小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

「次の遍路に向けて」

2015-05-30 | 四国遍路

八十八分の十七を回ってたくさんのわかったことや反省点があります。
まずは「塡まる理由」
達成感が得られるようでおしまいがないこと。
数とか速さとかではなく、どこまで個々の寺を奥深くお詣りできたか。
見落としの多さを納経帳を埋めることで良しとしてしまったようです。
また、欲がでてきて番外寺も制覇したくなることも再訪の理由でしょう。
なによりはまず八十八札所を回らなければ挫折感が拭えません。
今回は「歩き」と言いつつタクシーも使ってしまったので、そこを歩きたいとの未練も残りました。

次の反省点は情報の選択点です。
準備段階で本やネットで情報収集に努め、関連ブログも読みあさりました。
荷物は少なくという点は共通していましたが、靴とか装束ではそれぞれ違っていて悩ましいところでした。歩きが重点ですから靴の選択は難しく、ゴアテックスのトレッキングシューズを履いていきました。雨具も上下を持参。これが結構重かったです。マメ対策や虫対策のそれぞれでした。情報には当たりもハズレもありました。この経験は今後に生かしていきたいです。
全体に於いて本やネットの情報は大袈裟だなと思いました。もっと、気楽に考えてもいいのではないかというのが正直な感想です。

大切なのは何を主眼におくかということ。
お詣りなのか、山歩きなのか、撮影なのか‥‥一つに絞らなければいけないのです。
例えば写真。記録であればスマホだけで充分です。良いカメラは重いですし、ピントや構図を考えるだけでかなりの時間を食って仲間に遅れます。だから、中途半端なものしか撮れません。四国の野鳥を撮ろうなどとはゆめゆめ思ってはいけなかったのです。

衣類に関しては速乾性の物を選び着替え一組で充分。どこの宿でもタオルや浴衣があり、洗濯機と乾燥機(有料)が置かれています。
ガイドブックと携帯電話やスマホの充電器は必需品です。同行者とはぐれた時にも助かりました。また、ガイドブックを見ながらの宿の予約やキャンセル、タクシーを頼む時も必要になります。Wi-Fiはまだまだですが、携帯の電波は殆どどこでも飛んでいました。
タクシーといえば、車が通っている道ならどこへでも迎えにきてくれます。しゃかりきに頑張らなくても天気や体調に合わせて利用すればいいんだと思うと気が楽になります。
また、現金は多く持たずにカード、それも郵貯のカードがいいようです。地方なのでコンビニよりも郵便局の方が多いからです。

宿は出発前に決めてしまうより、お昼頃にどこまで行けるか見当がついてから予約するのが自由度があがって楽しいかもしれません。満室でも、お寺の付近にはいくつかの宿があるので大丈夫なようです。不幸にして野宿になった人も居ますがそこは行程との相談、見通しの甘さに注意が必要なのだと思います。

体験してみておおよそのことが判ったような気がするので、反省点も踏まえて歩ける内に行けるところまでと気楽に考えて次回に期待したいです。
帰宅してから大きなストレスを背負い込んでしまったことと相まって…
遍路からではなく全く別の意識下の問題が遍路に行ったことで意識上にあがってきて、結局は遍路に行かなかったら気がつかなかったかもしれないという複雑な構造…体調を崩し引き込んでいましたが、ようやく復調できつつあり行きそびれた潜水橋にいつ行こうかと考えはじめています。

休養中に塡まったのが輪ゴム遊びです。
カラフルで、簡単で、複雑で面白いです。

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「遍路日記‥‥六日目‥‥番外」 

2015-05-19 | 四国遍路

朝食はホテル内の食堂でバイキング。名前に笑ってしまった。

     

外に出ると雨はまだだが、どんよりと今にも泣きそうな空。
タクシーで阿波十郎兵邸へ。
十郎兵とは罪状も明らかにならないまま処刑された庄屋だとか。
ここはその板東十郎兵の屋敷跡で「傾城阿波の鳴門」のゆかりの場所とある。

