小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

八月十一日

2010-03-29 | 嘉永二年
八月十一日 

天気がいい。主人は橋本へ行った。
二時過ぎから同家で酒が出たらしい。
また、帰りに岩橋に寄るとそこでも酒が出されたそうだ。
寿司を少し持って帰ってきた。
安兵衛が種まきに来た。
十倉が米を一斗持ってきた。
岩一郎は少々風邪気味だが寝ることもなく庭の掃除をした。
夜になって、岸の息子が良蔵に明日の代勤を頼みに来た。


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八月十日 

2010-03-28 | 嘉永二年
八月十日 

曇ってくる。
夕方、松下へ絵本を返しにやる。
母君は金比羅参り。
蒸し暑くて岩一郎も千太郎も少々気分が悪そう。




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八月九日

2010-03-28 | 嘉永二年
八月九日 

橋本に行く日なのだが大雨がが降りそうなので中止した。
下和佐から使いが来た。
大鯛一匹、海老四つ、吉野紙三巻持ってきた。
夜になって浅之助が来た。良蔵に酒を買いに行かせる。


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八月八日

2010-03-25 | 嘉永二年
八月八日 

暑い~。いまだに快晴にはならない。
良蔵が清吉の代わりということで学校に行った。
その後で清吉が来たので酒を出した。肴は太刀魚のみ。
昼食後に良蔵が回状(関係者の間で連絡事項を回し読みさせる文書)を持って帰ってきたので清吉が帰るのと一緒に出て行った。
岩一郎は今日から有卦(運が向いてよいことが続くことを言う。「有卦」は陰陽道で、七年間続くという幸運の年回り。
人の運不運は有卦七年、無卦五年の十二年うぃを周期として巡ると言う)に入るとかで、赤飯を炊いた。
夜には松下に見回りに行くというので、昼間に作ったよもぎ餅を持たせた。
酒を出されて十時頃帰ってきた。
夕方には山本彦十郎どのへの書きつけを持たせてやる。
市川にも同様の書きつけを持参し、鳥井へ手紙を出した。
本を幾冊も借りてきた。

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八月七日

2010-03-25 | 嘉永二年
八月七日 

昨夜に続き雨。真龍入門。
主人は万次郎(千太郎の弟)を同道して三浦家へ行く。
出た後に下和佐の某が弟を連れてきて勉強を教えてくれと言うので岩一郎が教えた。「大学」だ。
また、夕方になって主人が遠藤一郎の父が病気と聞き見舞いに行く。梨を五つ持参。

今日は日柄がいいのでお城の天守閣にしゃちが上がったそうだ。
(三年前の弘化三年七月に落雷のため城の天守閣が焼けていた。その再建工事中である)
みんなへもお酒を下されたそうな。大工や日雇いまでも入れると百五十人あまりだとか。
主人等もお酒を頂戴したそうだ。
一人前二合のすしは五つに切り分けるのが良い。(午後から晴れたか?)
野上のきし井口で相撲があるとかで今日は相撲とりが大勢くるそうだ。
誰ぞの追善興行らしい。一人(見物料)三百文づつとのこと。

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