小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

十二月十四日

2013-11-24 | 嘉永二年
」  
今日はとても暖かかった。
主人は学校稽古の当番なので昼過ぎに出かけた。
今日は岩橋楠松の葬送の日。朝早くから見送りに行った。
帰ると忠兵が来ていた。
岩一郎は権七を連れて二時頃から見送りに行き岡崎の寺まで送り夜の八時頃に帰った。
主人は夕方前に帰り酒を一盃呑む。
山水画の上に詩を書いて遠藤に持参したところ、留守だったので梅本に寄ったそうだ。
梅本で酒を出され、帰りにもう一度遠藤に行って渡せたという。
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十二月十三日

2013-11-05 | 嘉永二年
  
極上上の天気で至って温暖だ。
主人は魚を買いに行く。
一盃飲んで遠藤から頼まれていた詩を書く。
母上も小梅全紙へ合作した。
詩は尋花、歌は山雪、画は菊と石榴と書で四季になるのだ。
また、半切りへは山水画で秋の詩歌を書いた。
夕方に石橋が来たがすぐに帰りお茶も出せなかった。
夜になって岩一郎が岩橋に悔みに行った。
良蔵は今晩夜伽(宿直?)だという。
権七に頼母子講の祝儀を八匁遣わした。ほかの三匁は勘定の内から前払い。
餅米を買いたいというので袋を貸した。
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十二月十二日

2013-11-05 | 嘉永二年
  
十時前から主人は岩橋へお悔やみに行った。
五十目お香儀。
権七も後から下駄を持って行った。
良蔵は同家に米を搗きに行った。
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