小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

三月五日 

2016-05-30 | 嘉永四年 辛亥日記
 
おおいに快晴。
早く起きて岩橋へ行く。
前夜に取り寄せた肴(タコ、こち、くずし等)を小さな重に詰めて岩一郎に持って行かせた。
野呂も同道だ。筍は家にある分なり。酒は同五で昨日取った。
野呂は直ぐに帰り、昼飯の時に来てまた帰った。何も出さず。
昼過ぎに小梅は喜多村へ行こうと着物を着替えていたら、竹田銀蔵が初めて来たので酒を出して話している内に善一殿も来た。
着物を脱ぎ代えて今日はやめ。
古岳も来て琴を弾いて遊んだ。みんな夕方に帰って行った。
岩一郎は昼に市川へ行き昼飯をよばれた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三月四日 

2016-05-28 | 嘉永四年 辛亥日記
 
朝、小雨が降り終日曇る。夕方から晴れた。
菊千代様のご疱瘡が御酒湯(疱瘡ほうそうの癒えた後、酒をまぜてつかわせた湯)を召し上がるのでお祝いの儀で召されて登城し拝謁した。
それによって赤飯とお酒を下された。
その事で半袴着用で10時に来るようにとの廻状があったので10時前に罷り出たのだ。
昼過ぎに帰宅。赤飯と小さな魚の焼いたのにお酒を頂戴したのだ。
学校当番なので昼過ぎに出た。
その後で山中作右衛門殿へ教えに行く。
また岩橋により夜の10時頃帰った。
帰る途中に木本屋へ肴を申しつけたので直ぐに持って来た。
これは明日早朝に藤助殿が高野山に行くので送る予定。
夕方、楠本やが子供を連れて来た。庭から帰る。野上への礼状に木賊三本をつけ豊に持たせてやる。
昼前には内田までとよに花を持たせてやった。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三月三日

2016-05-27 | 嘉永四年 辛亥日記
 
少しくもる。
梅本へ呼ばれた。
安兵衞もきて酒一杯出す。
了吉が昼前に園二郎と帰ってきた。
これにも一杯出し、昼飯を食べさす。
夕方から晴天。
主人はお城へも出かけなかった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三月二日 

2016-05-25 | 嘉永四年 辛亥日記
 
小雨が降る。
この頃は精米どんやでは米八十文で一升ずつ売る。
二度は買いに行くこともさせない。一升に限るそうだ。
直十いう者が米を多く買い込んだのがお上に知られ、こんなご時世だから盛大に叱られ闕所にも連行される沙汰があった。
それゆえに大坂へ薩摩の船三艘がきて、米多く積んだ船なので少しは米が安くなるとも言われる。
また、お上のお達しで安くなったとも言われているが実のところはわからないが、麦なども百の内に入れるとのこと。
しかし、2月22日に二分也でおおいに安心。
所々に払いばかりある。
夕方に岩一郎と善一殿が帰り、一杯出す。8時過ぎに帰られた。
筍5本が土産なり。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三月朔日

2016-05-23 | 嘉永四年 辛亥日記

  
大いに晴れる。
岩一郎は早く起きて支度し、鈴木芳右衛門を待って8時過ぎから出かけた。
権七が来て用事を片付ける。
橙を岩橋へ13、市川へ11送る。
4時頃から主人は山本へ見舞いに行き、帰りに岡野に寄った。
提灯を借りて帰る。10時頃なり。
伊勢屋で少々調達しに権七を行かせる。
省大朗どのも同様だったらしい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする