工房八重の部屋

京都の紹介、日々の出来事や思いを綴ってます

地域(六地蔵)は年月で変わっていくことを実感しました

2009年05月22日 | Weblog
今修理中の貸家の土地は父が四十年前位に購入した当時は、裏にある小栗栖のお灸

やさん行きの山科からバスが、1日に4本位しかありませんでした。僻地でした。

定年になり、隠居所の小さな家建てた時は、庭から醍醐の五重の塔が見えました。

それから、次々と田畑がつぶされ、公団の団地、市営の団地が建てられました。

10年前に地下鉄の東西線が出来、六地蔵周辺には、momo(近鉄)いずみや

イトーヨーカ堂、平和堂、コーナン、ヤマダ電機、ジョーシン電機とあり、この地

区は関西でも指おりの大型店の激戦地とか??

父を亡くしてから、空家にしても、固定資産税や植木代もいるので、貸家にして

6年になります。植木屋さんが年に1回入る時に、お菓子とお茶を持参する以外

は、近年は、この六地蔵近辺はあまり、車で行かない地区です。

昨日職人さんのため、飲み物、お菓子を買いにmomoに行って、その人出の多さ

にびっくりしました。中の店舗も大幅に変わっています。

以前父と住んで、大阪の天満橋まで通勤していた時は、六地蔵の駅まで、自転車で

堤防を走り10分の距離でした。  今回、20日間の間、貸家に通って

地域は年月で変わって行く事を実感しました。


昨日は朝の7時から夕方の5時過ぎまで。貸家で掃除のため、昼食はmomoの
レストランで、 夕食は情熱ホルモンという店に始めて行って、焼肉の夕食、
このアミの上の焼肉では足らず、さらに追加して、夕食代2700円でした。