     


「傾城阿波の鳴門」は人形浄瑠璃では一番有名な演しもの。
そのハイライト場面が30分ほど実演された。
何度か見たことのある演目なのに感情移入してしまう。文楽を見に行こうと思った。
三人で一つの人形を操り、義太夫と三味線が感情を盛り上げるので文楽とほぼ同じ。
違うのは文楽が劇場で上演されてきたが、この阿波人形浄瑠璃は淡路から伝わり四国内の多くの農村を回って演られてきたことだろうか。







かしらなどいろいろ展示されている。
すぐ傍の「阿波木偶(でこ)人形会館へも回った。
人形の命とも言えるかしら作りの行程を実際に見せてくれる。
丸太が顔になっていく順序や、表情を瞬時に変化させるらめのからくりなど感心することがいっぱいだった。
八百屋お七が展示されていたが鐘楼に登っていくところを舞台で見たいと思う。





きれいな庭園があって戸塚さんと再会。
金比羅さんの町内会の慰安旅行にきたというおじさんから「徳島に来たら藍の館」に行かないとつまらん」と言われた。
13時半。眉山に行くという戸塚さんとはバス停でお別れ。
食べるところが何処にもない。
空腹のままバスがないのでタクシーで「藍の館」へ行く。
ここには道の駅風な店があったので海苔巻きとお茶を買って店内の休憩所で食べた。
さて、「藍の館」とは藍染め関係の展示や実習や即売を行っているところ。
大昔から吉野川流域では藍の栽培が盛んで日本有数の大産地。
この中には藍で豪商となった「藍商屋敷」が再現されていて種まきから染め物に出来るまでの過程が人形などを使って詳細に展示されている。
もともと紺とか藍色が好きなのでとても楽しむことが出来た。
ついでに実習にも参加。白絹を買えば参加できる。
つきっきりで教えてくれるせいか意外に簡単に世界に一つだけのショールが染め上がった。
遍路にいってきたからか、柄は五百羅漢さまが並んでいるように見える。

  




徳島駅へは3時半についた。ここから電車や船でそれぞれの家に向かう。
「おつかれさん~」と同行者と別れて港へのバス停に向かっていると広島さんに出会った。
同じホテルに泊まったはずなのに会わなかった。それが最後の最後に再会。お茶でもすればよかった。
というのも、バスは少なく船も少ない。
港の暗い冷たい風の中で3時間も時間を潰さなければならなかったから。
船が港を離れた頃から雨が降り始めた。遍路道では一日中時雨れていたようだ。
雨の中でキラキラ何かが光る和歌山南港に着いたのは21時5分。



予定より一日早い帰宅であった。
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「遍路日記‥‥五日目‥‥3」 

2015-05-18 | 四国遍路

うどん屋さんを12時30分に出発。
次の札所までは4キロあまり。
藤の花が咲いているお宅を左折して、JRの踏切を渡って歯医者さんを過ぎてさらに直進を続ける。
突き当たりのカーブの奥にやっと井戸寺はあった。
お寺の横前におんやど松本がある。今夜の宿だ。かなり余裕のプラン。


十七番札所 瑠璃山 井戸寺
ご詠歌 面影をうつしれみれば井戸の水 結べば胸のあかやおちなん

壬申の乱に勝利した天武天皇の勅願によって建立されたという。
聖徳太子、行基説もあるがいずれにしても古い歴史を持つ寺。
7体の薬師如来が著名。弘法大師が拝礼にきた折に11面観音を彫って安置した。
寺の名前となった井戸は渇水を救うために大師が掘った。面影の井戸として名物となっている。



