黒部信一のブログ

病気の話、ワクチンの話、病気の予防の話など。ワクチンに批判的な立場です。現代医療にも批判的で、他の医師と違った見解です。

不機嫌な太陽―気候変動のもう一つのシナリオ― No.6

2022-09-14 05:00:16 | 地球温暖化

       不機嫌な太陽

   ― 気候変動のもう一つのシナリオ―  No.6

§7.地球の気候の歴史と宇宙線との関係

 気候変動は、天の川銀河の渦巻きの中を周回する太陽の位置によって決まるようだ。 そして小惑星の衝突も気候変動の一因であった。恐竜はそのために絶滅した。しかし、小さい恐竜だけが羽をはやして寒さをしのぎ、鳥へと進化した。毛のある動物たちは、そのまま進化した。鳥は、始めは飛べず、飛ぶのは滑空する動物から始まったという。炭酸ガスの影響は小さいだろう。

5 恐竜が天の川銀河を案内する

気候は、数百万年の間にリズミカルに切り替わる。氷期は、太陽系が天の川銀河内の明るい腕を進行中に起こる。気候の寒冷化は、たとえば、鳥を出現させたように生物の進化に影響を及ぼす。炭酸ガスによる温暖化は、世間で騒がれているよりも小さいだろう。現在では、気候変動のデータから、天の川銀河についての正確な情報が得られる。

1節 押し曲げられた石灰層

 押し曲げられた石灰層

 デンマークのコペンハーゲンの南東にあるモンス(ミュン)島の海蝕断崖にあるモンス(ミュン)クリントにそびえる白い石灰岩は、約7000万年前にできた。巨大な恐竜が世界を支配していた時代である。当時の気候は非常に暖かく、両極地に氷が無く、南極大陸にも恐竜が棲んでいた。海面は非常に高く、微細藻類の外套であった炭酸カルシウムの板は、藻類が死んで海底に蓄積された。バルティック海ではそれが厚さ100mの石灰岩になった。  当時同じことが世界各地で起こった。それでその地質年代が白亜紀と名づけられた。白亜とは白色の石灰岩のことである。南イングランドのドーバー海峡にも白い断崖があるが、モンスクリントとは大きく違った。デンマークの地質学者プガールは、「(ミュン島の)石灰岩の地層は、ねじられ、曲げられ、へし折られている。S字状、Z字状、半円状、またはあぶみ状になっていて、更にそこへ深い裂け目が入っている」と記した。

 石灰層の押し曲げと気候変動

 欧州の各地で見られる他の石灰岩層はそれ程ゆがんでいず、その理由は、約7万年前に始まった直近の氷期中に、大きな氷河がバルティック海を横切って西方に進み、氷河の先端が石灰岩の表面をはぎ取って前に持っていき、温室期(間氷期)が来て、氷河が残した荷物「末端堆積」としてミュン島ができた。  約5000万年前に、温度は著しく低下した。南極にはその後3000万年の間、氷床が存在した。275万年前に北大西洋は寒冷状態になり、世界は氷室期となった。氷河と氷床が常に景色の一部となった。

☆ミュン島の石灰岩を生み出した温室期から、それをめちゃくちゃに押しつぶした氷室期に切り替わったことに対する説明として、

〇1つの説は、大陸移動により地形が変化して気候変動が起こったからと考えた。この頃オーストラリア大陸は南極から離れ、南極は南極大陸のみとなり、南極の周りに環南極海流が生じ、それが暖かい海流を遮断して、その時から南極は孤立し氷床が続いている。インド大陸とアジア大陸が衝突し、ヒマラヤを高く押し上げ、熱帯地方に寒気のプールを作った。

〇第二の説は、大気中の炭酸ガス量が低下したので、それが原因で寒冷化したというもの。

〇第三の説は、イスラエルのラカー物理学研究所の天体物理学者シャヴィブは、太陽系が、天の川銀河の中の「射手―竜骨腕」と呼ばれている非常に明るい領域内に、入ったためであるという。

