黒部信一のブログ

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不機嫌な太陽 ―気候変動のもう一つのシナリオ― No.7

2022-09-14 05:49:02 | 地球温暖化

        不機嫌な太陽

        ―気候変動のもう一つのシナリオ―  No.7

§8.  300万年前からの気候変動、寒冷化が、人間を登場させたのか。

7章 人間は超新星の子どもか

  気候の変動と人間の出現は、密接に関係していた。人間の出現は、現在の氷期が始まった時期と一致していた。その頃に、地球に極めて近い星の1つが爆発し、それで生じた「宇宙線による冬」が、生物の進化を起こさせたのであろう。天文学者は、地球を奇襲した超新星を探している。

1節 概説

 275万年前に近傍で爆発した星

 その星の候補地は、南十字星の近くで輝いていたか、北方のプレアデス星団(かってはスバルと呼ばれていた七つ星)の星の間にいたか、論争されている。200万年以前の時代に、地球ではまだ類人猿の時代に起こったことである。 爆発してから数十万年の間、その超新星の残骸が地球に吹き付けた宇宙線は増加したに違いない。その星からエネルギーの弱い別の種類の飛沫、それは星の爆発中の核反応で生じた地球には存在しない原子核が、地球に届いたのである。それが届いたのは、その超新星がわずか100光年程度しか地球から離れていなかったからである。ドイツの物理学者が、それがその地球には珍しい原子核であったことから、その超新星の爆発を突き止めた。 275年前に厳しい寒冷化が起こったことと、人間の作り出した道具や人間特有の遺伝子が初めて出現するのに都合のよい環境に変化したこととの関連性をしている。

 275万年前の寒冷化の原因

 1400万年前までに、南極の大部分は氷で覆われて、その後グリーンランドも氷で覆われてるようになった。そして世界全体は地形の変化中であった。この地形の変化が275万年前の寒冷化の舞台を整えた。 それは、アフリカ大陸では、東部の大地溝帯の両側が隆起し、高台のドームが沢山出来、東アフリカは雨が少なくなった。 インド大陸は、アジア大陸の底部に入り込み、ヒマラヤとチベット高原を押し上げた。このため、亜熱帯に寒気の停留地帯が生じた。 オーストラリア大陸が、アジア大陸と衝突し熱帯海流のルートをふさいだ。 北アメリカ大陸と南アメリカ大陸は別々に漂流し、300万年前に、パナマ地峡が完成して両大陸はつながった。大西洋と太平洋は断ち切られ、海流の流れが変わった。地形の変化の 大陸の漂流する速度は爪の延びる程度なので、500万年前から先行期間が始まり、その頃は暖かく、海面は10~20m高く、気温は数度高かったのである。

 これは、宇宙線による気候変動で説明できる。 6000万年前に太陽系は地球を伴って、天の川銀河のオリオン腕の中に入った。そこは5章に書いたように、短命の星が多く存在し、通過するのに3000年前まで続いた。それで6000~3000年前の間、地球全体は寒冷化した。その後、過去数百万年の間、太陽系の各惑星は、宇宙線という風によって揺られたのである。

2節 アフリカのサヘルが埃っぽくなった時

 海底地層の調査

 1995年イギリスの西側の大西洋の海中の、地下1kmの深さまで堆積物の試料コアーを掘削した。ドイツのブレーメン大学のバウマンらは、その堆積物の中の、色の変化した部分を診て、寒冷気候の始まった印と直感した。氷山が運んだ岩屑がその場所に到着して、それが地球の気候変動の歴史における現在の寒冷相が開始したことを示していた。それ以来氷床は、たびたび拡大して行った。他の地の岩屑が、この地にもたらされたのは、275万年前であった。 この試料コアーを調べたら、ある時点から海水中の重い酸素原子の比率がはね上がり、同時に凍結の形跡が示された。その時点からさらにさかのぼった270万年前まで、かなりの氷床がユーラシア大陸と北米にあったことが判った。 

 熱帯地方の気候変動の結果を示す為に、南下した。 サハラ砂漠の南端のサヘル(サハラ砂漠の南縁部に東西に帯状に広がる半乾燥地帯)周辺は、季節的降雨がなく、飢饉が続いていた。乾期の北東の風は、砂塵を沖合へ運ぶ。 1986年にその風の通り道で、1500km沖合の大西洋の海底を掘削した。そこで採取した堆積物から判ったことは、風で運ばれた大量の砂塵が、そこの海底に最初に現れたのは約280年前であった。その時から乾燥化が始まった。

 他の海底掘削地は、西アフリカの海岸に近い場所と、アラビアの沖でアフリカの東の地点であった。そこでは、砂塵はさらにさかのぼった時代にも普通に存在していた。その頃には世界の各地に砂漠が存在していた。その変わり目の280万年前のあとは、砂塵の値は増加した。

 アフリカの乾燥化の影響

 このアフリカの乾燥化の研究は、ニューヨーク市の近くにあるラモントドハティ地球観測研究所のデメノカルが行なった。1995年最初の報告書を書き、その後海洋のデータを、アフリカの陸上生物の化石の記録と比較したのち、「これらの結果は、気候変動が、生物の起源に重要な役割を演じていることを示している。」と語った。 アフリカにはほとんど雨が降らなかった。その為に大きな森林地帯は縮小し、類人猿は果実の実を見つけにくくなった。類人猿は、アフリカの草原で生活をするようになり、草原には大きな動物たちがいた。肉を食べるためにあごが進化し、硬い生肉を切る為に、石器が作られた。

3節 石包丁と新しいあごの筋肉

 猿型生物から人間の出現まで

 600万年頃に二足で走り動き回っていた猿に似た生物の化石骨が、2000年と2001年に、ケニア、エチオピア、チャドで発見された。この時に発見された女性たちの化石は、後ろ足で立てることを示しているだけだった。 発見されたこれらの初期の猿人への進化は、数百万年強もかかった。猿人は、その従兄弟である通常の類人猿と比較すると、希少な存在であり、脳は小さく、習性と食生活はまだ類人猿のようであり、まだ自然が生んだ実験的な二足歩行動物であり、足の長いチンパンジーのようであった。 エチオピアのオモ川下流域(エチオピア最南部の山岳からケニアのトゥルカナ湖にそそぐ川)は、前人間、および初期の人間の数百万年にわたる化石(人骨)が残っているが、そこで出土した動物の化石の全数調査により、その地は、以前は木々の茂った林や森で覆われていたことが示された。(オモ川下流域で最古の打製石器も発見された) 350万年前から、そこの森林は木々が減り始めた。 280万年前以降に、世界が強烈に寒冷化した時には、草原に適応した動物の比率が著しく増加し始め、それから40万年以内には、草原に適応した動物が森林性動物を上回ることとなった。その間に人間が最初の足跡を残した。

 草原への適応

 アフリカは草原が拡大し、生物はそれに適応していった。アンテロープ(カモシカの仲間)という新種がおびただしい数になったので、大きな猫科の動物や他の肉食動物の恰好な獲物になった。しかし、類人猿や猿人は採食用のあごや骨格のために、生存の為に生肉を食べるためには、鋭い歯か、鋭い刃物が必要であった。 生物が作ったもので最古のものは、1990年代にエチオピアで発掘された石器であり、ほぼ260年前のものである。それはこぶし大の丸石を素材にした鋭い肉切り包丁であった。 エチオピアの道具研究者のセマウは、2000年の報告に、「形を整えた石を使うことは、技術上の大きな突破口であった。動物から肉や骨髄などの食料を効率よく利用できるようになり、生存を可能にした。切った痕跡や骨破砕の証拠があり、250万年前という時代にヒト科の動物の食事の中に肉が取り入れられた証拠である」という。

 人間の脳の発達

 なぜ人間の脳は、類人猿の脳より大きくなったのであろうか。 ペンシルベニア大学のステッドマンらは、すべてのサルと類人猿の、あごを咀嚼筋肉の熱さと強さを決定しているmyth16と(命名された)いう遺伝子を同定した。その筋肉は、頭蓋骨を完全に取り囲み、脳の成長を制限していた。 現代人は、その遺伝子の突然変異型を持ち、弱体化した咀嚼筋を持っている。この人間のあごの弱体化に伴って顔は平たく、歯は小さく、そして頭蓋骨は丸くなった。この突然変異が起こったのは、約240万年前であった。この遺伝子の変化した年代は正確ではないので、最初に道具を作ったのは誰かということで、議論は二つに分かれている。

 一つは、当時エチオピアに住んでいたアウストラロピテクス・ガルヒと呼ばれる猿人が関与しているというもので、遺伝子の突然変異は彼らに定着していたから。彼らは小さい脳で、既に石包丁を使っていたから、弱いあごでも生き延びられた。 もう一つは、突然変異が最初に起こり、それで賢くなった人類の祖先が丸石を加工したというものである。

4 ハエ取り紙に捕らえられた超新星の原子

 海底の調査

 1870年代に、海底調査船HMSチャレンジャーに乗り組んでいた英国の海洋学者は、平らな鉱床や丸い団塊状のマンガン鉄の堆積物を発見した。それは地球で成長した金属原鉱石の塊で、その塊の中に重い鉄原子の形で異星の遺物(超新星の証拠)として保存されていた。 その100年後に海底からそのマンガンを採掘しようとした。 1976年にドイツの研究船が、深い太平洋の海底からその沈殿していた資料を救いあげた。このマンガン鉄の堆積物は、ハエ取り紙のように、星が吹き飛ばした原子を捕まえており、遠くの宇宙で起こったことを記録していた。それが判ったのは1990年代後半にミュンヘン工科大学のコルシネックたちで、過去数百万年前に地球の近くで起こった超新星爆発を探し始めていた時だった。

 超新星からの飛来物の探索

 爆発している星では、核反応が大規模に起こり、1つの元素を別の元素に変換し、惑星と生物の為の、新しい原材料を作り出す。それで生じた原子は、四方八方に飛び散り、その一部は偶然にでも地球の一部に届くであろう。 しかし、爆発した星から飛び散った材料が、宇宙空間のほんの1点である地球に届く量は極めて微量になる。超新星がかなり近い時でさえ、極く僅かしか届かない。 その上、地球と地球上のすべての物は、同様の起源で生じているので、太陽と太陽系の星たちと同様に、生存して死に至った星たちから得られた元素からなっている。したがって、最近の超新星から普通の鉄原子が届いても、それがこの地球の始まった時から存在していたものと区別できない。 それで、爆発した超新星からの原子のうち、この地球に存在しない原子を見つけ出すしかない。したがってそれらは地球の年令よりずっと短い放射性元素でなければならない。 たとえ同じ原子が地球上に存在していても、それははるか前に他の原子に変化しているからである。また寿命が短かすぎても、地球に到達するまでに寿命が尽きているので、それを見つけることができない。それで寿命が中間の長さの原子を、調査対象にした。 そこで最適の候補になったのは、通常の鉄原子56Feよりかなり重い60Feであった。これが放射線を出して崩壊し半減する速度は、150万年かかる。従って、1000万年以上経ったら微量しか残らない。

 これを検出する技術を、ミュンヘンの研究所のコルシネックは持っていた。それは加速型質量分析器と呼ばれる大型の装置で、試料を高速に加速し、強力な磁石でその進行方向を急に曲げることにより、各種の原子をその質量に応じて分類することができる。この方法で、分子量がほとんど同じ原子同士の混同を最小限に食い止めることができる。これにより、100万×100万×1万個の中のたった1個の特別な鉄原子を見つけることが可能であった。 2004年に、コルシネックたちは世界で初めて、近くの超新星から届いた原子を見つけた。 ハワイの南東の海底の掘削基地で、ほぼ5000mの深さの海底から取ってからでも約30年経過していた。その場所は(237kdと命名された)マンガン鉱床で、そこから採取された試料から60Feが検出された。 既にコルシネックたちは1999年に太平洋の別の場所から得た数百万年前のマンガン鉄鉱床中に60Fe(鉄60という放射性同位元素)を見つけていたが、その鉱床は証拠が少なくデータとしての確実性に欠けていた。しかし、それを裏付けたこの研究で太平洋の遠く離れた場所で見つけられた証拠として重要であった。 その鉱床237kdは、その後詳細に分析された。ハワイ沖の海底では地層の成長が遅く、1cm成長するのに400万年かかった。それで28の異なる層の各年代を測定でき、1300万年前まで遡ることができた。 各層中の60Fe の原子を質量分析器でカウントし、280万年前あたりの隣接する3つの層だけが高い濃度であった。

 宇宙の60Fe が放出するガンマ(γ)線の検出

 理論上は、古代の隕石中に60Fe が存在することは判っていたが、検出したのは初めてであった。同じ頃にNASAの人工衛星の高エネルギー太陽分光撮像装置は、宇宙空間中に60Fe を見つけていた。それらの60Fe が放射性崩壊する時に出すガンマ線により、天の川銀河で最近起きた星の爆発により生じた原子と混在していることが判った。2006年までに、欧州宇宙機構のインテグラル衛星により、60Fe を天文学的に特定する体制が確立された。

