工房八重の部屋

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「蓮如上人と山科本願寺」の山科アスニーの講座は、興味深い講座でした

2011年04月30日 | Weblog
4月上旬に山科アスニーで、「蓮如上人と山科本願寺」の講座が、大谷大学学長で

教授の草野 顕之氏によりありました。

蓮如が引退して住んだ南殿は、同じ町内に、南殿光照寺として、町内に有り、山科に住む

住人には、蓮如上人は身近な存在です。

蓮如上人は、応永22年(1415年)に、本願寺第7代宗主存如上人の長男として、

京都東山大谷本願寺にて誕生されました。

上人誕生当時の本願寺は、『さびさびとしておあします。参詣の人一人としてなし』と

呼ばれた状態であり、今日の本願寺からは、想像もできない程の寂れきった状態でした。

その時代から、200年前に、法念上人が念仏信仰を唱え、浄土宗の宗祖となり、

それをうけついだ親鸞の時代からは、見る影もなく、衰退していた真宗を再興した

のが、蓮如上人です。

43歳で、父亡き後、京都東山大谷本願寺の跡を継ぎました。

延暦寺集徒により、寺が、破却されてから、近江の堅田・金森の地を転々とされ、

1471年(文明3年)、越前吉崎に坊舎を建立。活気にあふれるこの地で、親鸞聖人の教え

をわかりやすく手紙の形式でつづった『御文(おふみ)』によって民衆を教化。

さらに『正信偈』『和讃』を開板し、現在の真宗門徒の日々のお勤めの作法のもとと

なるかたちを定めた。 4年後、吉崎から大坂河内出口に至りました。

京都山科へと移り、66歳の1480年(文明12年)には山科本願寺御影堂を完成した。

75歳で後継を実如に譲り、83歳の時には大坂石山坊舎を建立。

蓮如上人は、山科本願寺で、真宗再興に尽くした、85年の生涯を終える。

蓮如上人の字をクリックすると、詳しいホームページにリンク出来ます。



大谷大学学長で教授の草野 顕之氏による「蓮如上人と山科本願寺」の講座。
わかりやすい説明で、興味深く、面白い講座でした。


山科本願寺の堂舎 


山科に広大な敷地があったのがわかります。
やましな本願寺発掘調査地


南殿光照寺   もとにあった南殿に蓮如は隠居所とした。
死後戦火により焼失! その後地に南殿光照寺が建てられた。


山科本願寺土塁跡


土塁の説明文


町内に残る、蓮如上人のかかわりある井戸


井戸の説明文