小梅日記

主として幕末紀州藩の学問所塾頭の妻、川合小梅が明治十八年まで綴った日記を紐解く
できれば旅日記も。

九月二十二日

2011-06-27 | 嘉永二年

昨日と同じようにいい天気。
主人は二時頃から三浦長門守殿(家老 学問所掛かり)のお宅へ行く。
「同五」で酒を取る。
安兵が主人と入れ違いに来た。簡単な肴を繕う。
描き上がった楊貴妃の絵を池田(表具やか?)に渡す。
庄助が大雅堂の絵を持ってきた。それを岩橋藤助殿に見せると他にも話があるという。
良蔵はおかち町へ行き、ついでに山本浅之助宅に寄って、合作を取ってきた。
岡本の発案だ。
主人は十時過ぎに帰ってきた。
あの二枚の絵の鑑定を白雪老人に頼もうと話していたのだけど、岩橋に酒など出していたので出来ない。
そこへ、金蔵が来合わせたので「川合から頼まれた」と見せに行って貰った。
白雪老人は二枚ともとても褒め
「これは、夜分ゆえに紙の質までは分からないが絵は良く候ゆえお買いになられるがよかろう」とのこと。
さらに「金二三歩だったら私さえ欲しい絵だ」と言われたそうだ。
藤助殿が一枚わけて欲しいと言われるので茶の方を譲り、松の絵を取った。
本物なら三両はするとのこと。

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九月二十一日

2011-06-27 | 嘉永二年

快晴だ。
今日は大恩寺で鐘の供養があったそうだ。
おおいに賑わったらしい。

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九月二十日

2011-06-24 | 嘉永二年
九月二十日  
今日は寒い。
四時頃に秋月常三郎が来た。
先だって岸に秋月に御庭焼きの文ほうの器をなんとか欲しいと頼んでもらっていたのだが、
それは至極難しいと返事を引き延ばされていたのが今日になってまず二つ送られてきたのだ。
一つはるり色の植木鉢。
もう一つの方は白地の桃の形で、裏に桃の花をえんじで描いて、少し枝をつけて葉もある筆洗いである。
この二品が送られてきたとのこと。
御庭焼きとの名のある物はなかなか手に入らないので、また、どうぞよろしくと頼んでおいた。
秋月は「これは京都の野呂八十一郎から頼まれていたものなので、
何か当地の特産でもお礼に送っていただければ幸いです」と言って帰った。
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九月十九日

2011-06-14 | 嘉永二年

良く晴れて今日はあたたかい。
主人は学校当番で出かけた。
村井多右衛門が来たが後でまた来ると言って帰った。
四時頃に定二郎が来る。
話をしていて酒でも出そうと用意しているところに、また多右衛門が菓子一袋持って来た。
酒を出そうとしたが断られた。が、押し寿司を三つ食べた。
その内に善一も来た。酒を出す。
芋掘りなどして八時頃に帰っていった。
母君は吉田に香典として酒券二枚を持ってお悔やみに行く。
吉田の母が十三日に病死されたのだ。

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九月十八日

2011-06-09 | 嘉永二年

おおいに快晴。権七を伊勢参りさせる。
二時過ぎから母君と内田に行った。
夕方になって主人と岩一郎が迎えに来てくれた。
十時過ぎに寿司や肴など、三段重ねの重箱を貰って帰った。

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