
国立博物館ホームページによると、尾張国(現在の愛知県大治町)の天台宗寺院明眼院の書院として寛保2年(1742)に建てられた建築物だそうです。
後に、東京品川の益田孝(鈍翁・ 1848~1938)邸内に移築され、昭和8年(1933)国立博物館に寄贈され、現在の位置に移されたといいます。
室内に描かれている墨画は、天明4年(1784)、円山応挙(1733~1795)が明眼院に眼病で滞留していた際に揮亳したものであると伝えられています。
確かに見事な障壁画でしたが、2007年に作品保護のため複製画に差し替えられたのだそうです。
当日は、ほぼ一日応挙館で過ごしたにも関わらず、最高級の刀装具が一堂の会していたことや、若干酔いも回っていたこともあり、ほとんど障壁画をみる余裕がありませんでした。
残念!
国立博物館ホームページによると、尾張国(現在の愛知県大治町)の天台宗寺院明眼院の書院として寛保2年(1742)に建てられた建築物だそうです。
後に、東京品川の益田孝(鈍翁・ 1848~1938)邸内に移築され、昭和8年(1933)国立博物館に寄贈され、現在の位置に移されたといいます。
室内に描かれている墨画は、天明4年(1784)、円山応挙(1733~1795)が明眼院に眼病で滞留していた際に揮亳したものであると伝えられています。
確かに見事な障壁画でしたが、2007年に作品保護のため複製画に差し替えられたのだそうです。
当日は、ほぼ一日応挙館で過ごしたにも関わらず、最高級の刀装具が一堂の会していたことや、若干酔いも回っていたこともあり、ほとんど障壁画をみる余裕がありませんでした。
残念!