門前の小僧

能狂言・茶道・俳句・武士道・日本庭園・禅・仏教などのブログ

11/10(水)「源氏・平家物語と能の名作」講座

2010-11-08 19:35:15 | 能狂言
11/10(水)13:00~ よみうりカルチャー川崎にて
「源氏・平家物語と能の名作」第二回講座があります。
平家物語、源平盛衰記と能『敦盛』の世界をあわせて解説&鑑賞。

享年16歳。平家の少年公達、無官大夫敦盛の最期の物語です。
坂東武者、熊谷次郎直実との運命の巡り合い。

一の谷でついに巡り合った"よき敵"敦盛は、奇しくもわが最愛の息子小次郎と同年の健気な若武者でした。名をとるか、情けに流されるか…。苦渋の選択を強いられた荒夷、源氏武者の決心とその後の人生は。
日本全国に流布する敦盛遺愛の"青葉の笛"伝説もたどります。
途中受講、大歓迎!

http://bit.ly/awi1Ck
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能面・能装束入門 第四回

2010-11-07 12:29:20 | 能狂言
今回は、それぞれの曲により使い分けられる能面の種類をご紹介。まずは、能面の代表とされる小面などの「女面」について。


・三番目~鬘物の曲に使用される面

■女面

 女面には多くの種類があり、役柄や身分、年齢などによって使い分けられている。
年齢的には10代「小面(こおもて)」、20代「若女(わかおんな)」「孫次郎(まごじろう)」、30代「増(ぞう)」「曲見(しゃくみ)」、40代「深井(ふかい)」、老人「姥(うば)」「老女(ろうじょ)」等がある。
 また、同じ面でも造作は千差万別。気位の高そうな顔もあれば、庶民のような顔の面もあるため、シテの感覚や好みで面は選ばれている。

■本面と写しとは

 「本面」と呼ばれるオリジナルな能面は、本来この世にただ一つしかない。同じ名前の面はいくらもあるが、それらは「写し」と呼ばれるいわば『模倣面』。模倣というと聞こえが悪いようだが、昔は本面を手に取ってみる機会などは皆無に等しく、せいぜい隣の部屋の床の間に掛かっている面を遠目に見る位しか許されなかった。ゆえに、写しには本面とは似ても似つかぬ面が多く存在する。しかし、それらの中には本面を凌ぐ評価を得た面も数多くあり、役者の好みで面本来の区分とは違う曲種の能に使われることもしばしばある。
本面は、今日の能面のオリジナルがほとんど創作された室町~安土桃山時代頃、写しは大半が江戸期の作である。

■シテと面

 能役者がシテを舞うときには、まず、自分が使う面を決め、それに合わせた装束と演出を考える。例えば「羽衣」を例に取ると、能本では、使用する能面は「小面・若女・増又は深井」と指定されている。面の選択はシテに委ねられているのだ。そしてシテは自分がどんなタイプの女性を天女にするかイメージを固め、面を選ぶことになる。小面なら清純な少女、若女ならほのかに色気のただよう美女風、増女なら高貴で神秘的なキャラクター、深井なら年配で愁いを含んだ女性…などなど。極端なことをいえば、「羽衣」の能面は必ずしもこの4タイプの面ではなくても構わない。しかし曲本来の構想を表現するには、自ずと選択の限度もあり、「深井」が使われることはほとんどない。
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能面・能装束入門 第三回

2010-11-04 21:47:53 | 能狂言
・能面は美術品ではない

某美術館のガラスケースに収まり、ただ冷たく照明を跳ね返している室町時代の名作面。見るたびに大きなため息をつくしかない。なぜなら能面は、あくまで「実用品」だから。そして美術館に収蔵されてしまった時点で、確実に能面は「死んで」しまうからである。
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能面は檜材に胡粉と彩色をほどこした、人の手による精緻な工芸品。西洋のバイオリンなどと同様、アコースティックな道具である。これらの楽器を実際演奏した経験のある人ならわかると思うが、木でできた道具は使われなくなった途端に、その生命を終えてしまう。人の息による湿気、あるいは声による振動が木の水分・油分を絶妙に保つらしい。役者が舞台で実際に使うことにより、能面は100年、300年、600年と生き延びる。そして永遠に笑い、怒り、ため息をつき、驚き続けるのである。

