スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

子育てに限って言えば集団でやった方がいい

2022-06-06 00:00:00 | スピ母の実践育児と子育て体験
うちのツインソウルはワタリがワンオペ育児の経験者であることと、DVの被害者であることを知っています。
このツインソウルいわく「人間元々サルから進化したんだから、サルが群れ全体で子育てをするように人間も集団で子育てをした方が良いんだ」

全くもってその通りだと思います。
人間一人の人間がやれることは限度があるんです。
その限度を軽ーく飛び越えてくれるのが幼少期の子供って存在で、あっちにフラフラこっちにフラフラ当たり前。
親がおもちゃを片付けている側から取り出し、また親がそれをしまうのを見て楽しんですらいます。
比較的しつけの徹底されていたワタリの子ですら、外ではいい子でも自宅では目を放している隙に色々やらかしました。
なぜか誤飲誤植だけはしなかったのは本当に不幸中の幸いだったと思いますが、もう「やめてえええええ!!!!」と絶叫するしかないような日々だったのをよく覚えています。

それもこれもね、人手が足りないのが最たる原因なんですよ。

例えば下の子の授乳中、上の子がかまってくれと駄々をこね始めたらどう対応したら良いのか?
絵本を与えておけばいいとかって言いますけど、本当不意に来るんですよ?
あげく上の子は下の子みたいに膝の上に乗せて絵本を読まないと満足しないし、こっちの状況はお構いなし。

本当ね、どーしろっていうんだよバカ!!ってマジ理想論を言っている奴らに腹の底から言いたい。

こんな時に必要なのがね、もう一人の大人なんですよ。
いや、家事のことまで考えれば二人の大人が必要。

もう一人の大人がこちらの状況を察して、上の子を受け持ってくればそれで万事が解決なんです。
もっと言えば歴史的に見て子供は常に多くの大人の中で育ちました。
たくさんの大人がいて、みんなが一人の子供に愛情を注げる。そして常に数人はそこそこ手が空いている人がいる。

そんな環境で育っていたんです。

事実、今でも親元で過ごしているのか孫、娘、祖母という構成の人々を見ますが、大体なんか余裕がありそう。
そこそこおしゃれをしていたりしているんで、恵まれていない環境の方にいるワタリとしては泣きたくなるような気持でそれを眺めていたのをよく覚えています。

もちろん、幼少期の子供がやる突然のお遊びにも即対応していました。
だから、おもちゃを落とせばすぐ拾ってもらえて、また落とせばすぐ拾ってもらえる。

恵まれた環境の中に生まれた子は、そんないつになったら終わるのか分からない、子供にしか理解できない繰り返し遊びを気が済むまでやってもらって、清く正しく我慢することなく幼少期を過ごすのかなと。

もちろんワタリにこんなことができる訳はありません。
それでもやってくれ、何が何でもやってくれと言われて仕方なく付き合っていたこともたくさんあります。

今でも覚えているのは、散歩の最中もう歩ける上の子に抱っこしてくれと駄々をこねられた時です。

仕方なく抱っこして歩きましたが、当時ワタリの背中には下の子がおんぶされていました。
上の子と下の子、両方合わせて25kgくらい。
それを全身で抱え、2kmほどの帰宅路をたった一人で歩きました。
そして帰宅をすれば人手不足の象徴かのように多忙極まりない時間が待っています。

今でもそうですが、子育てについて良い記憶なんて一切ありません。
ただ、ただ責任感だけでやっているのが今の状態。

今もボランティアで手伝いに来てくれる人いないかな?私が子供たちのことに集中できるようにしてくれる人いないかな?って気疲れ起こるたびに思います。

その位ね、子育てって大変なの。

とにかく子育てに関してワンオペなんて絶対に無理です。
そもそも、そんな風になってから100年も経っていないんですからできる訳がないんです。
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結局ね、子育てには人手が必要なの

2022-04-18 00:00:00 | スピ母の実践育児と子育て体験
今さっきふと、育児で一番大変だったころを思い出しました。
当時子供たちは5歳に満たない年齢で、ワタリは次から次へと起きる自分がやらなきゃならないことに翻弄されていました。
今思い返すと子供たちの脳みそは本能よりで、原始時代を生きるには問題がなかったのかもしれませんが現代社会を生きるには徹底的に教えないとなりませんでした。

だから説明に次ぐ説明、説明のための説明の日々で、毎日毎日うんざりしていました。
今考えると子供たちはワタリに説明を求めることが楽しみだったのかもしれませんが、当時のワタリは子供たちの楽しみを一緒に楽しんでやる余裕はありませんでした。

服を着させれば外に飛び出し、料理をしている後ろで壁に落書き。
一時も気の休まらない日々の中、今考えると児童館で自由に遊ばせている時だけが唯一の心の安らぎだったのかもしれません。

結局ね、今の育児には人手が足りないんですよ。

親世代みたいに大人ばっかりの中に子供じゃないから、家事をしている時に外に出て行かれたら母親は家事の手を止めて捕まえに行くより他がありません。
大人ばっかりの中に子供だったら、誰かがつかまえてどうして外に行くのかと問いかけたかもしれません。

皆が協力をして皆が負担を分け合って皆が子育てをするのが当たり前だった時代。
そんな時代の良い所だけを、現代を生きる母親は求めているのです。

ワタリの子供たちは今思春期です。
6歳でひと段落して、10歳でこちらの話が分かるようになってきて、今やっとひと段落です。
でも、ワタリが求める基準にはまだ遠く、家事の戦力にはなってもまだ対人スキルが大変。

わがまま言いたい放題甘えたい放題で、一般的な子よりもちゃんと話ができるという事実でしっかり教育が出来ているとは言われるものの、はあ、あんな修羅場の連続で良いんですかいなと疑問符が浮きます。

うちの子たちの成人年齢は18歳です。
後五年、後七年とは思いますが、今の育児には本当に報われた感がありません。
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群馬県内高校色々お察しー。

2020-12-07 00:00:00 | スピ母の実践育児と子育て体験
ワタリだってうちの子はそれなりに良い学歴を持ってほしいと考える訳で、小学生の今の内から「テストの成績が今のあんたの評価」とか「大人しくて成績の良い生徒が一番いい」なんて教え込んでいます。

ただ、気になるのは県内高校の生徒と直接話をした時小学生時代の残骸みたいなのがそのまま残っていて「は?」となった事なんですよね。

その学校は工業系の学校だったんですが、売り物になりそうな出来の良い物がある一方で小学生レベルの工作があったんですよ。

むしろそっちの方が多くて、工業系=結構最先端なイメージがあったワタリとしては凄く絶句物。

横のブースが県内随一の工業系である群馬高専だったせいもあってか大学生と中学生くらいの差に腹の中では開いた口がふさがりませんでした。

で、偏差値どの位かな?って今頃になって調べてみたら50くらいなのよね。

大雑把に「テストの平均成績半分くらいか」なんて思っていますが、今の子って90点や80点が普通。という事を考えると確かに、あまりお勉強をしてこなかった人なのかもしれませんね。

ちなみに最寄りの公立高校もこの位の偏差値。

よりによってうちの子供たちの通う中学校の目の前に私立の方があったりするのが(-_-;)になる材料ではあるのですが、お願いだから金のかかる私立にはいかないでおくれと懇願しています。

にしてもうちの娘たちは基本進学校を目指して勉強中なのですが、似たような高校なのに高崎と前橋でかなり生徒の優しさに温度差があるよう。

うむー(-_-;)

一応前橋方面にしてくれとは言っていますが、二年生の段階で文化祭に行って色々リーディングしておいた方が良いのかもしれません。
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約束を守らない子供達

2019-09-23 21:00:04 | スピ母の実践育児と子育て体験
最近、うちの娘達は帰宅後に遊ぼうと誘われたのに、いざ行くと誰もいない。という事がほぼ毎回起きています。

今回も、長女が友達から生まれた子猫をもらう。という約束をしたのに、当日の今日になって家族全員が勘違いをしてうちが子猫をもらうのを拒否した。ということになっていました。

は?と思ってその子の家に向かったのですが、約束をしていたはずの時間に行ったら誰もいませんでした。

多分、何かしらの理由で本当の理由を言い出せなくなり、子供なりに嘘をついたのでしょう。

でも、ワタリは本当に思うんですよ。

なんで、約束を破る子がこんなにも多いのか?と。

自分で誘っておいて、いざ行ったらいません。なんていうのは本当にひどいと思います。

それも、特定の人物ではなく本当にたくさんの子供達です。

一体群馬の親の教育というのはどうなっているのでしょうか?

約束を守る。というごくごく当たり前のことができている人間と、できていない人間の差がとても激しい。

もし先約を忘れていて約束してしまったのであれば、我が家では子供達に謝りに行かせます。

なのに、誰も我が家に謝りに来た人はいません。

とても由々しき事態だと思っています。

子供達が成長した時、約束を平気で破る人間と、ちゃんと守る人間できっと差が出てしまう。

約束を破る人間は、約束を守る人間から嫌われます。

だから、約束を守る人間は同族としか繋がらず、そこにはきっと約束を破る人間を見下す選民意識が現れる。

逆に、約束を破る人間は約束を破る人間としか繋がらず、どんどん殺伐とした村になっていく。

そんな未来、果たして本当にいいのでしょうか?

不本でもなんでも、エンパスである長女には他者を見破る目を鍛えさせないとなりません。

そうしないと、こちらが損をする時代になってしまう。


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「私の育て方が悪かったからこうなった」は逆に傲慢だ。

2019-06-24 21:00:11 | スピ母の実践育児と子育て体験
この間ブログのコメントの返事をしていて思った事が、今日のテーマでございます。
 
子供が理想的でない方に行っていると、昔の親は大体「私の育て方が悪かったんだ」って言いますよね。
 
でもこれって、本当に傲慢だとワタリは思います。
 
うちの子達をみていてもそうですけど、そしてワタリ自身の経験からもそうですけど、人の性格や考え方に影響を与えるのって、親の影響だけではありません。
 
そりゃあ、親子でどこも外出をせずに何年も過ごしていていたら、確実に親だけの影響でその子の性格などは作られていくでしょうね。
 
でも、現実はそうじゃない。
 
子供本人の行動範囲が広がれば広がるほど、その子の性格や考え方に影響を与えるものは増えていくんです。
 
実際、うちの子達は明らかに小学校での影響を受けていますし、言葉使いに関しても周りの子の影響を絶対受けています。
 
言葉使いに関しては、ワタリの影響を強く感じますけど、それでも確実に小学校での影響もあって、ちょっと使い方の指導をする事があります。
 
結局、親が子供の性格のすべてを決められる。なんて考えるのは、とても傲慢な事なんですよ。
 
極端なことを言うと、世間も知らないし、結局自分が妄想内でもお山の大将をしていたいのと同じ。
 
だからもうね、子供の性格をこうしたのは自分だ。って決めつけてウジウジするのはやめましょうよ。
 
だって、人間の性格はいろいろなもので構成されているんですから。
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