今日はここまでというととでのんびりしていたら、明日から雨という情報がまわってきて心が折れた。
明日の恩山寺までは14キロだから早立ちするつもりでここに宿を予約したのだけど‥‥
徳島市を抜けるのでバスや電車もあるにしても雨の中を歩く体力はなさそう。
ここを乗り切ると予定通りに阿波一国を制覇できるのだけどと額を集めて相談。
頭を丸めた江戸川さんは先を急ぐとすれ違いに門を出て行った。
浜松夫人はご主人が番外寺の地蔵院に回られたとかでのんびり。
広島さんは徳島のホテルを予約したから明日は「遍路は出直します」と市内観光して帰るそうだ。
そこへ「一枚、もらっていただけますか」と葉書大のスケッチを差し出された。
焼山寺でスケッチをしていた男性だ。戸塚さんは各お寺の本堂をスケッチしていた。
三番札所の金泉寺の絵をいただいた。嬉しくって何度もお礼を言った。



そして、ここで意外な展開となる。
戸塚さんは明日には帰らなければならないので明日は徳島の人形浄瑠璃を見て帰るとのこと。
それに興味のある同行者が食いついた。我々もそれを見て今回は打ち切りにしましょう。
まだ、空は青いのに‥‥。
おんやど松本屋さんに事情を話してキャンセル。
さて、徳島にはたくさんのホテルがあるがと迷っていると、広島さんが自分の泊まるホテルの電話番号を教えてくれた。
予約が取れた。
徳島まではJRだ。
越えてきた踏切の辺りに駅がありそう。
えんえんと歩かなけりゃならないが、この旅最後の遍路歩きだから頑張る。

浜松夫人と少しおしゃべりしてお別れを言う。
府中駅は簡単に見つかった。自転車がかなり置かれている。
ふちゅうではなく「こう」と読む。
昔はこのあたりが中心地で栄えていたらしい。
「ふちゅう」は「不忠」に通じるので「親孝行」の「こう」と呼ぶようになったとか。
電車は1時間に2本。戸塚さんが待合室にいた。
広島さんの姿は見えない。寄り道かな。
2両編成の電車の下りがきて陸橋の上から撮ってると戸塚さんもカメラを出して「撮り鉄ですか」と笑った。
  


予約した県庁前のホテルへは16時頃に着いた。
中から出てきた男性が「奇遇ですな」と声をかけてくれた。
どこかでお会いしたのだろう。
同行の奥さんの足が腫れて歩けなくなったので病院へ行ったら即入院となってもう五日になるという。
そこでこのホテルに滞在して毎日病院に通ってるそうだ。
「大変な遍路になりましたね」というと「いや。人さまの優しさや思いやりが身にしみています。みなさんにどれだけ助けられたことか。遍路に来て教えられることがいっぱいで来てよかったです」との答え。
返す言葉がなかった。
    


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「遍路日記‥‥五日目‥‥2」 

2015-05-17 | 四国遍路

次の国分寺は近い。近いと知るだけで足が軽くなる。
10時25分に到着した。

第十五番札所 薬王山 国分寺
ご詠歌 薄く濃くわけわけ色を染めぬれば 流転生死の秋のもみじ葉






天平時代に聖武天皇の勅願によって国ごとに五穀豊穣と国家鎮護を願って建立された。奈良の東大寺はその総国分寺となる。四国には4つの国分寺が置かれて全部が札所となっていてここはその一つ。
行基が薬師如来を造って安置したという。枯山水や阿波で採れた青石の巨石を配置し独特の造形美がある。
が、先を急ぐので鑑賞できなかった。






10時45分には出発してしまい、惜しいことをしてしまった。
この遍路ではそういうことが多いけれど、反省点の一つだ。

11時15分に次の観音寺に着いた。

第十六番札所 光耀山 観音寺
ご詠歌 忘れずも導きたまえ観音寺 西方世界阿弥陀の浄土へ



道路に面して鐘楼門があった。
聖武天皇の勅願寺として弘法大師が千手観音や不動明王、毘沙門天を刻んで安置した。
門をくぐるとすぐに本道という小さな境内。夜泣き地蔵が祀られていて子供の健康と成長を願っている。