 天の川銀河の渦状腕との遭遇による寒冷化

 約6000万年前に、地球を伴った太陽は、(現在と同様に当時も)明るくて短命の星が多く存在していた腕(射手―竜骨腕)の領域に入ったのである。太陽系は、その明るい腕の遠い方の後端部に入り、約3000万年前には、その近い方の前端部に現れた。その前端部では、爆発している星の数が頂点に達したので、そこから発する宇宙線の強度も頂点に達していた。シャヴィブは、スベンスマルクの「宇宙線が地球を覆う低い雲を増やすことにより地球を冷却しうる」という理論を採用した。この解釈により、約6000万年前から3000万年前の間に、地球全体の温度が低下し、南極大陸は氷床を作り出した。「射手―竜骨腕」から遠ざかるにつれ、寒冷化は弱まった。 そして気候は逆転して温暖期に入るはずだったが、太陽系が天の川銀河の中を放浪して「オリオン腕」と呼ばれる明るい星の集まった特別の分岐腕の中に突入したので、再び寒冷化した。この「オリオン腕」が今我々のいる所である。したがって、現在氷期と氷期の間の比較的暖かい期間にいるが、まだ氷室期の深部にいて、氷河作用は小休止しているだけなのである。 2002年に発表されたシャヴィブの解析は、5億年前の地球上に動物の存在が初めて認められるようになった頃より、更に少し遡った時から起こった4回の氷室期をすべて説明した。

 考察

 今まで述べてきたことは、天文学的時間または地質学的時間としては非常に短いので、この間には、天の川銀河から太陽系への宇宙線の流入は、ほとんど変わらなかった。従って過去10万年の間には、太陽活動の変化が、地球大気の最も低い位置まで到達する宇宙線の強度を変化させる第一の理由であった。地球が太陽と一緒の時間を過ごして、数百万光年や数千光年を移動する時には、宇宙線の流入量はその変化幅がより大きく、周期がより長くなる。  (太陽活動の変化を、「不機嫌な太陽」と著者は評したのではないか。)

2節 鉄隕石に託された伝言

 渦巻状銀河の形状

 銀河には各種の形があるが、渦巻状銀河が最も美しい天体である。渦巻状銀河は、数十億の星からなっており、中央部分では、古くて赤みがかった星が球状または棒状に分布しており、その外周部分では、中央部分から放射状に出て弯曲して伸びる数本の腕に沿った部分に、最も明るくて青い星が主に点在している。重力が渦巻状銀河を平板化し、横から見ると目玉焼きのように中央部が膨らんでいる。

 天の川銀河について

 我々の居る天の川銀河は、我々がその内側にいるために、全天に伸びた光の帯のように見える。その為に天の川と名づけられた。その後、夜空一面に散らばっている星たちと同じように、これは「島宇宙」であると認められた。1950年代以前にオランダの電波望遠鏡が、水素ガスの分布をチャート化したことにより、アンドロメダ銀河などと同じように渦巻状銀河の形であることが判った。 星同士の間に働く重力は、物質の密度の高い所と低い所からなる波動を生じる。それにより渦巻の構造ができる。その渦は天の川の中心の周りをゆっくり周回する。

 この密度波は、星間ガスをかき乱し、密度の高い雲を生じ、その雲からこの銀河を活性化させる新しい星が生まれる。その結果、質量が大きくて明るい青い星が生まれて、天の川の腕の部分を飾る。しかし、それらの星は余りにも短命なので、その星が生まれた所から遠く離れた所まで行きつく前に爆発して宇宙線を吐き出す。 太陽のような小さい星は寿命が長いので、銀河の中心の周りを何回も周回することができる。しかし、渦状腕が回転する速度と太陽の速度が違うので、太陽は渦の腕の中に一方から入り、その腕の反対側から出ていくということを繰り返す。 太陽と太陽系の星たちは、渦状腕を出る時に宇宙線を受ける量は頂点に達する。それは大きな星の多くが渦巻の先頭部分で作られ、爆発する前にはその渦巻の少し前方を周回しているからである。(これが気候に大きく影響している)