古来、面(おもて)とは「神が宿る」とされ、もっとも役者に重んじられ、かつ畏敬の対象とされた能の大事な道具である。橋掛かりにかかる前、シテは鏡の間で、能面に祈りを込め、押し頂いてわが顔に「かける」。そして当日の役にはじめて入り込み、ようやく「お幕」の掛け声とともに舞台へ一足運び出すのである。当日の舞台の成否は、この面をかける儀式の心入れに左右されるといっても過言ではあるまい。

能面については室町時代以来数々の伝説がある。いわく金剛の「肉付の面」、いわく「観世の面塚」…。名もなき面打ちの数十年の生涯が、たった20数センチの無限宇宙にすべてこめられている。面を打つ以外、何の意味もなかった人生だ。そして世阿弥以来、代々の大夫がその無心の面の力に導かれ、伝説の舞台を創ってきた。ただ面に「舞わされて」成った奇跡といえばいいす過ぎだろうか。

能に「面を使う」という型がある。謡の詞章にあわせ、右左と見るだけの仕草。しかし、本物の面を本物の役者がかけた時、面自体がまさに本物の母親となって失った子を探し求め、本物の捨てられた女となって今はいないいとしい男の面影をたどるのだ。背筋があわ立つほどのリアリティ。生身の名優の演技より幾層倍もの生々しい、切実な表情が、ただ木でできた作り物の面からほとばしる。
能では、惜しげもなく室町・桃山時代の「本面」を舞台で使う。並の役者がこうした面をかけようとすると嫌がって、顔から逃げるとも伝え聞く。面は、死んだ美術品、埋蔵品では決してない。舞台で使われてはじめて生命を得るのだ。ぜひ能楽堂最前列で、生きた面と対話してみてほしい。
そして財団・財閥のコレクターの皆様。どうかこれ以上日本の貴重な文化遺産「能面」をあなたたちの単なる収蔵品目録に加えないでください。

美しい能面画像と解説はこちら「京都人的生活」↓
http://bit.ly/b7cTRP


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能面・能装束入門 第ニ回

2010-11-02 11:00:55 | 能狂言
・面打ちとは

能面を製作することを「面を打つ」という。七寸五分の檜の角材を材料として、古面からとった型紙をあてながら、鑿と彫刻刀で面を削りだしていく。出来上がった面に貝殻を細かく砕いた胡粉を塗り下地を整えた後、日本画の顔料を使って彩色を行う。彩色とともに古色をつけて古い面のような古びを出して仕上げる。

能面の製作は、各流儀の家元が所有する面の基本型となる「本面」や、将軍家や諸大名の所持した著名な面を写すことが慣習となっている。これらの面を「写し」という。各曲に使用される面や装束は能の約束事としてほぼ決められており、独創的な創作面は必要とされなかったことによるものである。

豊臣秀吉は能楽を愛好し、是閑吉満に「天下一」の称号を与えた。それにより能面の美術的価値が上がり、諸大名は能楽を愛好するとともに、茶器と同じく能面を収集するようになった。その後、徳川幕府の衰退にともない能楽もその影響を受け、明治時代の出目満守を最後に、世襲の面打ちの家は消滅してしまう。

・中間表情

無表情な人は「能面のよう」と表現されるが、能面には怒りや喜びなど瞬間の表情を捉えたものも多くあり、とても豊かな表情を持っている。
鬼神系の面は怒りの表情を刹那にとらえた瞬間表情となっている。女面は喜怒哀楽の特定の表情をもたず、一見無表情に見える中間表情をしている。しかし、面を上下にやや傾ける(照らす、曇らす)ことにより、笑ったり泣いたりと表情を変化させることが出来る。特定の表情を持たない為、さまざまな感情表現が可能となるのだ。長時間の舞台の使用に耐えるための工夫であろうか。
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