小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

トランスジェンダーになりたい少女たち

2024-04-26 | 読書
トランスジェンダーという単語の意味がよく分からない。
よくわからないままよからぬ意味と雰囲気を勘が感じ取った。
この法律の国会の通過の仕方も尋常ではない。アメリカ大使のご機嫌伺い?
そこで話題になった本が「トランスジェンダーになりたい少女たち」で妨害に遭って一度は出版を取り消した本。
それが産経出版から発刊された。YouTubeではかなりの話題の本。地上波では無視。最近はそういう話題が多い。
で、興味本位で購入してみた。
パラパラとめくって最後まで読めるか不安になった。なにしろカタカナと英単語まみれなのだ。
しかしやはり日本語が圧倒的に多い。だから不明な箇所は飛ばして読むことにした。
思春期を迎えた少女たちは女の子に生まれたことを悲劇と受け取り男性になりたいと切望している。
胸をぺしゃんこにする下着?や男性化する薬の飲用、さらには肉体改造までつきすすむ。
「わたしは男だったんです」と訴えれば学校も教育機関も弾性化するために援助してくれる。
親が引き戻そうとしても人権無視だという権威にあがらうことができない。

これまでの倍ほどの続きを書いてまだ途中だったので保存したつもりだったけど、見事に消失していた。
初めての経験ではないけどその度に落ち込む。めげる深さが昔と較べて深い。立ち直るのに時間がかかる。
長い間休んでいると写真のアップさえ面倒。体だけじゃなくて頭も心も弱ってきてる寂しい実感を浴びている。
思い直して続きを書こう。おなじ事は書けないだろうけど、書きたいことは同じの筈。

「トランスジェンダーになりたい少女たち」はあめりかの少女たちの実例が書かれている。
子どもの自主性を重んじるあまり少女が男の子になりたいと主張すれば教育機関も、保健機関も後押ししてくれる。
胸を平板に締め付ける下着、男性化するための薬、あげく姓移行手術までも手助けしてくれる。
手術するともう子どもを産む性に戻ることは出来ない。
性に目覚める頃の少女たちはなぜ男になりたいのか、生まれながらの性を厭うのか。

昔少女だった頃、私も自分が女の子であることがとてもいやだった。
そんな頃に読んだ本で「前世で極道非道な悪いことをした奴が今生では女に生まれる」という文章に出会った。
覚えていなかったし覚えていなかったしそれはひどく衝撃だったけれど諦念に導いてくれた。
女は罪滅ぼしのために女に生まれたのかと。
女にとって生理とか出産とかは拷問に男たちが作ってきた歴史と社会の中で女は意志もなく自由もなく子どもを産まされて生きてきた。
最近の女性はパート収入もあり発言権も多少あっていきいきと生きているように見える。
自立した女性になろう。これは労働力不足を補うための政府の企画。自分の収入を得た女性は今までと同じの暮らしの中で数時間を職場で縛られるようになった。今、各地で子ども食堂が賑わって話題になっている。
話が横道にそれてしまった。
男尊女卑の中で成長しながらも男になりたいとはおもわなかった。男になる事は加害者になることで加害者にはなりたくなかったから。
夫は穏やかで優しい人。みんないい人ねと言ってくれる。しかし「差別ではなくて区別だよ」と言い繕う本音は「女如きが生意気な」というところだろう。なにしろ明治生まれに育てられた昭和男子なのだ。

この「トランスジェンダーになりたい少女たち」の終わりの方にやっと生まれ持った女という性をなぜそこまで嫌がるのかの答えがさらりとでていた。さらりとしか書けない事情でもありそうな。
女の子として生まれた少女は家庭や学校や社会を見なながら育ち、そこは男尊女卑に覆われている。
胸が膨らみ始めると「女を止めるのは今しかない!」と行動を起こす。
YouTubeやX(旧ツイッター)Facebookなど悩める少女を温かく迎え入れるサイトが溢れこぼれるほどに少女を待ち受けている。
流行とは言えそれがなぜなのかが理解できない。男性化するためのグッズや器具や薬品が次々と生み出されている。
追跡調査の結果は当然ながら悲しいものばかりなのだ。幸せになった実例は保殆ど当たらない。

人の心の中から男尊女卑思想が消えない以上良性が幸せに思いやりをもって暮らして行くにはどうしたらいいんだろう。
体の大きさが違う上に体力もずいぶんと違うし…わたしはここでべそをかくしかない。情けないことこの上ない。
男性に勝とうとはせずに女性の感性で受け入れるしか仕方ないのかもしれない。
でも、少女たちがひげを生やして男性になりたいなどとはおもわないようにしてほしい。







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地域包括支援センター

2024-04-23 | 雑記
週に一度、整形外科にリハビリという名目で通っている。
おととしの股関節置換手術と脊柱管狭窄症の予後と治療のためだけど、自分としては外出目的を作ることと思っている。
ここ数年前からボーッとしてることが多い。
夫はわたしがテレビを居ていると心配だという。いつもながら族でテレビだけを見ていることはなかったのだ。
そういう夫も以前から背中の丸みが気になっていたのだが、月に三回ほどゴルフに行くので元気なんだろうと思っていた。
ところが、腰や背中が痛いと言い出して、ヘルニアと骨粗鬆の病名をもらってしまった。年なりに弱っているのだ。
わたしばかりが病院にかかることが多かったが、こんな最近の夫はわたしが倒れても抱え上げることは出来ないと不安を口にするようになった。
ふと頭をよぎったのが要介護度があればヘルパーさんなどを頼めるかもしれないということ。
同年齢の友人は2をもらったら楽になってありがたいという。
そんなこんなで来るその日に畏れをもってどうしたらいいのか…。
リハビリに通っている病院に『地域包括支援センター』というパンフレットをみつえた。老人の相談窓口とある。
介護支援を受けるためにはここに行ってからケアマネージャーが決まって具体的な支援が始まるらしい。
町内にもケアマネに紹介してくれる役員さんがいるらしいけれど、近所づきあいの希薄になっている昨今どうすればいいのか入り口を探すのが難儀だ。
いざとなったときどうすればいいのか糸口だけでも知っておかないと面倒なことになりそうなお年頃になってしまったことよ。
日々物忘れ、単語忘れが進む昨日今日。せめてブログを書くことを日課にしたいけど。

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山菜

2024-04-13 | 雑記
昨日満開のサクラもこのこの週末でおしまいだろうか。
春が来た証のさくら。もう一つの春の証は山菜だ。
町育ちだったせいで山菜という存在を知らなかった。見ても雑草程度にしか思えなかった。
それが今は山菜大好き。メルカリでワラビやゼンマイを買ったりしている。
きっかけはもう何十年も前に奈良の新興住宅地に引っ越したときだった。息子は一歳だった。
真新しい遊園地で息子を遊ばせていて女の子を遊ばせていたS三と知り合った。
Sさんは田舎育ちで山菜や山草に詳しかった。
山を切り開いて造られた住宅地だったのでまだまだ自然いっぱいだった。
私たちは子どもを連れて自然の中を歩き回った。
帰りにはビニールの袋に戦利品がたくさん入っていた。
戦利品…わらびにつくしに芹にゼンマイまであった。
アクの抜き方を教わっておそるおそる食べた。
今ならネットですぐに得られる知識だけどSさんの話と本屋さんでの立ち読みで知識を仕入れた。
ツクシが食べられるなんて知らなかった。野蒜がこんなにおいしいなんても初体験。
子供たちは山菜の苦みが好きじゃないみたいで「春の味は嫌い」と言っていた。
奈良を離れてからは山菜を採りに行くこともなく定年後の勤め先が和歌山でそちらで10年ばかり暮らした。
もう子どもは居なくて二人暮らし。
和歌山は奈良の新興住宅よりずっと自然が豊かだ。
蜜柑や筍は買ったことがない。
嬉しかったのは近所に蕨山があったこと。ふんだんに採った。
子供たちにも送り塩漬けにもした。
筍堀りも楽しかった。
そして今、大阪で自然のないところで暮らしている。身体も老いて探しに行く気力もなくなっている。
こういう暮らしではメルカリが便利。堀立の筍や摘みたての蕨を送ってくれる。
昨日は筍のフルコース、今朝は蕨のスパゲティをおいしく頂いた。
もう一回蕨を頼もうかな。蕨ご飯を食べたいし。


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春が来ました

2024-04-02 | 雑記
四月になったらブログを始めようと思っていました。
去年からいろいろあってとどめは14才のダダ(マルチーズ)が虹の橋を渡ってしまったこと。
今、やっとなんとか立ち直ろうという気になりつつあります。
手始めはブログに再開ですが長年書き続けてきたlive door の編集には入れなくて諦めました。
ここは小梅さんに日記を書くところなのに中断したままですが、時々雑記として書かせてもらおうかと思います。
桜も咲き始めることですし。
もうずっと外出先は殆どお医者さん。
両足の股関節置換手術をしたのが昨年の一月でずっと週一でリハビリに整形外科に通ってます。
MRIとか胃カメラとか通院にはそれなりの理由があって…
夏の肺炎で入院した時には糖尿病と大動脈瘤が発見されてビックリでした。
糖尿病は入院中に治してくだされありがたいこと❗️
動脈瘤の方はCTを撮ってまだ小さいので様子見で通院ということです。
歯医者さんにも行かなければならず、月一でも直ぐに予約の日はきます。
時々ダダを探している自分に気付きます。あの子の視線を感じます。
私の帰りをずっと玄関で待っていてくれたダダ。

まあそんなこんなの日常、元気が出れば小梅さんにもここで再会できればと思っています。
ということでよろしくお願いします。
桜も咲き始めました。去年は最後にの桜になるかもねと駄々を抱いて桜並木の下を歩きました。
数日後に同じ道を一人で歩きましょう。
コメント (2)
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