小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

五月十一日

2019-07-31 | 嘉永六年 癸丑日記
五月十一日 

晴れ時々曇り
こぬか雨が時々降る。
母君は昨日の代わりに金比羅へ参詣し喜多村に寄る。

三宅弥太郎が二十三石に跡立とのこと。
山中大輔は八百俵お取り上げ。
作兵衛殿は蟄居。隠居となり牛町の休息所もお取り上げだという。
七山省安から返事が来る。
安兵衛も来てゴボウの葉をこしらえて、酒一升取る。





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五月十日

2019-07-22 | 嘉永六年 癸丑日記

五月十日 

こぞりよるあんどの影のうすぐらさにふと

吹上の菊をば宇治の賤の女が
   移せばゑみの草はえとなる
吹上の菊をば宇治にうつしうへて
  色香はあらでゑみの草はへ
吹上の菊をば宇治にうつせども
  色も香もなきゑみのくさはへ
頼もしと思ひよるべのあんどうの
    影うすくして光とどかず
影頼むあんどうの光うすければ
    いっそ寝て待て果報こぬらん

五丁目の者が盆を持ってきた。一匁五分。細工銀一両。
彫り賃二朱と箱入り羊羹、菓子を合わせて二十一匁五分になる。
両人は四時過ぎに梅本へたいや参りして八時前に帰る。
高柳と富永が見回りに来る。
夜になって大いに雨が降った。
    

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五月九日

2019-07-18 | 嘉永六年 癸丑日記

五月九日 

雄介が清吉の家へ行く。酒券ひとつ渡すなり。
昼頃に野呂清吉がきた。京都へ状を送ることを頼む。
一匁で魚を数十求めて出す。
その後、刑部が暇乞いに来た。絵を渡した。

梅本平七に香典を送る。酒券三と椎茸数十。二匁は卒塔婆料だ。
万次郎にことづける。
岡本から菊の苗が届いた。夕方に皆でそろって植えた。




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五月八日

2019-07-11 | 嘉永六年 癸丑日記

五月八日 

おおいに晴れる。
主人と雄介は四時頃畑屋敷の梅本に行く。
今晩は平七殿の葬送。
小梅は梅本の内室と連れだって四時頃から行き葬列を見送った。
おおいに盛大だった。
浅之助が駕籠で見送り、こちらも主人が供を四人、雄介は一人と都合五人雇う。代六百文。
槍、提灯も借りあわせ安兵衛へも心付けを渡す。
風もあり至極極上の天気也。
葬式の鑓も死者ともに八本あった。
平七殿は大変幸せな人だ。八〇歳。病もなく眠れるごときの臨終だった。


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