 シャヴィブは、「宇宙線の中で、地球の低空をイオン化させることができる高エネルギーの宇宙線が、天の川銀河内での太陽の周回によって、「腕」との位置関係で増減する変化は、太陽活動の強弱によって増減する変化よりも10倍も大きい。 太陽が世界の気候を1℃変化させるなら、「渦状腕」を通過することによる変化は約10℃となろう。この10℃の変化は地球の極地迄が温室の気候である温室相から、現在の両極地方に氷床がある氷室相にまで変化させるよりも、もっと影響が大きい。事実「渦状腕」の影響が、1億年の期間にわたる気候変動の最も大きな駆動要因と予想されている」。 天の川銀河の4つの主要「腕」、および数本の分岐「腕」は、太陽と地球が天の川銀河の中を周回する軌道と交差している。(主要腕は、ペルセウス腕、定規腕、楯―南十字腕、射手―竜骨腕)

 我々が現在居るところは、ペルセウス腕から枝分かれした、オリオン腕という明るい星々からなる分岐腕の部分である。(肉眼で見える星のうち、アンドロメダ星雲、大・小のマゼラン星雲以外は、すべて天の川銀河の星である) 銀河内の太陽の軌道における周回速度には異論がないが、渦状腕の圧力波が回転する速度に関しては、論争されている。渦状腕との遭遇と気候変動を結び付けるには、太陽と渦状腕との相対速度が重要である。そこが論争中である。

 太陽系の周回に伴う宇宙線の増減周期

 シャヴィブは、鉄隕石中の放射性元素に関するドイツの研究者のデータを解析し直すことにより、宇宙線増減のリズムを見出した。 小惑星同士が太陽系内の遠くで衝突した時に、空間に放出された破片に鉄の塊が含まれていることがある。それらは数億年の間、太陽の周りを公転し続ける。公転している間に宇宙線の衝撃を受けて放射性元素を作る。最終的にその破片のいくつかが、鉄の隕石として地球上に落下する。それに含まれる放射性のカリウム原子の量を、安定な原子に対する比率で、鉄隕石がどれだけ放浪したかの時間を測定できる。しかし、太陽系が受けた宇宙線の強度が変化していると違ってくる。 鉄隕石の見かけ上の年令が不自然なものを除外して、残った約10億年の間に広がる50個の鉄隕石の年令を推定して、それらの年令から、太陽系が繰り返し銀河の渦状腕の中を通過することにより、宇宙線の強度が増減する周期は、1億4300万年±1000万年であると推定した。この結果は、気候変動の長期の記録と不思議なほど一致した。

 以降の内容

 シャヴィブの解析は、過去10億年に広げられた。その周期の最初の部分は、宇宙と気候の他の種類のできごとを含んでいるので、6章に述べる。 5億4200万年前から始まったカンブリア紀に、初めて多くの種類の動物が化石として保存されていた。その5億4200万年前から現在までの全期間は、顕生代と呼ばれる。

3節 各腕との遭遇による気候と生物の変化

 射手―竜骨腕からの脱出

 カンブリア紀の初めは、(太陽系が天の川銀河の射手―竜骨腕を通り抜けた後で)、厳しい氷室気候から逃れたばかりであった。厳しい気候は、生物に生き残りのための進化上の革新を誘発することができた。 このことは1970年代に、カリフォルニア大バークレー校のヴァレンタインにより指摘されていた。その指摘通りに、海底に潜伏していた虫が大量発生した初期の段階に、動物の新体制が始まった。 季節ごとの気候変化や長期にわたる気候変動は、動物たちを飢餓状態に追いやっても、虫たちには小さな影響しか与えなかった。

 温室相がカンブリア紀として始まった時に、動物たちの主要な「門」(分類学では、動物はすべてどこかの「門」に分類されている)の全ての先祖が出現した。(太陽と地球は、天の川銀河の渦状腕の間にあったので、宇宙線の強度は低く、海面は高い位置にあった)。それで、生物は、大陸棚で繁栄した。無脊椎動物の中で早熟で繁殖できるようなオタマジャクシのような「幼生」がいた。(幼生とは、幼児のままに成熟して、繁殖できるようになること) それが魚や背骨を持った他の動物すべての先祖になったのである。

