小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

四国遍路徳島編 まとめ

2016-05-09 | 四国遍路 阿波(徳島...

動機 特にありません。ふと、思い立っただけ。
荷物 有り物多用。 結果、反省点が多かったです。

第一回目 同行三人。

一日目  4月14日

10:35  和歌山南港発
12:50  徳島港着
13:05  バス発車
13:35  徳島駅発車
14:30  1番 霊山寺
     観梅苑宿泊

二日目  4月15日
 
06:00  起床
07:00  朝食
07:20  出発
07:45  2番 極楽寺
08:50  3番 金泉寺
10:10  愛染院
10:30   接待所発
10:45  五百羅漢
11:40  4番 大日寺
12:50  5番 地蔵寺
13:14  羅漢バス停
13:30  6番 安楽寺
15:00  7番 十楽寺
     十楽寺宿坊宿泊
 
三日目  4月16日

起床
出発
07:30 十楽寺出発
08:45  8番 熊谷寺
09:50  9番 法輪寺 
12:00 10番 切幡寺
14:10  うどんや やまじゅう
15:00 民宿吉野(疲労のためタクシー利用)
16:10  11番 藤井寺
 吉野宿泊

四日目  4月17日
    
07:00  吉野出発
09:00  長戸庵
11:20  柳水庵
       おむすび食べる
13:30  12番  焼山寺(タクシーにて)
15:     すだち館(善根宿)宿泊
16:00     神山温泉往復

五日目  4月18日

07:00  すだち館出発(車お摂待)
08:30 1番3 大日寺
09:2  14番 常楽寺
10:2  15番 国分寺
      うどんやぬまた
11:15  16番 観音寺
13;20  17番 井戸寺     
14:45 府中駅
      JRにて徳島駅
16:10  徳島第一ホテル宿泊


六日目  4月19日

10:00  十郎兵衛屋敷(娘浄瑠璃鑑賞)
14:00  藍屋敷(藍染め見学実習)
18:55  南海フェリー
21:05  和歌山港着

      
第二回目  一人旅
タクシーに乗ってしまった12番の焼山寺後半を歩くために行きました。

10月4日

08:30   和歌山港
10:35   徳島港
11:01   徳島駅着
11:35   徳島駅 バス
12:40   寄居中
        オニバー ランチ
15:00   民宿すだち館着

10月5日

05:00   起床
07:30   すだち館出発
08:30   柳水庵
09:30   一本杉
12:45   12番 焼山寺
14:20   寄居中 
15:50   徳島駅
17:00   民宿鮒の里

10月6日

04:30   起床
06:00   出発
06:40   18番 恩山寺
08:10   休憩所(戸田建設)
09:45   19番 立江寺
11:05   櫛渕八幡宮
12:10   胎蔵時
13:30   坂本道の駅
14:35   バス
15:45   徳島駅
16:30   徳島港
18:50   和歌山港


第三回目 一人旅

年内に阿波国を打ち終えたくて小倉に所用の帰途に出発。
和歌山は大阪に出るのが面倒なんです。
一人旅

11月22日

小倉からみずほで岡山へ。
19:05   岡山(うずしお)       
21:14   徳島
      ホテル・サンルート泊

11月22日

05:30   起床
07:10   徳島駅発  バス
08:10   坂本道の駅
       朝食いなり寿司
08:30   道の駅 出発
10:30   20番 鶴林寺
13:20   永井橋
14:00   太龍寺路山中
      休憩とおいなり
16:00   21番 太龍寺
       ロープウェイとタクシー
17:30   民宿山茶花泊

11月23日

07:00   22番 平等寺
09:00   23番 薬王寺
      遍路で知り合った車遍路の方のお摂待。
10:22   日和佐駅
12:14   徳島駅 
13:25   徳島港
15:40   和歌山港
     


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遍路23番 薬王寺

2015-12-07 | 四国遍路 阿波(徳島...
降りそうで、まだ降らない重い空。
平等寺のお詣りを済ませ、Tさんのお友達のFさんの車に乗せてもらいました。
お天気が良ければ、歩いて行くと突然に海が現れて、一番札所からずっと山道と田園だったのでとても感動するそうで。こんな暗い空でなかったら歩いて行きたいけれど…全部は歩けないような気がします。