4節 宇宙線による冬

 60Fe 発見の意義

 イリノイ大学のフィールズは、コルシネックたちの発見に対して、「60Feを検出できたことは、深海での放射性物質に対して他の調査をすれば、それぞれの超新星の性質を解明できる、という希望を与えてくれる。観察された各種の放射性物質の比率を用いて、超新星の核燃焼後の灰を研究すれば、爆発している星の原動力である核の火を究明することができる」。

 超新星と宇宙線

 コルシネックらは、「この超新星が、気候変動を引き起こし、それがおそらく、ヒト科の進化を著しく発展させたのであろう」と報告書を締めくくった。 コルシネックらは、また宇宙線、雲、および気候がつながっている可能性があるというスベンスマルクの説を引用した。スベンスマルクは、数年前から近傍の超新星についての推測をしていた。 イリノイ大学のフィールズは、CERN原子核研究機構のエリスと組んで、その超新星の出来事が、「宇宙線による冬」を引き起こしうると提案した。CERNの物理学者カークビーは、宇宙線が雲に影響を及ぼす可能性があることをコールダーから聞いて、エリスに伝えた。カークビーはクラウド(CLOUD=雲)という実験を提案し、仲間に支援を要請していた。

 ミュンヘンの超新星

 ミュンヘンのコルシネックのチームは、超新星の60Fe が信号を出した地層の年代を、特定しようとし、宇宙線による冬というアイデアを検討し、ウィーンの天文学研究所のドルフィに相談した。ドルフィは、計算により、爆発した星の膨張中の残骸における自然の粒子加速器が、超新星爆発後の数十万年の間、宇宙線を量産し続け、それにより地球への宇宙線の流入量が、通常より15%高くなると予測した。 60Fe の原子に関する2004年報告書の主筆クラウス・ニーは、「超新星爆発に伴う宇宙線が、地球大気を照射すると、それと同時期の地球は寒冷化を引き起こし、これが引き金となって、人間への進化が大きく前進したのだろう」と明言した。 この超新星は、その年代が280万年前だったので、275万年前から始まった氷期を伴う大きな寒冷化は、その超新星に誘発されたと思われた。

 しかし、別の技術で、このコルシネックの見つけたマンガン鉱床の別の部分を分析し、それより後の年代にたどり着いた(9章1節)。このことは超新星は、210万年前に激しくなった後期の寒冷化に結び付いているかもしれないが、初期の氷期には遅すぎた(7節)。そうすると人類の進化には寄与していないことになる。

 今後の課題

 宇宙線による冬というアイデアは、その後も生き延びた。地球の近傍で生じた超新星は、それだけではなかったからである。未だ他にあるはずであった。

6節 ミュンヘンの超新星の候補

 100光年の速さと近さ    その超新星は100光年しか離れていない所から、60Fe を届けたが、それに対してもっと本格的な超新星で爆発しそうな大質量の星は、すべて100光年をよりも遠くにあった。

 近くで超新星が生じやすい領域

 約400光年先にあるオリオン座のペテルギウスとその一群の「オリオンOB1アソシエーション」の星団の中にある。アソシエーションと呼ばれる一群は、すべて同じ時に生まれ、夜空で近くに集まって見える星団のことである。OB星の多くは太陽の10~50倍の質量と3000万年~1億年の寿命であり、この星たちが超新星爆発を起こす可能性が最も高い。 NASAのコンプトン衛星はオリオンOB1星群内で、過去100万年以内に起こった星の爆発によって作られた26Al(アルミニウム放射性同位体26)が、ガンマ線を出していることを観測した。 1870年代にアルゼンチンで研究中の米国の天文学者グールドが、巨人オリオンのベルトの位置にOBアソシエーションたちがあるので、グールドベルトと名づけられた。

 グールドベルトは、それを構成する数個のOBアソシエーションが、縦2400光年、横1500光年の楕円形で、太陽系の星はグールドベルトの内側にいるので、爆発性の可能性の高いOB星たちは、地球の周りをぐるりと取り囲むように点在している。 このOB星は、連鎖反応を起こす。①同一世代の星々から出る風と衝撃が、星同士間の空間に充満していた薄いガスを強く押し付ける。②それにより圧縮されたガスは、新たなOB星を誕生させる。③それらは寿命が尽きると爆発し、再び①に戻り、同じことを繰り返す。

