小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

四月八日

2018-12-27 | 嘉永六年 癸丑日記

四月八日 

おおいに天気良し。
山東伊太祁曽へ参る。
雄輔、虎之丞、為之助なり。
初茶屋で一杯食べにぎりめしも食べて参詣。
ご祈祷帰りなのでどこにも寄らずに2時過ぎに帰宅。
主人は岡野へ行き8時過ぎに帰る。同時に久野が餅を持ってきた。
今日は菊池と関口の稽古をみたいとみんな行く。
明日は西脇の稽古を見るらしい。
夜になって主人は丸山へ行った。

山東伊太祁曽神社
旧称は山東宮。式内社、紀伊国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。和歌山市内にある日前神宮・國懸神宮と竈山神社、伊太祁曽神社に参詣することを「三社参り」と言う。








祭神である五十猛命はスサノオの尊の御子神で、父神に従って高天原から大八洲国(日本)に天降ったとき、多くの樹木の種を持ってきて、日本全土に木の種を播き植林したので木の神様とされている。
4月第1日曜日には木祭が行われる。
「古事記」に大国主神の生命を救ったことが記されており、厄除、病難除の神としての信仰もある。

たま電車で有名になった貴志川線の伊太祁曽駅下車で徒歩5分。
深い森林に囲まれた大規模な神社。静寂さが心地良い。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四月七日

2018-12-20 | 嘉永六年 癸丑日記

四月七日 

快晴だが少し風がある。
廻状が来る。
そのあらましは湊御殿で諸事あるゆえに、前々通りお城で行うので二十三日の講義もお城へ行くようにと奥詰の申し合いがあったとのこと。
小野田へ廻状を回す。
帯屋がきた
本を買う。
夕方に久野が帰った。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四月六日

2018-12-18 | 嘉永六年 癸丑日記

四月六日 

快晴する。
四時頃に市川斎がきた。
小紙を二枚持参して詩歌画を頼まれた。中頃までにとのこと。
日高浄楽寺とか京へ帰るそうだ。
梅庵もやがてくるだろうから黒江あたりへいっぺん行ってくるとのこと。
あり合わせの物で酒を出す。
それから主人は菊池の旅の宿へ行き直ぐに帰った。
留守中に藤助どのがきた。
菊池に何か土産ものを送る相談だ。
会があって皆々くる。
左内が土手饅頭をくれた。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四月四日、五日

2018-12-13 | 嘉永六年 癸丑日記

四月四日 

快晴す。
主人は岡野と彦十郎殿へ行く。
東都の菊池角右衛門御用人がこの度、御棺につき来られたので、その人を招くについてのご相伴だという。



四月五日 

小雨が降る。
昼前に田村民之助が入門。
丸栖村百姓庄屋の倅だ。
酒一つ出す。
金一封と酒徳利を持参した。
連れてきたのは仲御徒町の仁井兵右衛門という地方手代。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四月三日

2018-12-09 | 嘉永六年 癸丑日記

四月三日 

おおいに快晴する。
安兵衞が働きに来る。
内田から肴(小鯛、海老)を岩助が使いで持って来た。
藤助殿が来られた。酒を出す。
山半から蚊帳が届いた。
昨日、小出の養子が書画帳を取りに来たので渡した。
今日は市川から書画帳をくれと使いが来た。
岡野へ行く約束があるし、晩方は久野や女子達が来ることになっているので用事があるからと断りに安兵衞をやった。
8時頃に久野が数人の男女を連れてきた。大きなお重に入れた寿司が土産。
夕方、遠藤彦一郎から使いが来て鯛を二匹頂いた。
それを市川斎へ遣わした。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする