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供養が評価に繋がるのは、多分言い訳文化の影響なんだと思う

2019-04-22 21:00:36 | ワタリのエッセイ
神道と仏教の違いは色々ありますけど、お葬式に関する話もその典型だと思っています。

本来は遺体に対して執着をせず、魂だけを崇めていた神道。

葬儀の時からすごい豪華な供養をし、日本の文化にまでした仏教。

ワタリはどちらかというと神道系の考え方をしていますが、仏教のそれは本当にすごいといつも思っています。

ただ、どうしてこうなったのかな?と考えると、それは多分タイトルの通りなんですよ。

閻魔殿曰く、何をもって地獄行きにするか転生行きになるのか?というのはある程度は決まっている そうです。

でも、リアルの刑事裁判と同じように、あの世のお裁きも情状酌量の余地というのはある訳なのです。

遺族がする供養というのは、例えていうとその情状酌量の余地を求めて支援者や弁護士が裁判所に訴えるのと同じなんです。

言葉を変えると、供養の気持ちというのは死者に対する感謝の気持ちでして、「今まで本当にありがとう」という感謝の気持ちがその死者に多ければ多いほど、情状酌量を与えるための証拠となる訳なのです。

だから、仏教の方は供養を大事にするんだと思います。

後、供養を多くもらうことで、転生行きが決まっている魂でも力が強くなります。

この様は、天使ラブなスピラーがいうところの「光の存在」そのもの。

本当、リアルにこの供養をたくさんもらった結果光の存在化したうちのじい様を見る度、なんて供養パワーってすごいんだろう。といつも思います。

神道の方も、供養の気持ちは上質なエネルギーとしてその人の元へ運ばれていくんだと思います。

だから、転生行きが決まっている魂は平等に供養の気持ちが重要な訳。

でも、この情状酌量の求めになるのは、本当仏教ならでわの文化だと思います。

あれー?でもそうなるとハーデスさんのいるヨーロッパ系はどうなるんでしょうか?

確か…あそこにも裁判官役の高次元存在がいたはず…。

うーん、彼とはね、1度だけ対面したんですよ。うちの先輩の守護さんだからー。

でも、彼に関しては本当に自分から話をしない。ということしか記憶にございません(ーー;
コメント
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