小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

十一月二十六日、二十七日

2013-01-19 | 嘉永二年
 十一月二十六日 
四時にみんな揃ったので八時半に家を出る。
新調の小袖を初めて着たので氏神様に参った。
二時頃、正住寺が寒見回りに菓子一箱持って来る。
夜になって淺之助が来て酒を出す。


 十一月二十七日 
主人は今日もご機嫌伺いに行くべきなのだが行かなかった。
風邪ゆえに行けないのでよろしく伝えてくだされと良蔵を伊藤に頼みにやる。
昼過ぎに伊藤が来る。酒を楠みやから取り、さよりを肴に呑む。
合作(絵のこと)のことを頼む。四時前にお帰りになった。
夕方、良蔵を米を取りに行かせる。一斗。
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十一月二十四日、二十五日

2013-01-18 | 嘉永二年
十一月二十四日 
曇っていたが暖かかった。
今日は学校当番。
中林良泰が岩一郎の腫れ物を診にくる。
軽い癕(よう)だとのこと。膏薬を取りに来るように言われる。
八百輔が寒中見舞いに庭に来た。
昨日、梅本が持参したタバコ(多葉粉)二玉の一つを仁達にあげた。


十一月二十五日 
今日は会の日。
富永、札川、田沼、田中等が来た。
終わってから酒を出す。その後から詩作が始まり、おかゆを炊いて出す。
夜になって回状がくる。
そこには「患っておられたお部屋様(城主の側室)が本日、丑の刻に逝去されたにつき、明日二十六日はご機嫌伺いに登城すること。ご逝去により仕掛けや普請は今日より三日、鳴り物は七日間禁止する」とあった。
回状は良蔵に大橋に回すよう持たせた。良吉と文斉もついて行く。

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十一月二十一日、二十二日、二十三日

2013-01-07 | 嘉永二年
十一月二十一日 
風が強い。あられや雪やみぞれが降る。風呂を焚く。
母君は夜に松下に行く。足袋を持参。
石橋順道がきた。大根の代金六匁八分支払う。


十一月二十二日 
今日は風も少し凪いでのどかだ。
寒に入った。
主人は三浦公へ行く。
夜は淺之助が来てすぐに帰った。


十一月二十三日 
二時過ぎから主人は山中殿へ行き、岩橋へも寄ったと夜分に帰る。
夕方には庄太夫が頼母子講のことで来たが、すぐに帰った。



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十一月二十日

2013-01-03 | 嘉永二年
  
寒い。雪もちらつく。
二時過ぎに主人は鈴木五郎兵衛宅へ行き酒をよばれる。
淺之助が夕方過ぎに来たので、良蔵に酒一升と豆腐を買いに行かせ鯨で一盃出した。
淺之助は早々に食べて、吉田庄太夫の所に行って頼母子講のことを頼むと帰った。
頼母子のことで田宮にも手紙を書いた。こちらから返事をすとのこと。

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