 ペルセウス腕への移行

 温暖な気候は、オルドビス紀にも続いたが、約4億5千万年前に終了し、急激な氷室相に入って、氷河が来て海面は低下した。これはその時、太陽系が天の川銀河のペルセウス腕を通過したからであった。ペルセウス腕を出て、宇宙線の強度が頂点に達した時であった。 この寒冷な期間の直後の温暖なシルル紀では、陸上で生きる最初の植物と動物が現れた。骨のある魚も現れた。それが背骨を持つ動物の端緒となった。次のデボン紀も温室期だった。

 定規腕(じょうぎわん)への侵入

 宇宙線に関する隕石のデータと石炭紀が終わった約3億年前の最大の寒冷期と一致した。 石炭―二畳(ペルム)紀の氷室期は短くはなかった。石炭紀の名前は、沼地の森に大量の石炭が埋蔵されたことに由来する。この氷期に、もっぱら陸上で生活できる背骨を持った動物として爬虫類が出現した。この時は、大陸は一つでパンゲアと呼ばれた超大陸であった。二畳紀の終わりの2億5千万年前に大異変が起こって、大量の種が絶滅した。(これはおそらく偶然侵入した彗星か小惑星が地球に衝突したためであろう)それがきっかけで中生代に入る。この時代に恐竜が出現した。二畳紀後期と三畳紀は温室気候が続いた。

 楯―南十字腕への侵入

 楯―南十字腕を通過したので、ジュラ紀と白亜紀の初期は寒冷期になった。この時現れた生物は、花を咲かす最初の植物や最初の鳥がいた。

 以降の内容  特筆すべきことは、鳥の起源に関することである。

4節 小さい恐竜を寒冷気候から守る羽根

 小さな恐竜の活躍した時代

 最初の小さな恐竜と哺乳動物が登場したのは、約2億3千万年前である。そのときの太陽と地球の位置は今と同じであった。その時から太陽系は天の川銀河の周りを一周し、それには5億年以上かかった。恐竜は地球を支配し、哺乳動物をおとなしくさせていたが、一周しない6500万年前に絶滅した。

 宇宙線から予想された寒冷な中世代中期

 シャバイブは、中世代中期(ジュラ紀)はその前後の三畳紀と白亜紀よりも寒かった、と書かれている本を見つけた。シャバイブの理論では、三畳紀は温暖であったが、太陽系はその後、楯―南十字腕のそばを通り、ジュラ紀と白亜紀は氷室期となった。

 寒冷な中世代中期を示す証拠

 2002年にシャバイブが、渦状腕を通過することによる寒冷化するという説を裏付ける証拠が、氷山が海底に落とした岩屑からもたらされた。 1988年アデレード大学のフレイクスは、浮氷がそれに含まれていた砂を亜寒帯の海上で落としていたことを示した。さらに2003年にフレイクたちは、白亜紀の陸上の地層に氷の存在を示す証拠を見つけた。それは南オーストラリアのアデレードの北方にあるフリンダース山脈の近くに、氷河によって押しつぶされた粘土、小さな丸石、それに石英粒が存在することを見つけたのである。それが始まったのは、白亜紀初期の約1億4000万年前で、恐竜は気候の激変に遭遇していた。

 寒冷期に小さい恐竜は、体が小さいために大きい恐竜より早く体温を奪われるために、鱗状の皮膚しかなく、それを羽毛や羽根に変形させることにより体温を保ったのである。 オーストラリアでの発見と同じ頃、中国の遼寧省の湖の跡の底の、1億2000万年前の白亜紀初期の氷室期の地層から、① 羽毛をつけた小さな恐竜、および② 恐竜の一部が鳥に進化したもの、の化石が発見された。 これによって、羽根は鳥に特有なものではないこと、飛行は木立に棲む生物が滑空することから進化したかもしれないことを、などを示唆した。

