元日本兵の上野(うわの)石之助さん(83)=ウクライナ在住、岩手県洋野町出身=が20日、盛岡市で親族と63年ぶりに対面した。涙で弟や妹と固く抱き合い、「会えてうれしい」と万感の思いを伝えた。上野さんは太平洋戦争中の1943年に樺太(サハリン)に出征。戦後も現地にとどまったが、58年から消息不明になり、00年に戦時死亡宣告が出されていました。
記者会見で上野さんは「まだ感動で言葉が出てこない。まずは両親の墓参りをし、親族に会いたい」と話し、つらい日々をどうして乗り越えたのかとの質問には「どんな状況であっても生きていく。それしかないと思う」と気丈に答えた。弟の左舘さんは「なんとも言えず、涙だけです」と言葉少なに喜びを語った。
県などによると、上野さんは戦後、樺太(サハリン)の製材工場などに勤めた後、1960年ごろにウクライナの小都市に移った。現地の妻との間に1男2女をもうけ、今回の一時帰国には長男のアナトリーさん(37)も同行している。
上野さんは20日夕に生家がある洋野町に帰郷。両親の墓参などをして、28日に日本をたち、ウクライナに帰ります。
上野さんは、東京でのインタビューで、故郷のさくらが見たいと言っていたので、ぜひ、岩手のさくらよ、咲いてくれ!と願わずにはいられない。(故郷のさくらは、5月5日くらいが開花の予想です)
さくらが、間に会わないなんて、世の中は非情です。63年間の思いが・・・・。せめて、数輪でも咲いて欲しいです。
記者会見で上野さんは「まだ感動で言葉が出てこない。まずは両親の墓参りをし、親族に会いたい」と話し、つらい日々をどうして乗り越えたのかとの質問には「どんな状況であっても生きていく。それしかないと思う」と気丈に答えた。弟の左舘さんは「なんとも言えず、涙だけです」と言葉少なに喜びを語った。
県などによると、上野さんは戦後、樺太(サハリン)の製材工場などに勤めた後、1960年ごろにウクライナの小都市に移った。現地の妻との間に1男2女をもうけ、今回の一時帰国には長男のアナトリーさん(37)も同行している。
上野さんは20日夕に生家がある洋野町に帰郷。両親の墓参などをして、28日に日本をたち、ウクライナに帰ります。
上野さんは、東京でのインタビューで、故郷のさくらが見たいと言っていたので、ぜひ、岩手のさくらよ、咲いてくれ!と願わずにはいられない。(故郷のさくらは、5月5日くらいが開花の予想です)
さくらが、間に会わないなんて、世の中は非情です。63年間の思いが・・・・。せめて、数輪でも咲いて欲しいです。