小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

二月七日

2018-04-27 | 嘉永六年 癸丑日記

二月七日 

今日は初午だ。天気良し。
4時前、母君は出口の隠居や子供等と観音へお詣りする。
その内に出口の千代が迎えにきて隠居(久野)は夕方に帰った。
主人は昼前に板原に行く。
安兵衞が昼前にきて肴2尾、鯛、貝を三つくれた。
それらは夕方に雄輔が板原へ持って行った。
夜、廻状がくる。
ご法事済みの謁で九日は総登城とのこと。
野口玄長が病死の知らせがくる。



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二月四日、五日、六日

2018-04-24 | 嘉永六年 癸丑日記

二月四日 

夜の八時頃に喜助等が老母の久野を迎えに来た。
一杯だし、12時前に帰った。久野は残る。


二月五日 

雨が降る。
出口の母が泊まっている。雨が降っているので退屈だ。
夕方、善之助が迎えにこられたが道が悪いので今夜も泊めた。
山本弘太郎から稽古(学習塾)はいつ頃から始まるかとの使いがきた。
若菜ひと束寄越された。



二月六日 

快晴にはほど遠い。
安兵衞がきたので酒を取りにやる。
お目付衆から廻状がくる。
10日過ぎたので(一位様の死)仕掛けや普請を初めてもよいとのこと。





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二月朔日、二日、三日

2018-04-18 | 嘉永六年 癸丑日記

二月朔日 

大いに快晴なり。
雄輔は千太郎と八幡へ参詣する。
みなで御神酒一杯吞む。
小梅はからかみ貼り。
山半がきて蒲団をひとつ買う。
馬継常野へ書状一通頼む。

二月二日 

夕方に直七が手紙を書いてくれときて十時まで話す。
その後いさにも頼まれて書く。



二月三日 

快晴。
絵の具屋が来る。十一匁あまり払う。
胡粉、筆、絹など。
いさが出口へ久野を迎えに行く。







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一月二十八日、二十九日

2018-04-14 | 嘉永六年 癸丑日記

一月二十八日 

今日はご機嫌伺いの謁見があるらしいが出て行かず。
張り物をする。
いさは松江を連れて出口へ行く。
夕方過ぎに混ぜ寿司一重と辛子味噌を貰って持ち帰る。




一月二十九日 

昼まで降る。
主人は野呂清吉宅へ行く。
正月十五日に男子が生まれ、昴太郎と命名。藤助どのがつけたとのこと。
金二朱とかんぴょうを贈る。
雨が降りそうなので傘は持参したが、下駄を借りて帰って来た。
おおいに酔っている。


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一月二十七日

2018-04-08 | 嘉永六年 癸丑日記

一月二十七日 

雨が昨夜から降り続いている。
今日は一位様のご遺体が藤白坂をお通りになるそうだ。
泥道なのでお供の方々は難儀しているらしい。
昨日からの雨で泥道になり仕方ないことだ。

※藤白坂
和歌山市海南市。熊野古道の一部。
紀州徳川家の菩提寺である長保寺への途中にある。
大化の改新後に十九才で謀反の疑いで有間皇子が処刑された場所。
万葉集に残る有名な辞世の和歌の歌碑がある。

磐代の浜松が枝を引き結び ま幸くあらば また還り見む
家にあらば笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る

有間皇子神社


有間皇子の歌碑(藤白神社境内)



長保寺

全山が紀州徳沢家の墓所です。
山門の先から長い石段のうえの雑木林の中にそれぞれの墓所があります。
正室と並んだ墓石があり、下の方に側室や重臣の墓石があります。

長保寺山門


徳川治宝墓所







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