 天体との衝突

 その後充分時間があったので、羽根を付けた鳥の先祖は鳥へと進化した。約7500万年前の氷室期が小さな恐竜の羽根のジャケットで保温性を実証し、その羽根でできる別の生き方を見つけさせた(それで飛ぶようになったのではないか)。6500万年前の小惑星がメキシコに衝突した時には、インドから噴出した大量の火山性溶岩が地球の反対側まで押し寄せて、生物の大量絶滅が起こったが、多くの鳥と哺乳動物は生き残った。

 1980年にイタリア中央の山脈中のグッビオにある渓谷の石灰岩層を横切る赤い粘土層の中から地球外に起源をもつ希元素(イリジウム?)が見つけられた。このことから恐竜を絶滅させた小惑星の衝突の最初の証拠となった。一般的には、彗星や小惑星が衝突した後には、短期間の気候の混乱は起きるが、その後は、衝突する前の気候状態(氷室相または温室相)に戻るのである。

5節 炭酸ガスについての議論

 シャバイブの研究

 銀河と気候との結びつきに関するシャバイブの研究は、雑誌”Discover”の2003年の科学上の発見の上位100選に選ばれた。他人の研究分野を侵すことのない、全く未踏の分野に踏み込んだ研究として高く評価された。

 ヴァイツァーの研究

 ヴァイツァーはドイツのルール大学の研究室で、過去5億5000万年前までの、熱帯の海洋に生息している生物の化石貝殻中に含まれる重い酸素原子(17O、18O)の比率を調べ、大量のデータを蓄積していた。そのデータは、温室気候と氷室気候を交互に繰り返すことと、ほぼ歩調を合わせて、熱帯の温度が、約4℃の上昇と下降を繰り返すことを示した。 ヴァイツァーは、このデータから、大気中の炭酸ガス濃度の変化から温度変化を求めるための「係数」が間違っていると結論付けた。海の温度が合わなかったからである。 貝殻の示す温度変化の歴史は、約1億3500万年という周期をしめし、シャバイブが銀河の渦状腕との交差から予測した1億4300万年に近い値となった。

 2人の共同研究

 この時、この天文学者シャバイブと地質学者ヴァイツァーは、相互に協力して、気候変動における宇宙線の有効性を評価できると考えた。そこで二人は米国の地質学会の学会誌「GAS today」に「顕生代の気候変動を起こしたのは天体か」という論文を載せ、そこに二人のデータと共に宇宙線と雲に関するスベンスマルクの研究成果の説明を載せた。 二人は、顕生代の気候は、宇宙線と結びついているが、他方、気候に及ぼす炭酸ガスの影響は、一般に言われるよりずっと小さいと結論した。地質学的に記録されている炭酸ガスの濃度と海水温度との関係は、現在信じられている関係と一致しないことから、将来炭酸ガスの濃度が2倍に増加した時の温度変化は「気候変動に関する政府間パネル(ICCP)の予想よりずっと低いと判断した。

 その論文に対する反論

 気候への影響を研究するポツダム研究所のラームストルフの反論(略)。 ペンシルベニア州立大のローヤーの反論。(推定された温度を海水中の酸性度に対して補正すべきだ。補正すると温度の変化と炭酸ガスの変化が一致するという。)

 温度に影響する炭酸ガスと宇宙線

 過去5億5000万年の間に、炭酸ガスの濃度は2回の上昇と2回の下降を示したのに対して、宇宙線量は4回の上昇と4回の下降を示している。そして気候変動には4回の温室期と4回の氷室期が存在する。このパターンはシャバイブとヴァイツァーの説を支持している。 しかし、氷室期の厳しさが違っているのは、何かが関与しているのだろう。

 キールのゲオマール研究センターのウォールマンは、宇宙線と炭酸ガスのどちらが重要かの論争に対して、「温暖期(カンブリア紀、デボン紀、三畳紀、白亜紀)は、少ない宇宙線量によって特徴づけられ、寒冷期(石炭期後期~二畳紀初期、および新生代後期(現在)―)は、多い宇宙線量と低い炭酸ガス濃度によって特徴づけられる。・・・オルドビス紀~シルル紀の間、ジュラ紀~白亜紀初期の間、という2つの冷却期間は高い炭酸ガス濃度と多い宇宙線量により、炭酸ガスの温室効果が、低い雲の冷却効果を保証した結果であると特徴づけられる」とした。

