子どもを親の言うなりにさせないで
子どもは親の所有物ではありません。社会の子どもです。
人は、社会的存在です。私の人間の定義は、「人はこころと身体をもつ社会的存在」と考えます。そしてその人間がかかる病気は、人間がその環境に適応できないためになると考えます。これが、私が提唱する「病原環境論」または「適応説」です。
社会的存在ですから、社会が決めます。子どもを育てるのも社会です。
東京新聞を読んでいると、面白いことが書かれています。マラソンの選手たちを養成した小出さんは、子どもの時にガキ大将で、西瓜泥棒をして、一つとって逃げたのです。それで足が速くなったと言うのです。ノーベル賞を受賞したある人(名前を失念)は、宿題を一度もしたことがなかったと言います。廊下にたたされていれば済んだのです。
今の子どもたちは、大人たちに監視され、強制され、何も悪さができないのです。私は、父に感謝しています。それは私が悪さをしても、私を叱ったことがなく、それで知らなかったのですが、私のしたことをさきざきで謝ってくれていたのです。その結果私はのひのびと育ち、今の私があるのです。
子どもたちをもっと自由に、のびのびとさせて下さい。まわりから怒られたり、苦情を言われたら、親のあなたが頭を下げて謝って下さい。それで気にすることはありません。謝ることは、頭の運動だと思っていつでもすればよいのです。可愛い子どもの為ですから。
その時に、子どもを叱らないで下さい。子どもには子どもの論理があります。子どもたちは、しっかり大人たちを見ています。
子どもは親に叱られると、悪いことをしたと思い、自分を責めます。叱れば叱るほど、子どもは小さくなります。引きこもりや、発達障害は私は、親が子どもの人権を認めないから生じたことではないかと思っています。
フランスでは、3歳になったら子ども部屋を与えます。お金がなければ政府が貸すかくれるかします。今は難民問題で経済的にこまっているのでどうなったかは判りませんが。
アメリカでは、友達の親から子どもの誕生会のお誘いが来たら、親が子どもに行くかどうか聞いてから返事をするそうです。すべてこども中心です。子どもも一人の人間として、認められています。
子どもも一人の人間です。確かに未熟かも知れません。しかし、大切なことは一人の人間として扱うことです。できるだけ、大人にしていくことです。今は、大人同士でも大切なことは、あいさつやお礼の言葉です。英語社会では、「サンキュウ」と言葉の終わりに言います。
日本語ではそれがありません。子どもに「〇〇をしなさい」と言って、それをしてくれたら「ありがとう」とか「いい子ね」とか言いましょう。
今の若い人に、何がしたいか聞いても、したいことがない人が多いのです。
いつも周りの目を意識して育っているのではないでしょうか。もっと自由にのびのびさせてあげて下さい。
子どもは親の所有物ではありません。社会の子どもです。
人は、社会的存在です。私の人間の定義は、「人はこころと身体をもつ社会的存在」と考えます。そしてその人間がかかる病気は、人間がその環境に適応できないためになると考えます。これが、私が提唱する「病原環境論」または「適応説」です。
社会的存在ですから、社会が決めます。子どもを育てるのも社会です。
東京新聞を読んでいると、面白いことが書かれています。マラソンの選手たちを養成した小出さんは、子どもの時にガキ大将で、西瓜泥棒をして、一つとって逃げたのです。それで足が速くなったと言うのです。ノーベル賞を受賞したある人(名前を失念)は、宿題を一度もしたことがなかったと言います。廊下にたたされていれば済んだのです。
今の子どもたちは、大人たちに監視され、強制され、何も悪さができないのです。私は、父に感謝しています。それは私が悪さをしても、私を叱ったことがなく、それで知らなかったのですが、私のしたことをさきざきで謝ってくれていたのです。その結果私はのひのびと育ち、今の私があるのです。
子どもたちをもっと自由に、のびのびとさせて下さい。まわりから怒られたり、苦情を言われたら、親のあなたが頭を下げて謝って下さい。それで気にすることはありません。謝ることは、頭の運動だと思っていつでもすればよいのです。可愛い子どもの為ですから。
その時に、子どもを叱らないで下さい。子どもには子どもの論理があります。子どもたちは、しっかり大人たちを見ています。
子どもは親に叱られると、悪いことをしたと思い、自分を責めます。叱れば叱るほど、子どもは小さくなります。引きこもりや、発達障害は私は、親が子どもの人権を認めないから生じたことではないかと思っています。
フランスでは、3歳になったら子ども部屋を与えます。お金がなければ政府が貸すかくれるかします。今は難民問題で経済的にこまっているのでどうなったかは判りませんが。
アメリカでは、友達の親から子どもの誕生会のお誘いが来たら、親が子どもに行くかどうか聞いてから返事をするそうです。すべてこども中心です。子どもも一人の人間として、認められています。
子どもも一人の人間です。確かに未熟かも知れません。しかし、大切なことは一人の人間として扱うことです。できるだけ、大人にしていくことです。今は、大人同士でも大切なことは、あいさつやお礼の言葉です。英語社会では、「サンキュウ」と言葉の終わりに言います。
日本語ではそれがありません。子どもに「〇〇をしなさい」と言って、それをしてくれたら「ありがとう」とか「いい子ね」とか言いましょう。
今の若い人に、何がしたいか聞いても、したいことがない人が多いのです。
いつも周りの目を意識して育っているのではないでしょうか。もっと自由にのびのびさせてあげて下さい。