 天の川銀河のオリオン腕内にいる地球の周辺領域は、星間ガスは、超新星の爆発により、希薄なプラズマという帯電した原子に置き換えられており、それは高温なのでX線を放っている。この領域は、天の川銀河の円盤全体からはみだしているので、熱いプラズマが天の川銀河の外の空間へ噴出しているので、天文学者は局所泡とか局所煙突と呼んでいる。

 ミュンヘンの超新星の候補

 コルシネックたちの発見した超新星はどれであろうか。60Fe を同定できる程の量を、地球にまき散らせるほど、近くで爆発した星は、いろいろと探索されている。1つの候補は、ほぼ南十字星の方向にある星。 もう1つの候補は、牡牛座内のプレアデス星団(かってはスバルと呼ばれた七つ星) しかし、決着はついていない。またこの星以外かも知れない。

7節 超新星の残骸の探査

 超新星の研究方向

 多くの超新星を探しだすことに向井、南極の古代の氷や海底の地層の調査は続いている。

 グールドベルトの星の統計は、過去300万年間に数回、星の爆発による宇宙線の急増をもたらしていることを示唆し、その度に宇宙線による冬が起きたであろう。

 海底の微化石中の重い酸素原子のカウントから得られる気候変動の記録は、270、210、130、70、50万年前に急冷期が起こったことを示している。それを起こした特定の超新星を探している。

 超新星の残骸の探査

 一片の雲として見える超新星の残骸は、全天 で250個見つけられている。しかし、この方法では星の歴史を数千年しか遡れない。 星の爆発した時の放射性原子をさがすことは、それぞれ特定のエネルギーのガンマ線を出しているので、人工衛星に載っているガンマ線望遠鏡で見つけられる。 地球外物理研究所のディールたちは、NASAのコンプトン衛星(1991~2000)で26Al(アルミニウム放射性同位体26)の散乱を見つけた。またディールは、欧州のインテグラル衛星(2002~2010)ガンマ線と26Alを測定した。 3種類目の証拠は、中性子星からもたらされた。中性子星は、大質量の星の爆発の跡で、高度に圧縮された中心部分の遺物である。これは当初、脈動星として発見され、1000個以上見つかっている。それでいくつもの最低20個以上見つかっているが、まだ決められていない。今後の人工衛星のデータが待たれる。

 超新星による寒冷化と生物への影響

 ディールはガンマ線天文学者として、超新星と生物が密接に結びついていると考えている。「生物学者は、暴風雨や火山等が、次いで小惑星や彗星が、種の多様性や障害に影響及ぼすと考えている。しかし、星からの宇宙線については論じられていない。宇宙線が及ぼす正確な影響はまだ確認されていないが、それでも宇宙線が地球上の生物の歴史に、たびたび関与していることは間違いない。天文学と地質学と化石学とを我々は結び付けている。」

8節 新しい知識の連鎖

 本書で問い訪ねた広範囲の分野

 本章ではアフリカ沖の海底や南十字星に近い星を訪ねた。生物の歴史の1万分の1である40万年(280~240万年前)にわたって続いた気候変動を追跡した。 新しい知識は、宇宙線という糸でつながれた人つづりの連鎖である。

 研究の細分化の問題点

 19世紀から今まで、自然科学は、範囲の狭い多くの専門分野に細分化されてきた。 研究者は、自分たちの扱いやすいように、明らかにする分野に分割するので、自然が互いに関連しあっていることに、ほとんど気がつかない。

 幅広い知識の融合の必要性

 21世紀には、自然科学は、自然の世界に残っている謎を解こうと務めている人は、極端に異なる種類の手がかりを数多く組み合わせねばならない。

 スベンスマルクの研究の仕方

 スベンスマルクは、宇宙線が雲量に影響を及ぼしうることから始まって、① 大気中の硫酸の物理化学から、② 天の川銀河の運動力学、③南極気候の異常、④ 生物圏の生産性が常に変動していること、にまで至っている。 宇宙線、雲、および気候がつながった連鎖の輪は完成しているが、まだ新しいことが判る可能性が残されている。

北半球と南極における気温の平均値を、

20世紀の100年間にわたりプロットした図

宇宙線流入量の比率と生物圏の生産性の類似

 


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