 炭酸ガスの温度に及ぼす影響

 太古における炭酸ガスの影響は・・・。空気中の炭酸ガスの濃度は、温度の低下した各時期、3億年前および現在の氷室期には数百ppmであったが、温度の上昇した各時期には2000ppmとか5000ppmであった。 これを気候感受性と呼ばれている「炭酸ガスの濃度が280から560ppmに増加した場合、つまり工業化される前の値が2倍になった場合、温度上昇はどのくらいになるのか」については、「気候変動に関する政府間パネル」は、おそらく1.5~4.5℃であろうと考えた。 これに対してシャバイブとヴァイツァーの二人が5億年の気候の研究から出した最初の答えは、0.5℃でしかないというものであった。その後、酸性度に対する補正が必要であることを認めて約1.1℃という推定値を出した。これはマサチューセッツ工科大学の気象学者リンツェンによる大気の評価と一致している。リンツェンが2005年に英国貴族院に提出した文書では、「もしも主な温室効果物質である水蒸気と雲が一定なら、CO2が2倍になると、世界的に平均約1℃の温度上昇を招くこととなる」とした。 スベンスマルクは炭酸ガスの温暖化効果に対する数値を出すことを拒んでいる。それはその数値が地質学上のどの地点でも同じか、また炭酸ガスの濃度が変化した時にどうなるかに疑問を抱いている。 21世紀における人間活動による地球温暖化に対して予想されている数値より、シャバイブとヴァイツァーの出した結果はずっと低い。これはスベンスマルクの宇宙線説から、大きな温暖化は起こらないとの説とほぼ一致している。

6節 天体望遠鏡の役割を果たす貝殻

 スベンスマルクの古代への取り組み

 SKYの実験から最初の一連の結果が出揃い、それを解釈できてからは、スベンスマルクは星と岩石とが、太古から現代まで相互に同じ対応関係を維持してきたという真実に取り組むようになった。

 貝殻のデータによる天の川銀河の調査

 スベンスマルクは、天の川銀河のことや、天の川銀河の渦状腕と遭遇する時期についての天文学者の間の意見の対立に悩まされた。それでヴァイツァーの化石による海の温度の記録を用いて、天文学をすることにした。 海に棲む貝の殻は、自然の検出器として作用し、変化していく星の環境を測定し記録している。貝が生きている時に、海水中と同じ比率の重い酸素を取り入れているので、宇宙線の強度を記録した「天体望遠鏡」であった。

 イルカ様運動を伴う太陽の周回

 化石に記録された気候変動は、地球が渦状腕を通過することによる計算上の気候変動よりも速いリズムを持ち、比較的短い周期を示している。その理由は太陽が遊び好きのイルカのように振る舞うからである。(詳細は略)  太陽は天の川銀河の円盤の中を周回しながら、円盤のふくらみの中で上へ行ったり下へ行ったりしている。地球上の宇宙線の強度は、太陽が上から下でもその逆でも、中央の円盤を横切る時に強くなる。中央を横切るのは約3400万年の間隔で起こる。これは海の温度変化の分析により、太陽系が円盤と交差するタイミングが規定されていることが、地質学者によって確定されている。

 数学手法の利用

 スベンスマルクは、過去2億年にわたるヴァイツァーのデータから天の川銀河と太陽の動きを関係づける最適の組み合わせをたった一つ見つけたのが、イルカ様運動であった。

 得られた情報 

ベンスマルクの解析によって得られたのは、太陽と回転している渦状腕のパターンとの相対速度は、12km/秒(光速30万km/秒の2万5千分の1)である。楯―南十字腕への到達は1億4200万年に起こり、射手―竜骨腕への到達は、3400万年前に起こった。

 考察 これらの数値は、以前に天文学で示唆されていたことで、化石がどの数値が正しいかを教えてくれたのである。「気候から天文学へ」という推論の逆転が成功し、天の川銀河内の動きが地球の気候を支配していることを確実にした。

(今回、今までの載せた図がダウンロードするとうまく入らなかったのが判ったで、縮小して書き直しました。)


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