11月25日 結願高野山
晴天、風冷たし。
名残の紅葉を見に行こうと夫が高野山へ連れて行ってくれた。ありがたや。
これで結願報告を年内にできる!
高野山には何度も行っているがこんな風にお詣り主眼では初めてだ。
8時に家を出て9時半に大門到着。近くの駐車場に入れた。ここは無料駐車場が多い。ありがたや。
真言宗総本山 高野山
ご詠歌 ありがたや高野の山の岩かげに 大師はいまだ おわしますなる
(金剛流ご詠歌がたくさんある)
本尊 大日如来 弘法大師
高野山は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。
2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。.wikipediaより)
金剛峯寺は高野山真言宗の総本山。
壇上伽藍
一般寺院での本堂の区画にあたる。国の史跡であり世界遺産でもある。弘法大師が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、奥の院と共に高野山の二大聖地の一つ。金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。ほかに大塔、御影堂、不動堂などが立ち並んている。紅葉が少し残っていたし、十月桜も咲いていた。
奥の院
国の史跡・世界遺産。空海の御廟と灯籠堂がある。参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所があり、シロアリの墓標まである。実家のお墓も有るはずで幼い頃に連れてこられたように思うけれど古老がみんな鬼籍に入ってしまったので場所を聞く人がいない。奥の院の入り口は一の橋と中の橋の2箇所があるが、正式には一の橋から参拝する。一の橋からは撮影禁止となる。御廟までは約2km。
御廟は地下にあって順路がもうけられていた。ここは『弘法大師は今も生きている。高野山奥の院の御廟に座して1日2回の食事をとっているという場所。
さすがに凜とした空気が流れている。
奥の院の納経所の傍には水向地蔵が並んでいてお水をかけた。線香の煙が『時』のように流れている。
納経所で最後の御朱印をいただいた。「結願ですね。おめでとうございます」と言われた時にはふいに涙がこぼれそうになった。言葉の重みを思う。
高野山には無数の寺院があって納経できるのは117もあるとか。ゆえに高野山専用の納経帳も売っていた。わたしの納経帳は金剛峯寺と奥の院だけで白い頁はなくなった。冒頭頁に御朱印をいただくと忘れ物がもどってきたような感じだ。
奥の院からの帰途、違う道筋を行くと無縁仏の山?があった。樹木葬とか共同墓地のはしりのように感じた。
それにしても高野山は広い。宿坊で二泊ほどしなければちゃんとは回れないだろう。大門から奥の院まで次々とバスがでている。勿論、乗らなかった。大門から往復とも歩いた。参拝後、昼食で精進料理を食べた。
また、高野山大学の学僧たちが巡拝に回っている姿も見られた。
お遍路は歩かないと出会わないこと、見られないことがたくさんあると改めて思う。
ちょっと寄り道して製造販売をしている胡麻豆腐を買った。ちゃんと保冷袋を持参していた。
15時半の帰宅だった。
晴天、風冷たし。
名残の紅葉を見に行こうと夫が高野山へ連れて行ってくれた。ありがたや。
これで結願報告を年内にできる!
高野山には何度も行っているがこんな風にお詣り主眼では初めてだ。
8時に家を出て9時半に大門到着。近くの駐車場に入れた。ここは無料駐車場が多い。ありがたや。
真言宗総本山 高野山
ご詠歌 ありがたや高野の山の岩かげに 大師はいまだ おわしますなる
(金剛流ご詠歌がたくさんある)
本尊 大日如来 弘法大師
高野山は、和歌山県北部、和歌山県伊都郡高野町にある周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの平坦地に位置する。平安時代の弘仁7年(816年)に嵯峨天皇から空海(弘法大師)が下賜され、修禅の道場として開いた日本仏教における聖地の1つである。現在は「壇上伽藍」と呼ばれる根本道場を中心とする宗教都市を形成している。山内の寺院数は高野山真言宗総本山金剛峯寺(山号は高野山)、大本山宝寿院のほか、子院が117か寺に及び、その約半数が宿坊を兼ねている。
2004年(平成16年)7月7日、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が熊野、吉野・大峯と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』としてユネスコの世界遺産に登録された。.wikipediaより)
金剛峯寺は高野山真言宗の総本山。
壇上伽藍
一般寺院での本堂の区画にあたる。国の史跡であり世界遺産でもある。弘法大師が曼荼羅の思想に基づいて創建した密教伽藍の総称であり、奥の院と共に高野山の二大聖地の一つ。金堂は高野山全体の総本堂で高野山での主な宗教行事が執り行なわれる。ほかに大塔、御影堂、不動堂などが立ち並んている。紅葉が少し残っていたし、十月桜も咲いていた。
奥の院
国の史跡・世界遺産。空海の御廟と灯籠堂がある。参道には、皇室、公家、大名などの墓が多数並び20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所があり、シロアリの墓標まである。実家のお墓も有るはずで幼い頃に連れてこられたように思うけれど古老がみんな鬼籍に入ってしまったので場所を聞く人がいない。奥の院の入り口は一の橋と中の橋の2箇所があるが、正式には一の橋から参拝する。一の橋からは撮影禁止となる。御廟までは約2km。
御廟は地下にあって順路がもうけられていた。ここは『弘法大師は今も生きている。高野山奥の院の御廟に座して1日2回の食事をとっているという場所。
さすがに凜とした空気が流れている。
奥の院の納経所の傍には水向地蔵が並んでいてお水をかけた。線香の煙が『時』のように流れている。
納経所で最後の御朱印をいただいた。「結願ですね。おめでとうございます」と言われた時にはふいに涙がこぼれそうになった。言葉の重みを思う。
高野山には無数の寺院があって納経できるのは117もあるとか。ゆえに高野山専用の納経帳も売っていた。わたしの納経帳は金剛峯寺と奥の院だけで白い頁はなくなった。冒頭頁に御朱印をいただくと忘れ物がもどってきたような感じだ。
奥の院からの帰途、違う道筋を行くと無縁仏の山?があった。樹木葬とか共同墓地のはしりのように感じた。
それにしても高野山は広い。宿坊で二泊ほどしなければちゃんとは回れないだろう。大門から奥の院まで次々とバスがでている。勿論、乗らなかった。大門から往復とも歩いた。参拝後、昼食で精進料理を食べた。
また、高野山大学の学僧たちが巡拝に回っている姿も見られた。
お遍路は歩かないと出会わないこと、見られないことがたくさんあると改めて思う。
ちょっと寄り道して製造販売をしている胡麻豆腐を買った。ちゃんと保冷袋を持参していた。
15時半の帰宅だった。