小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

三月十九日、三月二十日 

2016-06-28 | 嘉永四年 辛亥日記

三月十九日 
また雨。学校当番。
山本督学から「坂口が来るにつき一寸をひとつ食べるのだが人数が少ないのできてくれ」の使いが来た。橙も一つ欲しいとのこと。九つあげる。
庄兵に質物を貸す。大小を遣わす。最近は至って困窮している。
岩一郎は市川の謡の会が申しん堂の近所であるので昼頃から行く。
田中万之助の家でおおいに歓待されたそうだ。主人と夜の10時頃に帰った。
豊も夕方の4時頃に帰って来た。



三月二十日 
くもる。
昼過ぎに楠本やがくる。岩橋藤助殿もくる。
上九にて肴や取口を取り田中店で酒一升を取る。
主人は海野に行き藤助殿も連れだって
主人が帰るまで楠本やがいて画、書、歌などの話をした。
岩一郎は会で岩橋左内宅へ行く。
雨は大降り。
海野に松平の息子が書いた詩の本を一冊もらった。
真善を送り帰したのは2時頃だ。
茶を沸かし菓子を食べて寝た時は3時頃になっていた。


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三月十八日

2016-06-26 | 嘉永四年 辛亥日記
 
曇るけれど雨は降らなかった。
昼過ぎに主人は山中殿へ行く。
嶋本へは祝いに行く。
さらに喜多村半助宅へ行き夜の10時頃に帰った。
菓子を少々貰ってくる。
留守中に黒江の豊の家から飛脚が来て編み笠餅を一重寄越した。45個あった。
少々腹痛だが明日帰るとのこと。

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三月十七日

2016-06-23 | 嘉永四年 辛亥日記


中谷秀助が来たがすぐに帰った。
2時頃九右衛門殿がふじん燈を持参。一両だという。
酒を出す。魚はカレイを一匹取る。
酒は田中店で一升。砂糖は岡伝で取りこれは志賀への香典。
4時頃に主人は三浦に行くがかえりに志賀へ行くはず。
少し遅れて九右衛門殿が帰った。
米一斗、代13匁2分。醤油一樽と城ノ口が持って来た。
八百定は炭を一俵持参。代3匁のよし。
富永章蔵の御扶持が今日出ると仰せつけられたとのこと。
三人扶持だと礼に来る。




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三月十六日

2016-06-21 | 嘉永四年 辛亥日記
 
また降る。
昨日、志賀から茶の子を二つ送ってきた。
17日はたいやが相勤めるとのこと。
昼食後ひ岩一郎は岡野へ稽古に行き4時過ぎに帰る。
また夕方に主人が行って夜の10時過ぎに帰って来た。
ひどく寒くて炬燵を拵えた。
喜多村から手紙がきて宮崎伴右衛門にさしつかえるので改名のことお願いするとのこと。


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三月十五日

2016-06-18 | 嘉永四年 辛亥日記
 
ようやく雨がやんだ。しかし曇る。折ふし日も当たる。
今日は休日。
昼過ぎに下女の豊が黒江に帰る。
身ごしらえを手伝ってやる。
家族で一杯やった。
藤四郎殿が来る。
了吉、万二郎らなどは八幡に参る。岩一郎は行かず。
晩には真善方での会があってうち連れて行く。
今朝、鉄助が来て岩橋藤助が一昨日高野山から帰ったことを言いに来たので主人は寿司を少し持って行った。
12時前に帰る。
岩一郎は12時過ぎに帰宅。
権七が魚久で寿司をとり後から魚久がきた。不埒だ。魚久はよもぎ餅を持参。

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