小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

十月二十五日

2012-06-28 | 嘉永二年
 
会(塾講義)なのでみんな来たが札川は来なかった。
終わった後に善一どのに酒を出した。
善一どのは山芋を持ってきていてそれを肴にみんなも酒に酔う。
良蔵は「谷屋」へ酒を取りに行った。
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十月二十四日

2012-06-23 | 嘉永二年
 
寒い一日。
二時過ぎ頃から富永と栗山が今日登城してお褒めを頂戴したと礼に来て四時過ぎに帰った。
今日は喜び事や何やかや方々へ行くつもりだったけれど、寒かった上に富永らが来たりしたので取りやめた。
だけど、約束したので夕方から田沼に行った。

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十月二十三日

2012-06-19 | 嘉永二年
  
よく晴れた。
主人は山中殿へ行き、田中に寄る。
夕食後にまた金森孫右衛門殿に呼ばれた。
山本、志賀、伊藤、川合等が呼ばれておおいに盛り上がったらしい。

今晩は野際蔡微の葬送があり権七に提灯をもたせ西光寺へ送らせた。
実は野際画伯は先月の二十五日頃に死去されたとのことで七十八才くらいらしい。
江戸ではこの画伯の絵がとても流行っているとのことで惜しいひとが亡くなったものだ。

今日、金原三蔵が四石となり銀三枚を頂戴したらしい。
田沼から今日の夕方においでくだされとの使いが来たが断る。
と、また使いが来て明日ならいかがというので行くことにした。
栗山も行くことになってるらしい。
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十月二十二日

2012-06-15 | 嘉永二年

よく晴れて温暖なり。主人は学校当番。
清吉も同様で昼頃にくる。出来合だけど食事を出した。
仏手柑酒、梨、橘などを京都へ送る。上山からの用事で池田の妻が来た。
先日に楊貴妃を描いてあげたお礼として木綿を一反を送ってくる。橘を五つ子供にへと渡す。
「山半」の使用人が来る。青茶二尺、黒八丈袖口、浅黄木綿一丈二尺、同五尺、もみ五尺を買う。
代金は十二匁六分と四匁五分。梅本の分も合わせて十匁を払う。
「上九」からも魚が届く。ぼら二、鮎一を札川へ送り、めんとり三を塚山に送る。その代金は八匁なり。
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ごぶさたでした

2012-06-10 | 雑記
すっかりご無沙汰してしまいました。
ふと思いついて巴里へ行っていました。
初めての海外フリー一人旅を体験してきました。
ただパリを気ままに歩くものです。



パリの街はかってとても汚かったそうですが、ナポレオン3世(初代ナポレオンの甥)が大改造して現代のような素敵な町並みになったそうです。
「小梅日記」はただいま1849年ですが、3世が大統領に選出されたのが1848年で、パリの大改造が始まったのが1852年。
日本でも数年後にはペリー黒船がやって来るわけですが、まだまだ小梅さんは平穏な日々を送っています。

いろいろな国の歴史を時間軸に並べて眺めてみるとなかなか趣があるものですね。

今回の旅ではいろいろと勉強になりました。
何よりも英語の単語少々で何とかなるということを学べました。
旅日記の整理がつきましたら、相変わらずのカメの歩みですが「小梅日記」続けます。
よろしく~。

写真はノートルダム聖堂の横から撮ったものです。


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