薬王寺のある日和佐までは山と海が見える方の二つの道があります。
山の方はアスファルト道ですが距離は短く、海側は距離は長いけれど景色が素晴らしいということです。
Fさんは細い山道を縫って海側の道へと走ってくれました。
時々、雨がフロントガラスに当たります。
見えた海は当然ながら灰色でした。
海沿いにうねるように走ります。
由比の浜、田井ノ浜、木岐港などを横目に見て日和佐に到着です。
歩けば八時間以上かかる距離が30分。車ってすごいです。
幸い雨はやんでいます。晴れそうにはないですが傘を出さずにすみました。
日和佐は薬王寺の門前町のような感じです。
お土産屋さんや食事処がたくさん並んでいます。お正月などは参拝客で溢れるそうです。
ですが、雨が降りそうな8時前の町には人もあまりいません。



第23番札所  医王山 薬王寺
ご詠歌   皆人の病みぬる年の薬王寺 瑠璃の薬をあたえましませ

この寺は行基が聖武天皇の勅願を受けて建立し、弘法大師が平城天皇の勅命で厄除け薬師如来を刻んで本尊としたと縁起にはあります。以後は厄除けの官寺として多くの天皇や上皇が参拝に訪れています。
阿波国、発心の道場の最後の札所は高台に建っていて海を見下ろせます。
薬王寺は高野山真言宗の別格本山で全国的に厄除けの寺院として有名だそうで、42段の男厄除坂33段の女厄除坂から本堂に登ります。ご詠歌の「病みぬる年」というのは厄年のことなんですね。
薬王寺のシンボルとされているのが赤い丸い屋根の瑜祇塔(瑜祇経の経典が納められている)でここへ上る61段の坂は還暦厄坂と呼ばれています。

大きくて立派なお寺でした。ただ街道に面しているためかあまり荘厳さはかんじませんでした。
Tさん、Fさんと三人で本堂の前の広場から海を眺めました。
Tさんは太龍寺に参るかどうか悩んでいます。車で行ってもあそこは駐車場から急坂を2キロの歩き。ロープウェイ乗り場までは大回りですし天候が悪い。
きっと、Fさんのサポートで行かれたのだろうと思うのですが。
感謝の気持ちで太龍寺で買ったお線香と納め札をFさんにお渡ししました。
また会うことがあるのでしょうか。ありがとうございました。

車を見送って駅に向かいました。日和佐駅はすぐそこです。9時の電車が出たばかりで一時間あまり待ちます。
次は3時間後です。駅から見える日和佐城にも港にも行けそうです。でもそんな好奇心はなく日和佐の道の駅で時間を潰しました。足湯がありましたが靴下を脱ぐのが面倒です。特産品に美味しそうな物がありましたが重そう。珈琲を飲みながら行き交う人々を眺めていました。





電車は一両のワンマンカー。途中で一両が連結されて徳島駅へ到着。
バスで港へ行き、南海フェリーに乗船。連休の最後の日だからか満杯でした。
船に乗った時はかなり強く降った雨も和歌山に近づくにつれて青空が見え始めました。
エネルギーセンターへ渡る青岸橋が見えたときはなぜか心がほっこりしました。




家には16時前に着きました。
阿波を打ち終わったという満足感に浸る一方で、次は土佐と思いは高知に向いています。でも、アスファルト道が多いので車で行こうと思います。
当分はお遍路のことは封印です。
歩く力を蓄えるために務めます。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遍路22番平等寺

2015-12-05 | 四国遍路 阿波(徳島...
6時半に出かける支度をして食堂に下りていったらすぐに朝食が運ばれてきました。
あたたかい具だくさんのおみおつけがほっとさせてくれます。
Tさんたちも出てきました。
「今日はよろしくお願いします!」
お掃除にはパートさんにきてもらってるそうですが、なにもかもを女将さん一人で切り回しているようです。

食事を終えるとお隣の平等寺に行きました。
道路を挟んで広い駐車場がありましたが、まだ一台もきてません。
納経所は7時からですが、お寺はいつでもお詣りできます。
空は暗くて今にも泣きそう。



第22番札所  白水山 平等寺
ご詠歌  平等にへだてのなきと聞くときは あら頼もしき仏とぞみる

昔の平等寺には大きな通夜堂があって参拝者や誰でもが泊まることが出来たそうです。なかには家族で長逗留する人たちも居て一種の救済施設の役割も果たしていたようです。
大師が掘ったという井戸からこんこんと水がわき出ていて、霊験あらたかな水ということで遠方から組みに来る人もいてお寺でも容器を売っています。

縁起では弘法大師がこの地で修行していると5色の雲が棚引いて中から薬師如来が現れ、大師が水を求めて杖で地面を掘ると乳白色の雲水がわき出たとのこと。
100日の修行の後、大師は薬師如来像を安置して人々がみんな平等に救済されるようにと白水山平等寺と名づけたそうです。

朝一番のお詣りは格別。お線香も一番のりです。
たいていのお寺の仁王門は網が張ってあったり暗くてスマホでは撮れない写真がここでは薄い朝の光のおかげで撮れました。

     

男坂、女坂から上がっていく本堂は修理中でした。7時になると納経所の窓が開きました。
鶴林寺道で出会った足の悪い男性がやってきました。
昨夜は太龍寺の麓の宿で泊まって、4時から歩き始めたそうです。
頭がさがります。
ここの本堂には足の不自由な人が霊験あらたかな水で治ったお礼にと奉納された箱車が納められているそうです。
この方にもそうした霊験がありますようにと祈らずにはいられません。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遍路初日 

2015-04-29 | 四国遍路 阿波(徳島...

「観梅苑」という名の通りその民宿は梅園の中にあった。梅農家が民宿を始めたような感じ。梅干し販売所が傍にあった。
早めに着いたので一休みしたから散策に出かけた。
この宿へは大きな鳥居をくぐって立派な並木を左折したので、その並木の先が気になっていた。聞いてみると大きな神社があるという。
石灯籠と桜が両側に並ぶ長い道の先には赤い橋があって由緒ありげな鳥居があった。






阿波の国の一の宮「大麻比古神社」
地元では”おおあさはん”と呼ばれ、古くから信仰を集めています。忌部氏の祖先を祭り、大和朝廷とも関連の深い歴史のある神社で、現在は徳島県の総鎮守として信仰を集めている。境内は大麻山県立自然公園に指定されている。また、樹令 約千年余の楠が大麻比古神社の御神木として崇められている。



柏手を打ってお詣りしていると若い神官が本殿の扉を閉めにきた。多分、17時なのだろう。神官がこの神社の由来やら裏山にあるドイツ橋のことを教えてくれた。
ドイツ橋!そうだった。時間があればドイツ館に行きたかったのだと思い出した。ドイツ館とは「第一次世界大戦中のドイツ人捕虜収容所(板東俘虜収容所)の記念施設として、1972年に創設された。捕虜の人権尊重と自主的な運営を許し、地元民との交流も活発に行われたため多くのドイツ文化が伝えられた。そのひとつとして音楽の分野ではベートーベンの第九がこの収容所において日本国内初演された。建築物では、近くの大麻比古神社に彼らによる石造りのアーチ橋(ドイツ橋)も残っている。こういった当時のエピソードを紹介するための施設である。」(by  wikipedia)











ドイツ館の傍には道の駅もある。しかし、どちらも5時までだったから間に合わない。
追いかけてきた神主さんが帰国を前に記念として母国の土木技術を生かし近くで採れる和泉砂岩を使って造られたというドイツ橋への門をあけてくれた。
新緑の木々と小さな川の流れに石畳もアーチ型のかわいい橋がおとぎ話の国に迷い込んだような感じで前日に来た甲斐があった。

入浴して食堂で夕食。お遍路さんは先を急ぐので一番札所で止まる人は少ないのか二組の方しかいなかった。





部屋からは梅園の向こうに建つドイツ館が見えた。
朝食は7時からということで8時出発を決めて早々に寝床に潜り込んだ。
いよいよ、明日から本格的な歩きが始まる。大丈夫かなあ、私の足。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする