うちのツインソウルはワタリがワンオペ育児の経験者であることと、DVの被害者であることを知っています。
このツインソウルいわく「人間元々サルから進化したんだから、サルが群れ全体で子育てをするように人間も集団で子育てをした方が良いんだ」
全くもってその通りだと思います。
人間一人の人間がやれることは限度があるんです。
その限度を軽ーく飛び越えてくれるのが幼少期の子供って存在で、あっちにフラフラこっちにフラフラ当たり前。
親がおもちゃを片付けている側から取り出し、また親がそれをしまうのを見て楽しんですらいます。
比較的しつけの徹底されていたワタリの子ですら、外ではいい子でも自宅では目を放している隙に色々やらかしました。
なぜか誤飲誤植だけはしなかったのは本当に不幸中の幸いだったと思いますが、もう「やめてえええええ!!!!」と絶叫するしかないような日々だったのをよく覚えています。
それもこれもね、人手が足りないのが最たる原因なんですよ。
例えば下の子の授乳中、上の子がかまってくれと駄々をこね始めたらどう対応したら良いのか?
絵本を与えておけばいいとかって言いますけど、本当不意に来るんですよ?
あげく上の子は下の子みたいに膝の上に乗せて絵本を読まないと満足しないし、こっちの状況はお構いなし。
本当ね、どーしろっていうんだよバカ!!ってマジ理想論を言っている奴らに腹の底から言いたい。
こんな時に必要なのがね、もう一人の大人なんですよ。
いや、家事のことまで考えれば二人の大人が必要。
もう一人の大人がこちらの状況を察して、上の子を受け持ってくればそれで万事が解決なんです。
もっと言えば歴史的に見て子供は常に多くの大人の中で育ちました。
たくさんの大人がいて、みんなが一人の子供に愛情を注げる。そして常に数人はそこそこ手が空いている人がいる。
そんな環境で育っていたんです。
事実、今でも親元で過ごしているのか孫、娘、祖母という構成の人々を見ますが、大体なんか余裕がありそう。
そこそこおしゃれをしていたりしているんで、恵まれていない環境の方にいるワタリとしては泣きたくなるような気持でそれを眺めていたのをよく覚えています。
もちろん、幼少期の子供がやる突然のお遊びにも即対応していました。
だから、おもちゃを落とせばすぐ拾ってもらえて、また落とせばすぐ拾ってもらえる。
恵まれた環境の中に生まれた子は、そんないつになったら終わるのか分からない、子供にしか理解できない繰り返し遊びを気が済むまでやってもらって、清く正しく我慢することなく幼少期を過ごすのかなと。
もちろんワタリにこんなことができる訳はありません。
それでもやってくれ、何が何でもやってくれと言われて仕方なく付き合っていたこともたくさんあります。
今でも覚えているのは、散歩の最中もう歩ける上の子に抱っこしてくれと駄々をこねられた時です。
仕方なく抱っこして歩きましたが、当時ワタリの背中には下の子がおんぶされていました。
上の子と下の子、両方合わせて25kgくらい。
それを全身で抱え、2kmほどの帰宅路をたった一人で歩きました。
そして帰宅をすれば人手不足の象徴かのように多忙極まりない時間が待っています。
今でもそうですが、子育てについて良い記憶なんて一切ありません。
ただ、ただ責任感だけでやっているのが今の状態。
今もボランティアで手伝いに来てくれる人いないかな?私が子供たちのことに集中できるようにしてくれる人いないかな?って気疲れ起こるたびに思います。
その位ね、子育てって大変なの。
とにかく子育てに関してワンオペなんて絶対に無理です。
そもそも、そんな風になってから100年も経っていないんですからできる訳がないんです。
このツインソウルいわく「人間元々サルから進化したんだから、サルが群れ全体で子育てをするように人間も集団で子育てをした方が良いんだ」
全くもってその通りだと思います。
人間一人の人間がやれることは限度があるんです。
その限度を軽ーく飛び越えてくれるのが幼少期の子供って存在で、あっちにフラフラこっちにフラフラ当たり前。
親がおもちゃを片付けている側から取り出し、また親がそれをしまうのを見て楽しんですらいます。
比較的しつけの徹底されていたワタリの子ですら、外ではいい子でも自宅では目を放している隙に色々やらかしました。
なぜか誤飲誤植だけはしなかったのは本当に不幸中の幸いだったと思いますが、もう「やめてえええええ!!!!」と絶叫するしかないような日々だったのをよく覚えています。
それもこれもね、人手が足りないのが最たる原因なんですよ。
例えば下の子の授乳中、上の子がかまってくれと駄々をこね始めたらどう対応したら良いのか?
絵本を与えておけばいいとかって言いますけど、本当不意に来るんですよ?
あげく上の子は下の子みたいに膝の上に乗せて絵本を読まないと満足しないし、こっちの状況はお構いなし。
本当ね、どーしろっていうんだよバカ!!ってマジ理想論を言っている奴らに腹の底から言いたい。
こんな時に必要なのがね、もう一人の大人なんですよ。
いや、家事のことまで考えれば二人の大人が必要。
もう一人の大人がこちらの状況を察して、上の子を受け持ってくればそれで万事が解決なんです。
もっと言えば歴史的に見て子供は常に多くの大人の中で育ちました。
たくさんの大人がいて、みんなが一人の子供に愛情を注げる。そして常に数人はそこそこ手が空いている人がいる。
そんな環境で育っていたんです。
事実、今でも親元で過ごしているのか孫、娘、祖母という構成の人々を見ますが、大体なんか余裕がありそう。
そこそこおしゃれをしていたりしているんで、恵まれていない環境の方にいるワタリとしては泣きたくなるような気持でそれを眺めていたのをよく覚えています。
もちろん、幼少期の子供がやる突然のお遊びにも即対応していました。
だから、おもちゃを落とせばすぐ拾ってもらえて、また落とせばすぐ拾ってもらえる。
恵まれた環境の中に生まれた子は、そんないつになったら終わるのか分からない、子供にしか理解できない繰り返し遊びを気が済むまでやってもらって、清く正しく我慢することなく幼少期を過ごすのかなと。
もちろんワタリにこんなことができる訳はありません。
それでもやってくれ、何が何でもやってくれと言われて仕方なく付き合っていたこともたくさんあります。
今でも覚えているのは、散歩の最中もう歩ける上の子に抱っこしてくれと駄々をこねられた時です。
仕方なく抱っこして歩きましたが、当時ワタリの背中には下の子がおんぶされていました。
上の子と下の子、両方合わせて25kgくらい。
それを全身で抱え、2kmほどの帰宅路をたった一人で歩きました。
そして帰宅をすれば人手不足の象徴かのように多忙極まりない時間が待っています。
今でもそうですが、子育てについて良い記憶なんて一切ありません。
ただ、ただ責任感だけでやっているのが今の状態。
今もボランティアで手伝いに来てくれる人いないかな?私が子供たちのことに集中できるようにしてくれる人いないかな?って気疲れ起こるたびに思います。
その位ね、子育てって大変なの。
とにかく子育てに関してワンオペなんて絶対に無理です。
そもそも、そんな風になってから100年も経っていないんですからできる訳がないんです。