門前の小僧

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西行と芭蕉をつなぐ“能”。第四回

2010-08-22 18:46:42 | 日記
■隠棲趣味と閑寂の美の先人、西行

「西行はおもしろくてしかも心ことに深く、ありがたく出できがたきかたもともにあひかねて見ゆ。生得の歌人と覚ゆ。おぼろげの人、まねびなどすべき歌にあらず。不可説の上手なり」
『後鳥羽院御口伝』

西行は藤原俊成とともに新古今の新風形成に大きな影響を与えた歌人であった。
歌風は率直質実を旨としながらつよい情感をてらうことなく表現するもので、季の歌はもちろんだが恋歌や雑歌に優れていた。院政前期から流行しはじめた隠逸趣味、隠棲趣味の和歌を完成させ、研ぎすまされた寂寥、閑寂の美をそこに盛ることで、中世的叙情を準備した面でも功績は大きい。また俗語や歌語ならざる語を歌のなかに取入れるなどの自由な詠みくちもその特色で、当時の俗謡や小唄の影響を受けているのではないかという説もある。

■旅を人生そのものとする歌人の系譜

後世に与えた影響はきわめて大きく、後鳥羽院をはじめとして、連歌師宗祇・俳聖芭蕉にいたるまでその流れは尽きない。特に室町時代以降、単に歌人としてのみではなく、旅のなかにある人間として、あるいは歌と仏道という二つの道を歩んだ人間としての西行が尊崇されていたことは注意が必要である。宗祇・芭蕉にとっての西行は、あくまでこうした全人的な存在であって、歌人としての一面をのみ切り取ったものではなかったし、『撰集抄』『西行物語』をはじめとする「いかにも西行らしい」説話や伝説が生れていった所以もまたここに存する。例えば能に遊女を題材とする『江口』があり、長唄に『時雨西行』があり、あるいはごく卑俗な画題として「富士見西行」がある。

・西行をモデル、題材とした能
「江口」
「西行桜」
「遊行柳」

■500年の時を越えた、西行と芭蕉の出会い

松尾芭蕉は西行を敬慕し、「奥の細道」の旅に出たとも言われている。つまりそれは西行の歩いた奥州を、そして西行の詠んだ歌枕をなぞる旅。しかも奥の細道の旅は、西行の五百年忌に行われているのだ。たとえば奥の細道「遊行柳」に下の句がある。

田一枚植て立ち去る柳かな 芭蕉

那須にあるこの柳は

 道の辺に清水流るる柳かげ
  しばしとてこそ立ちとまりつれ

と西行が詠んだ旧跡。西行の詠んだ『遊行柳』のあるこの道の辺は、芭蕉にとって旅の前半においてもっとも重要な場所のひとつだったと推測される。ここで芭蕉はしばし能の中のワキ、遊行僧となって柳の精であり、西行の詩魂でもある幻のシテに邂逅したのかもしれない。

また「象潟」では次のように西行を偲んでいる。

先能因嶋に舟をよせて、三年幽居の跡をとぶらひ、むかふの岸に舟をあがれば、「花の上こぐ」とよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。
(「象潟」の章段)

「花の上こぐ」は、西行の次の歌から引用したものである。

  象潟の桜は波に埋れて
   花の上漕ぐ海士の釣り舟

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