小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

四月二十七日

2019-03-27 | 嘉永六年 癸丑日記

四月二十七日 

今日も雄輔が三浦へ勉強の断りに行く。為之助を連れて行った。
主人は、明日、同僚の松江灯籠堂あたりで集会があるらしい。
しかい、片頬の腫れが引かないので中止の相談だ学校まで行った。
昨日は学校当番だった。
浅之助に頼まれた四つ切りの書画を持って行く。松の詩と菊の画だ。
本人はお役者の某…名前を忘れた。
畑屋敷平七が何も食べないとのこと。
夕方に清吉の妻が来た。遅れて清吉も。
寿司をとり酒を出す。
松魯の詩集を幾冊も持参していた。
主人は大いに酔って帰ってきた。


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四月二十五日、二十六日

2019-03-19 | 嘉永六年 癸丑日記

四月二十五日 

快晴。
主人は頭痛がするというので薬屋で風邪薬を三服とる。
会があって富永、栗山、山本が来る。
酒を出し夕方に帰った。



四月二十六日 

大いに快晴する。
真善が今日の会を断りに来た。主
主人も頬が腫れているので断りに千太郎を行かせた後に真善が来たのだ。
夜に内田から使いが来て初幟祝儀の寿司一重を持参。
皆で食べる。
虎之丞は家へ帰って居らず、雄輔は野呂宅へ行って留守。






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四月二十四日

2019-03-14 | 嘉永六年 癸丑日記
 
四月二十四日 

大いに快晴する。
主人は岡野へ行ったが、四時頃から少々気分が悪くなったらしい。
内田から祝い餅を送ってきた。
久野はさっぱりとしてなかなかいい。
京都への書状を送るについて清吉に手紙をやるが返事がない。
雲蓋院の隠居が病死したのでこれから出かけるとのこと。
漬けた真菜を少々送った。



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四月二十三日

2019-03-10 | 嘉永六年 癸丑日記

四月二十三日 

快晴。
昼前から雄輔、虎之丞、為之助が高野御寺へ参詣。夏目楠蔵も誘った。
酒一升を取り寄せて瓢箪に入れて持参したが、瓢箪の紐が切れて割れたらしい。
慈光寺で介石の画会があるのでそれにも行ってみる筈が道が違いいけなかったようだ。
桃井隼人がきた。酒券一枚持参。
夕方、楠蔵が玉子を九つくれた。
貴志の隠居がついに病死の由、提灯を出す。
岡崎長屋の子供を長にやとい30文渡す。
主人は彦坂へ行く約束だったが断った。
お金が来て帯の代金三渡した。



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今年の運勢?

2019-03-07 | ちょっと寄り道

近所の氏神さまの境内に立っていました。




参考になるでしょうか。

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