小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

二月二十四日、二十五日

2016-04-27 | 嘉永四年 辛亥日記

二月二十四日 
快晴だ。
風呂を焚く。
2時過ぎに九右衛門殿がきた。酒を取りにやり出す。
小浜秀敬の子息が入門し、札七枚を持参した。
また、初島の息子も来て札四枚持参。
坂喜で紙を二枚取る。


二月二十五日 
曇れども昼頃に母君は仏参り。
山本直助がこの度結構になられたのでお祝いに寄り吉野紙二束を遣わす。
松下の隠居をも見回った。
信江が混ぜずしを持ってきた。夕飯を出す。
夜、岩一郎が真善の家の会へ行く。今日は市川の方の会もあったが出席できず。
昨日、仁達から手紙が来た。
お金が庄助のことを言ってくる。
昨日、遠藤兵右衛門病死のことを知らせる手紙がきたので権七を頼んだが今晩ではない。
左氏の会の日で栗山が一人くる。酒を出し、会はしなかった。

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二月二十二日、二十三日

2016-04-22 | 嘉永四年 辛亥日記

二月二十二日  
上九でボラ一匹と貝を数十取り寄せ、向笠三之助に送る。
この度、寄合頭になったお祝いだ。豊が持って行く。
沼野正八が羊羹をくれた。
夜中になって谷源右衛門へ祝いに行く。二石御加増とのこと。
雨が降り銭屋が家まで送ってくれると傘を借りて帰った。



二月二十三日  
昼からようよう雨があがった。
今日もご機嫌伺いなれど行かなかった。
廻文では菊千代様の疱瘡のご機嫌伺いに明日二十三日に罷り出るようにとある。
二月二十二日から今日まで三度なり。
二十日も行かず十九日に出たばかりだ。
学校当番を終えたと山本省三郎を見回りに行ってくると昼に出て行った。
大いにせわしく夕方に帰る。
海野と約束していたらしくまだかと使いが来たが不在の由告げた。
これは行き違いで、山本からの帰りによる筈だったが差し支えがあり二十九日に行く約束をしたとのこと。



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二月二十日、二十一日

2016-04-19 | 嘉永四年 辛亥日記

二月二十日  
くもる。
今日もご機嫌伺いなれど出かけず。
4時前から有本兵庫方の詩の会へ行く。
深夜になって野呂と一緒に帰った。
岩一郎は千太郎の会があって行った。
真善を送り出しているときに帰宅。
傘と下駄を借りてくる。



二月二十一日  
雨。
同五へ酒を取りにやる。
夕方、山中の妻が吉田善之助に鹿肉を持たせてきた。
4時頃に正住寺が先日の礼にくる。
上がるように言ったけれど水野処へ逮夜参りなのでと直ぐに帰った。
おぼろ饅頭を少しと右蕎麦を持ってきたので皆で食べた。
中谷源右衛門から知らせ手紙がくる。召状なり。

★逮夜参り
逮夜とは命日の前日の意味。また、月命日や年忌やの前日も含まれているようです。
正住寺さんはお寺さんなので読経に行かれるということかと思います。




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二月十九日

2016-04-17 | 嘉永四年 辛亥日記

  
天気は良い。
菊千代様のご機嫌伺いとしてお城にまかり出る。
帰途、御篭町へ寄って昼食をよばれた。
留守中に清吉が来てすぐに帰った。
富永省蔵が寿司と取口一鉢を魚久に持たせて来た。
そこへ主人が帰宅。
夜、藤四郎を呼んでみなで吞み話す。
小梅はこけて足を痛めたので塩湯で蒸して治療。


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二月十八日 

2016-04-14 | 嘉永四年 辛亥日記
  

快晴。
小梅は岩一郎と了吉と一緒に直川参り。
松下寿代を誘う。夕方に帰る。おおいに賑わった。
寿代を帰りに松下へ送る。
隠居は一昨日こけたそうだ。
一昨日、宮本が見てくれと寄越した書画帳を昨日権七に持たせた。
今日は城へのお供。
舞妓の絵を一枚、野呂に送る。
夜。伊藤泰蔵が廻状を持ってきた。
「明日十九日。菊千代様が疱瘡につきご機嫌伺いとして謁見があるはず」とのこと。


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