定石通りのお詣りを済ませると11時40分。次のお寺までは4キロある。途中に食べるところはあるのかな?と、近くに「ぬまた」というおうどん屋さんがあるとの情報をゲット。その店は5分ほど行くとわかりにくいところにあった。のれんをくぐると満席だ。浜松夫妻が椅子席にいた。運良く席を立った人が居て畳み席に上がった。相席で男性が一人いて、彼は広島さんだった。顔見知りが多いと話も弾む。靴を脱いだので体中に酸素が回ったような感じ。


冷たいてんぷらうどんを注文した。やまじゅう(切幡寺からの店)よりは少し柔らかめのうどんだったがおいしかった。
ここでちょっと寛いで12時半に重い腰をあげた。

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「遍路日記‥‥五日目‥‥1」 

2015-05-16 | 四国遍路

6時半に朝食。昨夜はバスの屋根付き停留所(焼山寺行きバスの終着駅なのだ)で寝たという玉川さんも元気に朝食を共にした。若い人たちは既に出発済み。
ご主人がその食器を洗っている。
我々も7時に出発。といってもご主人が車で送ってくれる。
奥さんがペットボトルのお茶とぽんかんとお菓子をくれた。食事、おいしかったです。
次の大日寺までは鮎喰川に沿って30キロもある。この遍路のために頭を剃ったという定年退職した江戸川さんも一緒。
清流に沿ってしばらく走るとご主人が車を止めた。
山側のお地蔵さんに水をあげるためだ。このお地蔵さんはご主人が諸々の願いをこめて建立したもので毎日、お世話しているという。



小一時間走るとご主人はまた車を止めた。
お接待所だ。歩いてきた人にはなんともありがたい所。
中にはテーブルや椅子、案内所に飲み物、お菓子などがおかれてある。
「へんろみち保存協会」の方々がやってられるらしい。
投句箱が置かれていたので即興の一句投入。「傷ついて花の終わりの遍路道」

  

ここからは次の大日寺まではすぐだった。8時半に到着。
県道に面して山門があった。道を挟んだ真向かいに阿波の総鎮守だった一宮神社が鎮座している。
「すだち館」のご主人とはここでお別れ。ありがとうございました。

十三番札所 大栗山 大日寺
ご詠歌 阿波の国一宮とはゆうだすき かけて頼めやこの世のちの世

弘法大師がこの地で修業していると大日如来が現れて「この地は霊地なり。心あらば一宇を建立すべき」と告げたとされている。大師は大日如来像を造ってお寺を建てて像を安置して大日寺と命名した。







合掌する掌の中に現代アートのような観音像がおわす。
個人的にはちょっと違和感があるかな。
ここで浜松夫人と再会。泊まられたなべいわ荘はすだち館のちょっと先だったから、始発のバスで来たそうだ。
ここで歩いてくるご主人を待つそうだ。「なにしろ歩きに拘ってるもんで」と笑う。
いいなあ。泊まるところさえ確保しておけば自由なスタイルで参詣すればいい。
ツアーの人たちがどっときた。8時50分出発。

田園地帯を歩く。田畑の道もある。
所々にお地蔵さんが立っている。
幅が広くなってる鮎喰川の長い橋を渡る。河原にはシラサギがいて我が家のアオサギを思い出す。
さらに歩き遍路用の道を進む。



  

曲がってなだらかな坂道を登っていくと空に張り出したような建物が見えた。
常楽寺らしい。
やがて門が見えてきた。常楽寺到着9時20分。





十四番札所 盛寿山 常楽寺
ご詠歌 常楽の岸にはいつか到らまし 弘誓の船に乗りおくれずば

四国霊場の中で唯一の弥勒菩薩が本尊の寺。
「流水岩の庭」が有名。本堂の前庭は海辺の岩場のようになっていて歩きにくい。
これは長年の風雪によって浸食されたからで「流水岩の庭」となったという。
歩きにくいがいわれをきくと有難く思うのも凡人ゆえか。
弘法大師の像もこの流水岩の庭で本堂に向かって立っている。





昭和30年から戦争孤児を育て始め、今は養護施設「常楽園」を運営している。
10時に出発。足が痛い。マメよ、つぶれないでおくれ。
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