小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

会えないまま

2019-11-22 | 雑記

 同人雑誌に入っていた。
 ネットで知ってまだ創刊2号という同人雑誌だった。
 書いて原稿料を得ていたのに書いてお金を払うのである。
 活字離れの昨今ではあるけれど、まだまだ書きたい人がいる。

 一年で4冊、春夏秋冬に出す。
 1頁いくらの分担金と年会費だけでは足らないから主宰に苦労は大変だっただろう。
 不足分は自費で補填してでも続けると頑張っておられた主宰。

 号を重ねるにつれて期待していた人たちが何人かやめていき、自分が書き続けるトコロではないと居心地悪くやめますとメールを送った。
 残念です。自分が膵臓癌になってしまったけれど命ある限り頑張りますとの返事。
 そうなると止めずに止められず半年ほど会費だけを払っていた。
 秋号がでているはずなのに知らせがないのは出稿してないからか。
 お見舞いをかねてメールしたら主宰の娘さんからの返事は訃報だった。
 予想してないことではなかったけれど現実となると放心状態となった。
 主宰が後を託した方のメルアドが記されていたが連絡する気はない。
 主宰をはじめ同人の人たちとの会うことは勿論交流が一切なかった。
 同人雑誌と言えば品評会でけんけんがくがくやりあうものだったがそれも昔の話。
 ネットだけのやりとりはあっさりすっきりといいものだった。
 
 ほんとに時代は変わった。
 主宰のご冥福をお祈り申し上げます。
 やがて、そちらで初対面が叶うかと思います。



 
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五月二十五日

2019-11-07 | 嘉永六年 癸丑日記

五月二十五日  

今日は左氏、いや、後漢書の会。
札川、富永、栗山、板坂、山本らが来る。
大いに暑く仏手柑の茶を飲む。
田中はこなかった。
糸を染めていたら色が悪くて、またとって染めた。
夜分、出かけた主人はすぐに帰った。




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