小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

一月二十五日

2016-02-28 | 嘉永四年 辛亥日記

  
大いに晴れた。
早朝からお金が来る。
昼過ぎに八百助が来た。
2時過ぎに善一殿が来て、しばらくしてひさのが来る。
供の者へ酒を出し、先に帰らせる。
田中の下女のいさを借りる。10時頃に来た。
4時頃から人々がやって来た。
まず富永、札川、栗山、野呂、田沼。
市川と川島は今日、観音寺で集会があったので夕方に来た。
遠藤一郎、永井勇左衛門、山本浅之助、山田兵右衛門等も来る。
岩一郎に与平を呼びにやったが来なかった。
万二郎がいろいろ手伝ってくれた。
夜の2時頃に皆々帰る。
野呂とお金は泊まった。


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一月二十三日、二十四日

2016-02-27 | 嘉永四年 辛亥日記

一月二十三日  

快晴する。
昼過ぎに野呂清吉がきた。酒販を出す。
2時頃主人は山中に行き少々遅くなったようだ。
榎本半助は結構ということにつき山本彦十郎殿が家来を寄越した。
「榎本に御殿で会いたいゆえ、川合殿も同道されたし」とのこと。
主人は「自分は参れませんが宜しくお願いします」と伝えた。



一月二十四日 

風呂を焚くので大いに忙しい。
母君は岡崎やへ行く。
夜はくたびれて用事はあったけれど小梅は早寝。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一月二十二日 

2016-02-24 | 嘉永四年 辛亥日記
 
快晴だ。
朝、宮本秀二郎がくる。画を描いてくれよとのことで請け合った。
御殿女中から「絹を張らせるよう申したら手前で張るとのことゆえお張りください」との伝言があった。(画の上に張る布のことだと思われる)
主人は昼頃から学校へでかけ、そこから三浦殿(学問掛かり家老)へ教えに行った。
主人の留守中の2時過ぎに九右衛門殿が買い物に出てきたので立ち寄ったとこられた。酒を出す。
万二郎に頼んで田中店に行ってもらう。
城ノ口で弐朱かえる。
お金は蒲団の綿を持ってきた。代金が四匁五分のところ、五分値引きさせた。
ちりめん地も持参し六匁だが、これも五分引かせるつもり。
夕方に主人が帰宅。
八百輔が氷餅二つ持って箱を返しに来た。
母君は山半へ木綿を買いに行き直覚へも立ち寄る。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一月二十日、二十一日

2016-02-20 | 嘉永四年 辛亥日記

一月二十日 

八時過ぎに桃井隼人がきた。
詩を見せに岩一郎が市川へ行く。
同家から序文を書いていただいたお礼として金百五十疋を持たせられて帰る。
しかし、それには及びませんと返す。



一月二十一日  

夜明け前に雨が降った。
夕方、市川斉が来る。先日の礼として金百五十疋を持ってきた。
酒を出していると松下の家内がくる。
岩一郎は酒やすし、肴などを取ってもてなす。
菓子鉢や碁石などを持ってきた。
当方もすゞの猪口一つを寿代に持たせた。


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

一月十七日、十八日、十九日

2016-02-13 | 嘉永四年 辛亥日記
一月十七日  

夜前から降り始める。
小梅は田中へ行くはずだったけれど曇っているので行くのを止めた。
昼頃から風が出て天気は良くなった。
主人は浅之助の初めての講義だったのでお城に行った。
田中了が敬礼に来た。
2時過ぎに岩一郎が酒を取りに行きあり合わせで肴を出す。
しばらくして岩一郎は市川へ行く。
母君は紙取りに行く。
今日はご用がとこどころにあるということ。



一月十八日 

早朝、了敬に逢いに京喜へ行く。2時頃帰る。
「男ぎおんぼう」という柿を一箱持って民楠が来たので赤飯を出す。



一月十九日 

快晴。
風呂を焚く。
昼前に酒井省安がきた。あり合わせで酒を出す。昼飯もだした。
昼過ぎに富永が立派になって初めて学校に出るので来てくれと言われて主人は出かけた。
小梅はお金を連れて田中と内田両家へ行く。
浅之助方に行っていた岩一郎も帰りに寄った。一緒に四時過ぎに帰る。
朝、安兵が来て古箱を二匁で買った。
灯油を五合取る。
桃井から魚が一籠届いた。留守中にきたらしい。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする