小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

二月十四日

2018-05-31 | 嘉永六年 癸丑日記

二月十四日 

晴れるが少し寒い。
安兵衞が働きに来る。風呂を沸かす。
2時過ぎから雄輔は出口へ行く。
ははさまを迎えに4時頃に栗山芳助がくる。
金壱分かえる(小銭に換金)。
種をもとめて蒔く。
喜多村から着物を返しに来る。
夕方、喜多村と三宅へ返事を持たせる。
京都へも返書を出す。
夕方過ぎに母君が雄輔と直吉を連れて帰る。
その時、浅之助がきた。
酒を出す。混ぜ寿司など少々貰ってきたのを肴に出す。



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二月十三日

2018-05-17 | 嘉永六年 癸丑日記

二月十三日  

雨は昼頃に上がった。
今年初めての学校(藩校)当番。
市川斎は熊野から帰ったと土産に田辺製の栃の木の短冊10枚とカブラ骨(鯨の軟骨)を一袋送って寄越した。
2時過ぎに主人が帰宅。
岩橋で酒を吞んだそうだ。

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二月十二日

2018-05-12 | 嘉永六年 癸丑日記

二月十二日 

今日も快晴。
安兵衞が庭仕事に来る。
母君は寺参りがてら出口の田中に行く。
供のいさは先に返すはずなのに夕方まで帰らない。
塩路嘉一郎が凍り豆腐百持参して来る。
文選2冊貸した。
主人は二時頃から三浦へ行って留守。

江戸から水野殿の弟と留め役がくるそうだ。
どんな趣意かわからない。
権七もくる。
主人は東大介を連れて八時頃に帰った。酒を出したが、東はかなり酔っていたので飲まずにしばらくして帰った。
その後、主人は山本督学へ行き酒を吞む。

今月の二日に伊豆の国箱根で大地震があって75人死んだそうだ。
家もずいぶん崩れたらしい。往来も二日間止まったという。
昔、源平の乱が起こらんとする前、養和の年、地震、大風、火事などさまざまの怪異があっての餅に戦が起こった。なんと恐ろしいことか。

さて、伊達当春が詠むのに「鶯や籠の中でも春は春」という。
伊達と玉置はいろいろと歌や詩を作る者。非常にたくさんあるので数え切れないがその中からいくつか。

  伊達つらにおどりくるひし二羽雀  曲がりし竹の外知らずして
  忠の字をわうれた竹のすずめども  おどりが過ぎてあみの乗り物
  山中でつかみ死にたる粟や黍    死んだ後まで餅につきける
  宮崎がいさめの太鼓やぶれ     せけんへ聞こえなりのわるさよ



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二月十日、十一日

2018-05-05 | 嘉永六年 癸丑日記

二月十日  

おおいに快晴する。
清吉がきて酒を出す。
夕方、出口より彼岸の餅二重寄越した。
千代は先に帰り、後から喜助の倅がきた。
久野と民江も迎えに来る。



二月十一日 

おおいに快晴。風が少しある。
小笠原のために手桶をだす。
何事か未だ知らない。今日より本読みに来る。
三浦内の鈴木左衛門より、明日十二日から稽古はじめるので来るようにと手紙がくる。
即、返事を書く。





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二月八日、九日

2018-05-03 | 嘉永六年 癸丑日記

二月八日 

天気よし。
廻状がきた。
中将様の忌が朔日にとけたので、普請鳴り物が禁止されていたが最早その儀に及ばずとのこと。
主人は板原へ行き薬を10袋貰って帰る。
雄輔は疝癪(胸や腹がさしこむ病)らしい。



二月九日 

今日は総登城だが主人は出かけず。
二時頃に楠本屋和夫がくる。酒を出し夕方まで話す。
酒は昨日同五から二升持って来たもの。
グチを二つ八百屋から取ってくる。
夜、松下彦左衛門殿がきて加判のことを頼まれた。
あり合わせで酒一つ出す。
今日から学校が始まる。
野口三伯から親が死んだと知らせがあって主人が行った。 

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